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ケルベロス10

「さて、手順はこんなもんだ。簡単だろ?」

「ええ。思っていたよりも」


 地下にあった小さな工房。机の上には気色の悪い色をした粘土状の物質がある。

 これが魔薬。貴族区で混乱を引き起こしているものの正体だ。


「あとはこれを乾燥させて粉にするも良し、小さく固めて噛むのも良し、水に混ぜて飲むのを良しって訳だ」


 モルがアラヤの作った魔薬を取り、自分のものと混ぜる。まとめると、それは両手で抱えられるほどの大きさになった。


「それ、どうするんですか?」

「今から説明する。こっちに来な」


 部屋の隅まで連れてこられる。見ると、そこには小さな工具箱のようなものがあった。


「見とけよ」


 開けると、中は3桁のダイヤルキーになっていた。番号を合わせると小さなカギが出てくる。

 箱の位置をずらすとその裏には丁度鍵穴があり、そこにカギを入れると隣の壁から取っ手が迫り出てきた。取っ手を引くと、奥には細い通路が続いている。


「すごいですね。隠し通路ってやつですか」

「ああ。何が凄いって、こいつには魔術を使ってないらしいぜ。いざって時に魔術は信用ならんってな」


 それに関しては同意だな。魔術を研究してたくせに、親父がこれを使ってたのも同じ理由だし。

 アラヤは自分の腰に手を伸ばして、銃を置いてきたことを思い出した。

 そういう所は魔術の方が良いのかもな、と苦笑する。


「入ってすぐの棚にこれを置いて乾かす。デルピースの奴は粉にして売ってるからな」


 工房の方から差し込む光を頼りに、空いてる棚に魔薬を置く。近くに乾ききった魔薬がいくつか見えた。


「粉にする作業はしなくて良いんですか?」

「ああ。結局のところヤツは作り方を知りたくないだけだ。寧ろここにはあんまり入って欲しくなさそうだったしな」


 あんまり入って欲しくなさそうだった?

 引っ掛かりを覚え、アラヤは通路の奥を指す。


「ここは確か、魔術を使ってないんでしたよね」

「まさか奥まで行くつもりか? やめとけよ、好奇心は竜も殺すぜ」


 モルの顔をジッと見る。冗談めかした言葉の割にその目は真剣だ。


「大人しくしとけ。これはアドバイスだ」

「モルさんは俺達の協力者なんですよね?」

「疑ってるのか?」


 アラヤは答えない。鋭い視線が交差して、やがてその片方がフッと笑った。


「良いぜ、好きにすればいい」

「ありがとうございます」


 礼を言ってから、アラヤは工房の天井から下げられた明かりを見る。奥には魔法陣らしきものが見えた。

 魔術を使ってるなら行けるか。

 大きな深呼吸。空気と共に、魔力を体の中に取り込む。空を撫でるように手を振ると、その中には小さな明かりが灯った。

 微かな照明を頼りに通路を進んでいく。奥に行くにつれて、棚に置かれた魔薬が少なくなる。代わりにガラス玉のような何かを詰めた瓶が並ぶようになった。

 1つを手に取る。球体は色から透明度まで様々だ。形が歪なものもある。ふとその球体に人の顔が浮かんだような気がして、アラヤはすぐに瓶を戻した。


「不気味だな」


 更に奥に進む。棚の境目を越えると、その先は飾り気のない装丁の本が棚をぎっしりと埋め尽くしていた。

 何の本だ?

 明かりを本に近づける。浮かび上がったタイトルは『悪魔と融合についての研究4』。下の方に小さく『シン・バレーマウス』の文字。

 親父の本? こんなところに、どうして?

 思わず手を伸ばし、パラパラとページを捲る。その内容の一部、融合(インストール)に関してはアラヤでもわかる箇所があったが、もう1つ。悪魔に関する記述が、まるで理解できない。

 棚にズラリと並ぶ本のタイトルを目で追うと、途中から装丁が変わっている場所があった。

 表紙を見る。


「ケルベロス計画……?」

「おい、急げよ」


 どこかで覚えがある言葉。思わずアラヤがつぶやくと、モルから呼びかけられる。アラヤは本を元にあった場所に直した。

 工房から差し込む光の方へ戻りながら、動揺しきった表情を手でほぐす。


「何かあったか?」

「何も。なんか難しそうな本があるだけでした」

「騎士のお前でも勉強が足りなかったか?」

「座学の成績はそこまで高くなかったので」

「意外だな。じゃ、帰るか」


 誤魔化せたか、とアラヤは一度安堵してから、口元に手を当てて考える。

 アレは証拠には使えない。本来は俺が隠し部屋の開け方を知ってる筈ない上に、親父が関わってるとなると俺に危険が及びかねない。だが何故デルピースが親父の本を持ってるんだ?

