サチの心療内科日記
どうかこの物語が必要な人の元に届きますように…
「予約してた初診の者ですが…」
ここは都内のメンタルクリニック。西の方言そのままに受付を済ませる。東京に出てきてまだ3週間。外出するだけで大冒険。予約は12時であったが、だいたいどこの心療内科も時間通りにいかない。「お待たせしました。」12時40分、診察室へ。以前通っていた心療内科からの診療情報提供書を読みながらの医師の多数の質問。「夜寝れてますか?」「今はどんな感じですか?気になる症状はありますか?」「夜間の大学に通うためにこちらに引越してきたんですね。」49歳独身。先月まで地方自治体に勤める公務員であった。退職。そして大学生。ここに至るまでの経緯を、同じ病気で悩んでいる方々のお役に少しでも立てたらいいなぁ〜と、書き記したいと思う。
丁度4〜5年前のことだろうか。小学校の用務員20年目くらいのとき、目を真っ赤にさせた児童がやってきた。「助けてください。」話を聞くと、担任の先生の怒鳴り声が怖い。どうやらイジメもあるらしい。でも、授業は受けたい、勉強したい。児童と相談の結果、教室の近くの階段に座って、授業を聞きながら過ごすことになり、その時間は増えていった。数日後、校長先生に「お客様や保護者に見られると体裁が悪いから教室か保健室へ入れて!」いや、そこに行けないからここにいるんだよ。校長室に呼ばれ、イジメをしている側の母親と知り合いらしく、家庭環境を話され「その子の気持ちになったらあなたもストレスがたまるでしょう」いや、だとしてもイジメをなかったことにできない自分。
その頃から、夜に何回も目が覚めたり悪夢を見たり、睡眠時間は3〜4時間。悪夢は以前に被害にあったレイプ、セクハラ…死ねばどれだけ楽になれたことだろうか。私はいないほうがいいのでは…
卒業式の日、助けを求めにきた児童のご両親に「いろんな権力と戦ったのですが、守り切ることができませんでした。申し訳ごさいません。」90度頭を下げた。ご両親は「あなたがいてくださったから、うちの子は学校へ来ることができたんです。感謝しています。」
その瞬間、信じられないほどの大粒の涙が地面に落ちる。その日は終業まで涙が止まらなかったが、他の先生達も普通に仕事を終えた。しかし私の涙は止まることはなかった。
次の日。朝刊を見る。文字ほ読めるが内容が理解出来ない。昨日、かなり疲れていたからだ。と思い、録画しておいた大好きなアニメを見る。好きなキャラクター達が何かをしゃべっている。それが何か理解できない。やっぱり疲れてんだなぁ。とコンビニへ週刊少年マンガ雑誌を購入に出掛ける。家の近所のコンビニのはずだったが、道に迷う。自分がどこにいるのかわからない。やっと見つけた看板へ。家まで約50m。そしてページを開けると……わからない。これはなに?タイトル?なんの絵?
