願っても叶わないことがある
姉が帰ってきた翌日、登校したコーニイは頬杖をつき、窓の外を眺めていた。
昨夜のハイト家は、混沌としていた。
◇
母と姉とコーニイは、帰宅したコーニイたちの父と一緒に、夕食を摂ったのだが、「婚約破棄」というパワーワードを放ったエイヌは、ひたすら食べ、食べながら喋った。
近衛騎士の経験もある父は、エイヌの作法に眉を顰めたが、母は姉に同情し、激しく同意していた。
エイヌの話を集約すると、こんな感じだ。
王都の高等学校は寄宿舎を持ち、貴族と、貴族と同等の身分がある者が通う。
現在ハイト家は騎士爵を持つので、エイヌは意気揚々入学した。
そこで王都の高位貴族と知り合い、交友を深めた。
特に伯爵家の子息とトクベツに仲良くなり、婚約の話まで出た。
「でもね、伯爵家の当主が、『獣人の血を引く者との結婚は認めない』って。酷くない? コーニイならともかく、私ってイベロヒーよ! それで面倒臭くなって、彼とはサヨナラしたの」
「それは酷いわ! 抗議しましょうよ、あなた」
母と姉の訴えに、曖昧に頷く父だった。
いや、ダメでしょう。
恥ずかしいから絶対抗議なんてしないでと、コーニイは切に願った。
「しかし……エイヌも高等学校を卒業する頃は十八だ。結婚相手を決めなければ、だな」
「あらお父様。それなら私、考えているのよ。獣人の血を引くものは、やっぱり強い獣人が良いと思うの」
エイヌはコーニイを見て、にんまりする。
「ローレンと、結婚するわ」
◇
いつの間にか授業が始まっていた。
担当のギーダ先生は白髪の女性だ。
山羊獣人らしく、髪全体がモファモファしている。
黒板にはこう書いてある。
『強く願わなければ、何も叶わない』
願えば、叶えられるというのだろうか。
コーニイが願ったことは、ささやかな事。
ちょっとだけで良いから、お母さんが私を誉めて欲しい。
お姉ちゃん程でなくても良いから、兎人の特異能力が目覚めないかな。
ローレンと二人で、クローバー畑を走りたい。
まったくもって、叶っていない。
「はあ……」
ため息をついたコーニイの横を、ギーダ先生が通っていく。
「願っても叶わないと思う人、いるかもしれないね。
そんな人には、もう一つの言葉をあげましょう」
ギーダ先生が書いた言葉とは。
『心に強く願い続けたあとは、行動する』
ハッとしたコーニイの耳に、授業の終わりを告げる鐘が聞こえた。
帰り道、コーニイはアズボスと一緒になった。
「あ、コーニイ。見て、これ」
アズボスが出したのは、小さな栞だ。
四葉のクローバーが貼ってある。
「せっかくコーニイに貰ったから、嬉しくて作ったんだ」
アズボスの顔は少し赤い。
「へえ。綺麗な栞。器用だね、アズボス」
「アズでいいよ」
「あ、この栞、表面がツルツルしてる」
「うん。クローバーの緑色が変わらないように、木から取った液、そう樹液を塗ったから」
アズボスの話は面白い。
樹液を塗って、押し花を保護するなんて、コーニイは知らなかった。
「アズ、あなた、頭良いのね」
「ええ? そ、そんなことないけど……。お父さんが色々教えてくれるから」
そう言えば、アズボスの父は学者であった。
「あ、そうだ、コーニイ。今、お父さん家に居るんだ。いつもは、王国と帝国を往ったり来たりしてるけど。い、一度、ウチに遊びに来ない?」
「いいの?」
「うん!」
ほんのりと軽くなった気持ちで自宅へ帰ったコーニイだったが、庭先でローレンがエイヌの肩を抱いているのを目にして、鳩尾が重くなった。
「やあコーニイ。これからは俺のことを、お兄さんと呼んでくれ」
「はあ……」
「もう、ローレンたら気が早いわ」
「だって俺、一日も早く結婚したいから」
二人の世界の邪魔をしないように、コーニイは自室に向かった。
コーニイは、部屋で宿題に取り組んだ。
作文を一つ、仕上げなければならない。
テーマは「将来の夢」である。
夢か……。
子どもの頃は、ローレンのお嫁さんになるのが夢だった。
とっくに諦めていたが、ローレンがエイヌと一緒にいるところを見るのは少々痛い。
客室から、母とローレンの会話が聞こえて来る。
「……それで、いつからエイヌを気に入ってくれたの?」
「そりゃあもう、初めて会った時からですよ。でも決め手は四葉のクローバーかな」
え?
「俺、僕のために、エイヌが探してくれたんですよ。僕の夢が叶いますようにって」
違う。
違うよ!
「まあ、なんて素敵なお話かしら」
違うよ、ローレン。
四葉を見つけたのって、それは私だよ!
「外見や頭脳だけでなく、エイヌは心根も優しい娘なんだな。なんて感激しました」
ぽたぽたと、涙が落ちた。
エイヌは兎人の超聴覚は持つが、視覚はやや弱い。
コーニイが唯一、エイヌよりも優れているのは視覚だけだ。
広いクローバーの畑でも、ちらっと見ただけで、コーニイは四葉を見つけられる。
そうして見つけた四葉のクローバーは、エイヌに取られてばかりだった。
取られたのは、四葉だけじゃ、なかったんだね……。
コーニイは、笑い声が響く家をそっと抜け出した。
陽が長い季節である。
このまま何処か知らない場所に、行ってしまいたいと彼女は思う。
今までも、あの家に居場所はなかった。
姉がローレンと結婚したら、きっと家を継ぐだろうから、もっと居場所がなくなる。
家を追い出されるかもしれない。
その前に、自分から家を出た方が良いだろう。
行く宛ては、まったくないけれど。
その時、コーニイの足元がぐらりと揺れた。
地面に穴が開いていた。