非公開の日記と男子
僕は一昨日、16歳になったばかりだ。
僕は日記の書きかたも知らないので、思ったことを思った通りに書いていくことしかできない。
しかし、日記というものは、作家やエッセイストなどの特殊な例を除き、個人的に書かれたものである場合において、何を書こうが、どんな書きかたをしようが、それは書く側の自由であると思う……。
怪獣とマスタード
狂ったように咲く花は
狂ったように散っていく
彼らは世界に対してではなく
自分自身に対して意味を問う者たちだから
保留と中立という平和の毒牙に
誰も彼もやられ放題なのか?
彼女の微笑みは世情を写すものではなく
ただ憐れんでいるだけなのだと
ついには気づくこともなかった
すべて僕の話だし
すべては僕の事実上の問題でしかありえないはずだった
しかし、彼女が壊れていく様を僕は見守ることしかできずにいるのだから
責任放棄も同然だった
つまりは、気づかぬ内に僕は既に彼らの一員で
「わざと気づかないようにしてるだけでしょ?」という彼女の質問にも
僕は「わからない」と言うことしかしないのであって、それはもう本当に、
誠実さの欠片もない自己との邂逅に他ならなかった
おそらく「醜悪」とは、こういう時に使う言葉なのだろうと直感した
久しぶりだな
と濁った声が響きわたる室内
しかし、室内にいる人間は僕一人だけだった
……これは日記なのだろうか?と思い、考えてみたが答えは出ない。
なので最後に今日の日付けと曜日と、僕の名前を添えておく。
明日からも日記を書いていくとすれば、少しずつ「日記」というものへの理解が、僕の中で深まっていくのかもしれないが、正確なことは今の段階では何一つとして、わからない。
4月19日 月曜日 畠山倫太郎