自分が崩壊していくのを感じた。
車を走らせ見かけた心療内科に飛び込む。予約がなくても診察をしてくださる医院でよかった。
名前が呼ばれ診察室へ。医師の「どうされました?」に、怒濤のごとく言葉が溢れる。新聞、マンガが読めない。TVをみても意味がわからない。涙が止まらず廊下を泣きながら歩く。近所のコンビニへ行くのに道に迷う………医師から「それは典型的なうつ病の症状です。」まさか自分が……
一週間ごとに薬の量を調整していく。抗うつ剤、精神安定剤、睡眠薬……1ヶ月後、2ヶ月後…一向に薬が減ることはない。逆に夜に寝なくても出勤はできる。仕事は何があっても休みたくない。私を探す児童が出てくるのはわかっている。
夜が怖い。寝ても悪夢の繰り返し。夢の中で上司にレイプされる。いくら走っても職場につかない。
もう、死にたい。
その頃、職場の英語の先生に「英語しゃべれるんだから、形に残しなさい。」とアドバイスをいただき、勉強を始める。夜10時頃に寝て2時頃に起きる。悪夢を見るより、問題集を解いてるほうが幸せだ。心療内科の医師には適当に症状を伝え、薬を処方してもらい、ひたすら勉強に励んだ。全て一発合格。嬉しい涙が溢れてきた。
しかし、それからの症状は悪化する一方、仕事の量は増え、薬も増えていった。
そろそろ限界かな…死んだら楽になれるかな…
次の年に事故が起こる。除草剤の散布中に噴霧機が壊れ、全身に除草剤を浴び、口の中にもかなり入った。自失呆然。職員室にそのまま帰ると、水道の水を大量に飲まされ、シャワーを浴びる。農薬の製造会社に電話をかけて、対処法を指示される。その後、病院へ行ったが、職場からは労働災害には認定されず、次の日から激務にもどる。昼ごはんを食べる時間がない……
もう死んだほうが楽かなぁ…
パソコンを開けてみつけた、大学の社会人入試。「これだ!」私は高校生のときから「自分で稼いだお金で好きな勉強をする」のが夢だった。今かもしれない。
職場が夏休みに入り、受験予定の大学の下見に行った。入学したい。家に帰ってから、必要な書類を用意し、ひたすら過去問題を解く。寝るより楽しい。そして入試が近づいた頃、母親に「大学受けます。落ちたら仕事続けます。」すると「出ていけ!お前の顔なんか二度と見たくない。」両親の生活は私に依存していた。そして、娘が公務員であることが自慢のタネだった。何かが頭の中でプツッと切れた。
試験当日。前日からホテルに泊まり試験に備えた。朝、早めにホテルを出て、大学の近くの神社に手を合わせ、会場に入った。小論文。面接。「なぜうちを受験したのですか?」「大学に進学しようと思ったのはなぜですか?」「卒業後のことは考えていますか?」など……もう、どうやってかえったのかわからない。
落ちたらまたあの毎日。楽に死ねたらどんなに幸せか……
合格発表の日。10時。「合格」
受験をすすめて下さった方々や、勉強を教えてくださった方々に、お礼の電話や報告。入学手続きを終えてすぐ、校長に「大学に合格しました。退職の手続きをお願い致します。」急に心の中が軽くなった気がした。
心療内科の診察室日。医師に報告すると「いいと思います。おめでとうございます!」もう薬を減らしてもよかったが、環境が変わるのでこのままいきます。とおっしゃり、引越し先の心療内科に紹介状を用意して下さった。
その後も両親とは顔も合わさぬまま、姉夫婦に見送られて、いま、大学生をやっている。体育の時間は10代20代の生徒の中、独り49歳が混ざっている。だが、最近の若者はみんなやさしい。
最後に心療内科の先生がおっしゃった「ご両親と少し距離をとったほうがいいですね。」今は新しい心療内科に通い、症状もよくなり、うつ病は治ったが、強迫性障害が発見される。家を出るとき、水道の蛇口や鍵をしめたか、冷蔵庫は閉まっているか、など、家を出るのに15分はかかる。よく考えると、レイプされたあと、毎日20回〜30回くらいは手を洗っていたな。あれからずっと1日何回も手を洗いつづけている。あれか………
治したい。勉強したい。もっと大学の学食が食べたい。
空は青、灰色、水色。毎日変わる。桜、ツツジ。花にもこんなに色があったのか……
私の中に毎日少しずつ何かが戻ってきている。今お世話になっている心療内科の先生も、睡眠薬から離脱を目指す。強迫性障害の薬だけに。という目標を立ててくださった。
生きててよかった…
このエッセイが、誰かひとりでも、生きるヒントやお役に立てれば幸いです。
みなさまの幸せを祈っています……
生きていたら、生きていたら、生きていたら、それだけでいいんです。5年後、10年後、の自分の人生。そんなの誰にもわからない。