 混乱した思考が上手くまとまってくれない。わかるのは情報がなさすぎる事だけだ。

 デルピースが力を付けて上流議員になったのは最近の事だ。アラヤの父と交流があり、それが元で力を付けたとは考えにくい。彼が大罪人として裁かれたのはもう10年も前の出来事だ。

 かみ合わない。本の中にあった悪魔という言葉にも引っかかる。


「モルさん」


 アラヤが顔を上げ、問いかける。景色はいつの間にか見覚えのあるものになっていた。考えながら歩いているうちにデルピースの屋敷を出ていたらしい。

 首だけでモルは振り向いた。


「なんだ?」

「俺は次、いつここに来ればいいんですか?」

「はっ、ビックリするなよ。お前と俺でさっき作ったあの量で、アイツが捌く魔薬の一日分だ」

「という事は」

「お前には明日から毎日、俺の店で材料取ってからここまで来ることになるな。頑張れよ」

「わかりました。頑張ります」


 寧ろ好都合だ。ありがたい。

 心の中でアラヤはグッとガッツポーズをした。アラヤ達が入った門の近くまで来て、モルは足を止める。


「チッ、面倒そうなことになってるな」


 両腕を組んだ門番が門の真正面に立っている。恐らくアラヤの同級生と番が変わったのだろう。

 アラヤが近づくと、門番が大きく両手を前に突き出した。


「止まれ」


 立ち止まったアラヤ達をまじまじと観察し、門番は言い放つ。


「お前ら、貴族区の住人じゃないな。こんな時間に何していたんだ」

「荷物の運送を頼まれまして」

「ほう。まずは許可証を見せろ」


 入るときに貰った通行証を見せる。門番は眉を寄せながら通行証を睨みつけた。


「偽物ではないのか?」

「本物ですよ」

「心配なら関所の中の記録を見てくださーい」


 間の抜けたモルの言い方が癇に障ったのか、門番は目くじらを立てて怒鳴り始める。


「その態度は何だ!」

「俺は普通にしているつもりですが?」

「口答えをするか! ますます怪しい奴らだ! 名前を言ってみろ!」

「まぁまぁ、怒鳴る必要は無いでしょう」


 どこか相手を小馬鹿にするような喋り方。一瞬モルが喋ったのかと錯覚したが、声はもっと離れた場所から聞こえてきた。


「誰だ!」

「どうも。私はクルス。公安騎士団長をやってるのですが、聞いたことないですか?」


 余裕ぶった重たい声音。その場の全員が凍り付く。

 クルスが門の前まで来ると、門番は口の端に泡を浮かべながら問いかけた。


「ほ、本当に」

「これが目に入らないんですか?」


 胸の階級章は最上位。騎士団長に与えられる特別なものだ。

 圧がある。口調や立ち振る舞いはそう変わらないはずなのに、門番を黙らせてしまう圧倒的な何かがクルスにはあった。


「ここを通していただきたいのですが」

「は、はい! ただちに!」

「彼らは公安騎士です。一緒に通っても?」

「勿論です!」

「元気の良い返事ですね。今後も続けてください」


 今後も続けろ、という言葉に門番は目を逸らし、関所の中に戻っていった。すぐに門が通れるようになる。


「行きましょうか」


 アラヤに目配せをして、クルスは門の先に進んでいく。

 ついて来いって事か。なんだ、このタイミングで。

 

「おいお前、騎士団長とも知り合いなのか?」

「ええ、まぁ、軽く」

「面倒そうだな、俺はもう少しここに残るぜ」


 適当な嘘を返す。貴族区へと消えていくモルを見送ってから、アラヤはクルスの後に続いた。

 門から離れたところで、クルスが首だけで振り向く。


「お礼を言いに来てって言ったのに、いつまで経っても来なかったですね。アラヤ君」

「試験の日の事ですか?」

「はい」


 確か、クルスと1対1で話せるのは貴重な経験だ、とかだったか。


「あの時は貴重な経験を、ありがとうございます」

「礼というのは、そういう事ではないですよ」

「というと」

「あのままでは君は試験に落ちていました。合格したのは私のお陰なんですよ」


 クルスが足を止め、アラヤに笑いかける。その貼り付けたかのような笑顔はどこか不気味だ。


「落ちていた、ですか。それは何故」

「何故かどうかはアラヤ君自身が一番分かっていることだと思いますよ?」


 俺が一番分かっている? どういう事だ? 何かあの試験で失敗したか?

