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北條優希が暮らしているのは、二子玉川駅からバスで10分ほどのところにある、8階建てのマンションの1室である。大きな窓からは多摩川が見え、その眺望の良さだけが売りだった。
デザイナーズマンションといえば聞こえはいいものの、実際は平成初期のバブル期に建てられた、古びたマンションである。
当時としては恐らく真新しく目に映った地中海風の外観も、今ではさして印象に残るものでもない。オレンジ色だったはずの外壁は、平成後期になってグレーに塗り替えられた。
派手な色を復活させなかった住民たちに、優希は少しだけ感謝していた。
7階の角部屋。2LDK。平米数では50にも満たないここが、現在ローン返済中の優希の城である。
姉との協議とも呼べない一方的な会話の末、父の遺産のほとんどを姉が総取りすることになった。父と同居して世話をしてきた姉の苦労に報いる、という名目で弟妹が遺産を放棄することは、世間ではよくあることらしい。
ちなみに『城』の頭金は、生前贈与の一環と見なされることになったようだ。
押印した協議書を姉に返送したところ、お節介な司法書士――父の同級生だという男――から電話がかかってきて、その旨を伝えられた。ほとんど生返事をしていたので、内容は覚えていない。
覚えている必要があるとも思えなかった。
優希の実家があるのは九州の田舎町だ。平成の大合併から取り残された小さな町で、しかし隣接する市のベッドタウンとして人口が増えたせいか、優希の幼い頃からそれなりに栄えていたと思う。
もっとも長らく根を下ろしてきた住民たちの意識が、その急激な発展に追いついていたかといえば、東京暮らしの長い優希には疑問に感じられる。
地方民に対する見下しという意味ではなく、彼らは彼らで単に保守的で、新しいものが嫌いだったのだ、と今なら冷静に判断できるというだけの話だ。
外国を見るような目で、優希は故郷を振り返る。
帰るべき場所はすでにない――生まれ育った実家は、今でも物理的に存在しているけれど。
姉が家と土地を相続した以上、あの箱はこれからも存在し続けるのだろう。
だが、もうずいぶん昔から、優希はそこに自分の居場所があると感じられなくなっていた。
だから自分だけの『城』を手に入れた。
父からは、頭金をやる代わりに二度と実家の敷居をまたぐなと言われていたし、これでよかったのだと思う。
側頭部をちくりと刺す痛みに優希は意識を取り戻し、目の前のコンロで湯気を立てるやかんを取り上げた。
珈琲だけはインスタントを使わない、というのが優希の習慣だった。
もともとこだわりの少ない優希には珍しい、唯一のくせのようなものだ。
湯を注がれて膨らむ粉を眺めていると、片頭痛が収まっていくのを感じる。1滴1滴、マイペースに滴り落ちていく珈琲のたまるのを待つ時間が、優希は好きだった。
(さて、仕事しますかね)
素っ気ない白いカップにたまった珈琲の香りを肺いっぱいに吸い込んで、優希はこたつに向かう。
窓は結露で白く曇って、外の寒さをうかがわせた。