斎木学園騒動記10-6
「どいてろふたりとも、弥生たちも手を出すなよ」
沢村と省吾を横へどかせて、一郎は前へ進み出た。
兄と妹が、改めて向かい合う。
「和美・・・訳わかんねえ話だけどよ、どうやらオレたちは兄妹らしいぜ」
ため息まじりで一郎はぽつり、と話かける。
だが和美の目は虚ろなまま、その声が届いているのか判らない。
「色々寂しい思いをしたり、辛い目にあってきたんだろう、お前」
構わずに、一郎は言葉を続ける。
はたから見れば、その姿はスキだらけであるため、兵藤が襲いかかるタイミングを図っているのだが、弥生、陽平、明郎らがしっかりにらみを利かせているため、それができないようだった。
ダニーにしても、これ以上おかしな真似ができないよう、沢村と省吾が神経をとがらせている。
ふたりの会話の邪魔をするものはいなかった。
ふ、と一郎が柔らかい表情に戻る。
「もう、大丈夫だぞ」
そして、すぐに笑みを浮かべた。血だらけ、アザだらけのすごい顔だが、見るものを安心させるたくましい笑顔だった。
「今度こそ約束する。オレがお前を守ってやる、どんな奴でももう二度と負けねえ!」
ふつふつと、身体の奥底からあふれてくる「もの」を言葉に乗せて、語っているようだった。
一郎の全身から、熱気のようなエネルギーを感じる。
それは物理的な圧力を伴った迫力として、見る者に迫って来た。 一郎はこの瞬間、何かが変わったのだ。
その「何か」を具体的に説明することは、彼自身にも難しい曖昧なものだ。しかし、確かに何か彼の内部で変化したものがある。
『一皮むける』
そういう言葉があるが、正に今の状態がそれであろう。人生の中で何度も無いことだが、それが一郎にとって今だったという事だろう。
ついさっきまでとは別人の一郎が、そこに立っていた。
その一郎の気迫に押されたか、和美の目にとまどいが浮かぶ。
目の前に立つ兄の強烈なオーラに、妹としての潜在意識が恐怖しているのかもしれない。
あるいは、ダニーの暗示が解けかかっているのか。
その気配を感じて、ダニーが苛立った。
「ええいティンク、何をしとるかっ! その死に損ないをもう一度殺してやれい!」
その命令に、びくん、と身をすくませて和美はうなずいた。
そして掌を一郎へ向けてかざし、そこから念力の放射を行った。
「おお!」
次の瞬間、その場の全員が目をむいた。後方へ吹っ飛んだのは、和美の方だったのだ。 一郎は、平然とそこへ立っている。
「何と!そんなばかな・・・ティンクよ、もう一度じゃっ」
ふらりと立ち上がった和美は、腰を落とし、思念を集中する。
だが、
今度も一郎は微動だにしなかった。
和美の能力が不発な訳ではない。その証拠に、一郎の背後の壁には巨大な亀裂が走っているではないか。
一郎の周りに、見えないバリアが張られているかのごとく、サイコキネシスのパワーがよけていくのだ。
そして、それは和美自身にはね返っていく。
またも吹っ飛んだのは、和美の身体であった。
ダニーは唖然とした。
「ばかな、たとえ百パーセントではないにしても、ティンカーベルのESPをはね返すとは・・・信じられん! もし貴様がエスパーだったとしても、彼女以上の力を持っているはずが無い!」
「そんな事オレの知ったことかっ!」
一郎は鋭く言い、和美をにらみつけた。
「おい和美、いい加減にしねえか! いつまでもこんなヤロウの操り人形になってるんじゃねえよ」
うつろな和美の目が、一郎の瞳に焦点を合わせるのを見て、ダニーの顔が歪んだ。
「暗示を解くつもりか? できん、それだけはできん! こと催眠能力で、わし以上の力を持つ者はおらんっ!」
ダニーは繰り返し叫んだ。しかし、その目が絶望に沈んでいく。 一郎と見つめ合う和美の瞳には、段々と意志の光が輝きだしたのだ。それとともに、唇も動き出す。
「そうだ目を覚ませ、お前はティンカーベルなんて名前じゃねえ、相沢和美だ。オレの妹だ!」
「お・・・」
ぽつり、と和美の唇が動く。
「──お兄ちゃん?」
はっきりと、言葉を紡ぎ出す。
ぱちり、と大きくまばたきをして、和美のつぶらな瞳にきらりとした輝きがよみがえった。
それを見たダニーは、はっきりと自分の暗示が打ち破られたことを知った。苦痛を受けたように、その黒い顔が歪む。
「おのれっ」
短く吐き捨てると、手にした銃を一郎にポイントした。
「一郎っ、あぶない!」
弥生たちが悲鳴をあげる。
しかし、ダニーは引き金を引かなかった。一瞬、その身体が硬直したのである。
「貴様は! そうか、このガキの能力は──」
そのスキを、沢村は見逃さなかった。一撃必中の銃弾を胸に受けて、ダニーは床に沈んだ。
驚愕に見開かれた目は一郎を、いや、その背後の空間を見つめてダニーは口をぱくぱくさせた。
「何よ? あれ──」
それに弥生が気づいたが、すぐにその視線は和美へ向いた。
「みなさん!」
はっきりとした口調で、和美は言った。
そのつぶらな瞳には生気が満ち、ぎくしゃくした非人間的なぎこちなさは跡形もない。