 ピンと来てない様子のアラヤに、クルスは貼り付けた笑みを深めて言い放った。


「大罪人と娼婦の息子を騎士団に入れるわけ無いでしょう」


 アラヤの目つきが変わる。ハマーの時とは違う。クルスの言い方からはどこか大きな含みを感じた。まるでアラヤをあざ笑っているかのような、ドス黒い悪意。

 隠し事は無駄か。


「母の事まで知ってるんですね」

「ええ。確か、10年ほど前に」

「どこでそれを」

「さぁ、なんででしょうね?」

「答えられないという事ですか」

「心配せずとも試験官は上からの指示に従ってるだけですから。知ってるのはほんの一部ですよ」


 考えろ。

 クルスの言う『上』が誰かは想像がつかない。ただ分かるのは、クルスがその仲間ではないという事だ。

 上はアラヤを騎士団に入れさせないようにしていた。だがクルスは寧ろ、アラヤを騎士団に迎え入れている。しかも自分の部下である公安騎士団に。

 そしてわざわざ、それを伝えるためだけに現れた。何かある。

 何かまた、ロクでもない事に巻き込まれる予感がする。


「それで、俺への用はなんですか? その上っていうのを潰すのに協力すればいいんですか?」

「ええ。そんなところです」


 どこか投げやりなアラヤに、クルスはニッコリと笑いかけた。


「今アラヤ君が追ってる件の犯人、居るじゃないですか」

「デルピース上流議員ですね」

「そうそう。ソレ、始末してください」


 冷たい風が耳を撫でる。乾いた空気が伝える音は鮮明で、クルスの言葉が聞き間違いじゃないのだと分かった。


「始末、ですか」

「はい。初めは捕まえて貰ってから私が処理しようと思っていましたが、そうもいかなくなりました。だから貴方の手で始末してください」


 異常だ。騎士団長が、部下の騎士に、上流議員を殺せと命じるなんて。

 頭の中で引っ掛かっていたことが繋がる。あの通路の奥で見た研究ノートと、クルスの命令が。


「それは俺の親父と関係がありますか?」

「ええ。シン・バレーマウスの研究と大きく関係してます」


 アラヤの右手がピクリと反応する。武器を求めるようにフラフラと揺れるが、都合が悪いことに今ホルスターは軽い。

 融合と、悪魔。アラヤの父親が研究していたもの。


「悪魔について、クルスさんは何か知っていますね?」


 アラヤの心を見透かしているのか、クルスはくすくすと笑った。


「知りたければ話しますよ。全部が終わった後に」

「まずはデルピースを始末しろって事ですか」

「はい。釘を刺しておきましょうか。これは公安騎士団長から直接の命令です」

「ですが、正式な任務ではありませんよね?」


 クルスの笑い声が止まる。唇はより薄く鋭く伸びて、まるで三日月のような弧になった。

 アラヤを見る目は笑っていない。


「何か不満が?」

「あと2つ、質問に答えてください」

「どうぞ。今答えられることなら」

「何故、俺に話に来たんですか。始末をつけるだけなら俺じゃなくても良い筈だ」


 クルスの表情が戻る。敵意の抜けた目がどこか小馬鹿にされてるようで、アラヤは眉を寄せた。


「鉄は熱いうちに打て、ですよ」

「熱い鉄に釘を刺せば、釘はドロドロに溶けますよ」

「おお、良い返しですね。まぁ丁度良かったんですよ。色々と」


 露骨にはぐらかしている。今は説明できないという事なのだろう。

 何なら説明できるんだよ。全く。

 内心で悪態をつきながら、アラヤは質問を続けた。


「では、バルク・ハマーは貴方側ですか? 上側ですか?」

「……ほう」


 クルスの声から抑揚が消える。


「彼が君の事を知っていたと?」

「その様子だと、上側みたいですね」

「いえ。それはあり得ません」


 真剣な顔で言い切った後、クルスは楽しそうに笑った。


「彼はどちらでもないでしょう。警戒しておいた方がいいかもしれませんね」


 どちらでもない? 確かにアイツが上側だとして、俺の事を知ってるなんて話す必要は無い。なら、アイツは一体何なんだ?

 アラヤが考え始めたのを見て、クルスはひらひらと手を振り、娯楽街の方へ踵を返した。


「私から伝えることは以上です。良い報告を待ってますよ」


 遠ざかる背中を追う気が起きずに、呆然と空を見上げる。覆いかぶさってくるような黒はどこまで続いているのか。手を伸ばしても届く気がしない。

 娯楽街と貴族区をつなぐ通路で1人、アラヤは取り残された。

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