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3つのお題シリーズ

二月一日午後八時

作者: 安住 八重

 今日は二月一日。一年間で一番短い月がやってきた。


 私はこたつに入って発泡酒を飲みながら、スーパーで買った半額弁当の夕食をもごもごと食べていた。なんとなくつけたテレビのニュースを見て、一年の十二分の一が終わったことを実感する。


 今月には建国記念日の三連休があるし、何よりオリンピックの開催もある。きっと世間は賑やかな月になるはずだ。


 しかし、今の私にとってはそんなこと関係ない。世の中のお祭り騒ぎなんて正直どうでもいい。


 本当は、肉体的にも精神的にも一年間で一番きつかった一月がようやく終わって、一息吐きたいところだった。しかし、私の仕事は次から次へと積み重なっていく。


 二月中旬には今年度最後の定期考査があるし、それが終わったら急ぎで成績を付けなくてはならない。三月頭には顧問をしている陸上部の大会があるから、部活動の方も忙しくなる。


 社畜な私立高校教員の私に三連休なんて贅沢なものは無いし、オリンピックを応援する余裕も無いだろう。入試があった先月よりはマシかもしれないが、それでも忙しい日々が続くのだ。


 あまりの疲れで動く元気も無いけれど、「えいやっ」と気合いを入れてこたつから出る。弁当の容器をゴミ箱に捨てて、私はふとカレンダーを見た。


 窓の側の壁にかかったカレンダーは、まだ一月のままだった。

 去年の暮れに新聞社から配られた無機質なカレンダーは、小さなこの部屋に不似合いなほど大きく見える。


 私は一月のカレンダーの紙を摘んだ。窓の近くだったからか、カーテンを引いてあるにも関わらずヒンヤリとした冷気を感じた。


 十日ほど前の日付に書かれた「大寒」の文字が、更に寒さを感じさせる。


 後付けの情報で自分の感覚が惑わされることはよくあって、私は自分の本当の感覚よりも頭に入ってきた文字の情報を優先してしまうことが多かった。


 例えば「外の気温は氷点下」と聞いた後は聞く前よりも寒く感じるし、「あなたが今食べているのは高級チョコレートだ」と言われたら、安くて質の低いチョコレートでも美味しいと感じてしまうだろう。


 もっとも、文字でも音声でも情報が溢れている今の社会、惑わされるなと言う方が無理な話かもしれないけれど。


 そんなことを考えながら、私は一月のカレンダーをミシン目に沿って切り取る。面倒くさいからカレンダーを壁に掛けたまま切り取ろうとするが、その分破かず綺麗に切るのは難しい。


 案の定私の力が変な方向に向かってしまい、葉物野菜の芯を削ぎ切りしたものによく似た断面が生まれた。ぼろぼろの見た目は美しくないけれど、日付を確認するのに支障が出なければ良い。


 切り取った一月のカレンダーをそのまま捨てようとすると、奇妙な紙の厚さに気がついた。


 日付が書いてある面の裏側を見ると、「一月末の私へ」と書いてある茶封筒がセロハンテープで貼り付けてあった。


 私は雑にセロハンテープを剥ぎ取って、封筒を手に取る。どうせ捨てるカレンダーなのだから、破れたところで問題ない。


 封筒の中にはカレンダーの紙を小さく切り取ったものと、一枚の一万円札が入っていた。こんなところにへそくりなんて、もし捨ててしまったらどうするのか。


 封筒と同じサイズに切られたカレンダーの紙は、断面がでこぼことしている。ハサミを使わずに、横着して手で切ったに違いない。


 その紙には黒いボールペンで、見慣れた自分の筆跡でこう書いてあった。


「入試の採点お疲れさま。これで美味しいもの食べてね」


 これというのは同封されていた一万円札のことだろう。私は一気に疲れが吹き飛んで、思わず笑顔になった。


 心の中で過去の自分に感謝しながら、私は一万円札の使い道を考える。一万円もあれば、回らない寿司でも焼肉食べ放題でも好きなものが好きなだけ食べられるはずだ。


 もしお釣りが出たら、帰り道にあるけれどいつも素通りしている美味しそうなケーキ屋さんでお菓子を買おう。

 日持ちする焼き菓子なんかが家にあれば、私は定期考査の採点でも吹きっさらしのグラウンドでの部活動でも頑張れる気がした。


 普段プレゼントをくれるような彼氏や友人がいない私は、過去の自分からのプレゼントが本当に嬉しかったのだ。


 さっきまで動くのも面倒なくらい元気が無かったのに、一瞬で全回復である。現金の力は本当に偉大だと思った。


 そして私は、未来の何かを頑張った私のために、同じようにプレゼントを贈ることを思いついた。


 無論、プレゼントの内容は現金だ。それが一番未来の私を喜ばせるプレゼントだと、今の私は知っている。


 私はほくほくしながら茶封筒を用意する。紙幣サイズの、家にある茶封筒の中で一番小さい規格のものだ。


 次に一月のカレンダーの紙を、その封筒に合うように切る。気力がみなぎっている今の私は、きちんとハサミを使うことができた。


 紙には一言、手元にあった青いボールペンでこう書く。


「これで美味しいもの食べてね」


 良し、と私は小さく頷いて、自分の財布を開けた。ここから一万円札を入れれば良い。


 そう思っていたのに。財布の中身を見た私は青ざめた。


 私の財布に入っていた紙幣は、千円札が五枚。一万円札はおろか、五千円札すら入っていない。


 これがアラサー高校教師の財布の中身で良いのかという問題はさておき、これは由々しき事態だ。まさか今の私の財力不足で、未来の私が幸せになるプレゼントを贈れないだなんて。


 あいにく最近はスマホ決済を利用することが多く、現金を手元にほとんど置いていなかったのだ。


 銀行にいくらか下ろしに行こうにも、この時間は既に閉まっているし、かと言って今から着替えてコンビニのATMまで行くのも面倒だと感じる。


 そして未来の自分へのプレゼント作りを明日以降に回した暁には、更に後回しにすることを繰り返して、結局プレゼント自体が自然消滅するだろうと簡単に予測できた。


 仕方がないので、私は食器棚から取り出したデザート用のスプーンを封筒の中に入れた。先程書いたメッセージも一緒に。


「これで美味しいもの食べてね」


 未来の私は怒ってこのスプーンを放り投げるだろうか。それとも、笑ってプリンでも食べてくれるだろうか。


 少し膨らんで重くなった茶封筒を、私は年度が終わる三月のカレンダーの裏側に貼り付けた。


 あと二ヶ月も経てばプレゼントのことなんてすっかり忘れて、見つけたときにきっと驚ける。


 その頃には透明だったデープが少し黄ばんで、外も暖かくなって、もしかしたら桜が咲いているかもしれない。


 未来の私が喜べるように、二月と三月も頑張ろう。そう決意して、私はこたつに潜り込んだのだった。


お題は「カレンダー」「一万円札」「スプーン」の三つでした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 生活感が良く出ていて、良いですね((((〃・ω・)ノ♡‬ リズムも良く大変、おもろく読めました。( ≖ᴗ≖)ニヤッ 生活上よくある事や、過去、現在、未来への自分にテーマが一貫されていて…
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