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呼吸  作者: 吉冨諒
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 成人の行方不明者は、事故や事件の可能性のない限り、テレビで見るような捜査は行われないらしい。


 20時を回って、やや空腹を覚えだした頃。

 近所の交番ではらちが明かないと、区役所の近くの市警まで足を伸ばした優希を迎えたのは、時間外に面倒くさいと言わんばかりの顔色をした、わずかな警官たちだった。


 優希たちが通されたのは『相談室』のプレートが掲示された、殺風景な部屋だった。少し雰囲気を変えれば取調室といっても通用しかねない。

 高さだけはある天井で、白い蛍光管が妙な音を立てている。LED全盛期の昨今、久しぶりに聞く耳障りな音だ。


 1人で置いていくわけにもいかずにつれてきた甥が、神妙な顔をして優希の隣のパイプ椅子に座っている。甥が小さな体を揺らすたび、パイプ椅子の可動部にうっかり手を挟むのではないかと、優希は気が気でない。


 捜査を行うために必要な可能性とは何か、と問うと、まだ高校を出たばかりのような若い警察官は戸惑ったような顔をした。


「でもお姉さんから、メールが届いてるんですよね?」


 姉の性格の悪さは、ここでも存分に発揮されていた。

 まだ6歳の甥を置いて失踪した姉は、家を出て1時間後、優希宛てに「しばらく一人になりたいので探さないでください」とまるでドラマのような文面のメールを送り付けてきていたのだ。

 マナーモードになっていたせいで、メールの着信にしばらく気づかなかった。

 コンビニで立ち読みをするにしてもさすがに遅すぎると、連絡を取ろうとスマホを見てしまったのが、優希にとっては運の尽きとなった。


 このメールのせいで、姉は自らの意思で失踪したという扱いになり、警察のデータベースに一般家出人として登録されることになる。

 「一般」というのがみそで、事故や事件の可能性があれば、これが「特異行方不明者」という名称になり、警察の捜査が開始されるのだと、警察官は覚えたての知識を披露するようにたどたどしく説明をした。


 そのうえ、姉の残していったスーツケースが、彼女の計画性を裏付けた。

 1週間ほど海外旅行できそうな大きなスーツケースを開ければ、中には姉の私物はほとんどなく、すべてが甥の服や下着、ちょっとした絵本といったものばかりだったのだ。


「育児ストレスかもしれないですね、よくあるんですよ」


 本当によくあるのか、と聞きたくなる気持ちを喉元でぐっとこらえて、優希は左手に縋りついてくる小さな体温に視線を落とす。

 甥――康太郎という、どこか垢ぬけた見た目と反して古めかしい名前をつけられた少年は、不安をこらえきれない目でこちらを見上げてきている。

 もう6歳だったか。大人たちの異様な雰囲気だけに緊張しているわけではあるまい。存外、この世代の子供は大人の会話を理解している。


「……この子はどうしたらいいんですか?」


 甥の眼差しに耐えかねて、優希は視線を正面へ放る。


 その質問に答えたのは、ちょうど相談室に入ってきた、中年の温和そうな警察官だった。


「甥っこさんですよね? すぐにお母さんが戻ってくるかもしれないので、少し預かってもらうことはできますよね?」


 できませんか、ではなく、できますよね、と問いかけてきたことに、優希は頬が引きつるのを自覚した。


「こういうときは児童相談所とか、そういうしかるべきところに保護されるのではないですか」

「近親者の方がいらっしゃって、ただちに危険のない場合は、児相ではなく、まずは近親者の方のご協力をいただきたいのですよ。児相も手一杯なところが現状でしてね」


 中年の警察官は、若い部下が優希から聞き取った話をまとめた書類を無造作に手に取った。


「ご実家は福岡ですかぁ。旦那さんとは連絡がつかないのですか?」

「……姉は、シングルマザーで、相手の連絡先は知りません」


 警官の眉根に皺が寄るのを、優希は不快な感情とともに見つめた。ため息をつきたいのはこちらも同じだ。


「他のご家族は?」

「父は先日他界しました。母は私の小さい頃に離婚して家を出て、連絡先はわかりません。あとは親戚が遠方にいますが……」

「となると、ひとまずこのあたりにいらっしゃる血縁者の方は、北條さんだけってことになりますねぇ」


 だからなんだ、と優希は無意識に歯を食いしばっていた。

 血がつながっているという理由だけで、無条件に厄介事をしょい込めというのか。


 優希の顔色に反応してか、左手を掴む甥の指の力が強くなる。

 左側頭部がちりちりと痛んで、優希は小さな手を振り払って頭を押さえた。


「ただちに危険、ありますよ」


 は、と警官が目を少しだけ大きくした。

 優希は自虐的に口角を上げて笑ってみせた。


「きっと虐待しますよ。あの姉の子供だってだけで、十分に憎む対象ですから、何をしてしまうか自分でもわからない」


 払われた手を優希の太ももに伸ばそうとした康太郎が、びくり、と体を震わせて手を引っ込めた。

 その姿に胸が痛まないでもなかったが――不快感と、頭痛が勝った。


 中年の警察官が必要以上の緊張感をたぎらせた目で、康太郎と優希を見比べた。


 虐待というキーワードが世間に認知されて久しい。

 虐待死した子供を保護しなかった警察や児童相談所の怠慢を責められることも、珍しいことではない。


 結局その強烈なキーワードが覿面に効果を発揮し、康太郎はそのまま児童相談所に一時保護されることになった。


(……今日はたくさんしゃべって、喉が疲れた)


 何故か女性警察官に渡された心理カウンセリングに関するしおりを、帰宅してすぐに集合ポスト前に置かれたゴミ箱に放り込んだ。

 病んでいるのはお互い様だろう、と誰にでもなく毒づきながらリビングの扉を開くと、こたつの上に赤いストライプのカップが2つ並んでいるのが目に入る。優希は痛む頭を押さえつけたまま、それを燃えるごみの箱に放り込んだ。がしゃり、と陶器のぶつかり合う音を聞きながら、冷蔵庫を背にずるずると座り込む。

 いつになく、頭が痛んだ。

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