斎木学園騒動記1−4
☆ ☆ ☆
弥生はもうヤケになっていた。放課後の人気の無い資料室に閉じこもり、多少変色したファイルをめくっていく。
「これも違う!」
かなり荒っぽくファイルを棚に放り込むと、次のファイルを引っぱりだす。
弥生が今読んでいるのは、全校生徒のプロフィールであった。
一人一人のデータがすさまじい細かさでまとめてあり、実に、百科事典並みの厚さがあるというシロモノである。
例の少女、相沢 和美のことを調べているのだが、まるで見当たらない。
「あ〜、もう!イライラする!」
ついに弥生は叫び声を上げ、ファイルを放り出した。
「やっぱりあのコ転入生かなー、でも転入生が来たなんて話も聞いてないし・・・」
ファイルを棚に戻すと、弥生は思いきりのびをした。首を回すとポキポキと小気味よい音がする。
「あー疲れた。アイスでも食べに行くっかな〜」
大きなあくびをしつつ、かたわらに立て掛けた愛用の木刀『修羅王』を片手に、廊下に出る。
その瞬間、弥生は息をのんだ。
時刻は午後五時半をまわっていた・・・・・
この新校舎の二階には弥生ともう一人、相沢和美の他は誰も見当たらない。
彼女・・・和美は窓にひじをついて遠いところを見ていた。
遠いところ。
あるいは、その瞳には何も写っていないのかもしれない。
その横顔を見て、弥生は声をかけることもできず、その場に立ち尽くしていた。
夏の夕方 けだるい午後 静まりかえった廊下 放課後の教室・・・・・
かすかなセミの鳴き声と野球部の声・・・・・
蒸し暑い空気が、ねっとりと身体にからみついてくる廊下に無言で立っていた。
弥生はその少女の横顔に見惚れていたのだ。
絵になる。
和美がそうしている様子は、おとなしいタッチで描かれたイラストを連想させた。声をかけて彼女を振り向かせるのは、その完成されたイラストを破り捨てるのと同じ事のような気がしたのである。
しばらくの間、そこの時間の流れが止まったようだった。
「・・・・・・・・・・・」
時間が動いた。
ふわっ、とやさしい風が弥生の前髪をゆらめかせる。
いつの間にか和美は目を閉じて、何かの歌をハミングしていた。
まるで、和美の歌声に合わせるように風が吹きはじめ、廊下の蒸し暑い空気を吹き飛ばしていく。
さらり、と弥生の黒髪が風になびいた。
気持ちの良い風であった、涼しくなるのはもちろんだが、心までがさわやかになる。
そんな風であった。
知らず知らずのうちに、弥生は微笑みを浮かべていた。
自分でも気づいていないが、すごくやさしい気分になっていたからだ。
その風に和美のセミロングの髪もゆれ、青い光を放った。
「えっ?」
思わず弥生は目をこすった。が、確かに和美の髪は青く輝いている。
髪自体が輝いているのだ。
と、ふいに和美はこちらを向いて、にこっと笑った。
その時には、すでに髪は光を発してはいなかった。
和美はぺろっと舌を出し、はにかんで、
「あは、やだあ、聞いていたんですか」
「え?あ、ご、ごめんごめん。あはははは」
弥生の笑顔は何かぎこちなかった。
「また会いましたね、島村 弥生さん」
和美、首をちょっと傾けて上目づかいで笑う。
弥生もつられて、にこっと笑う。それから少し考えて、
「あれ?なんであたしの名前知ってんの?」
弥生の質問に、なぜか和美はぴくっと身体を震わせたようだった。少し目を伏せたが、一瞬のことで弥生は気づかなかった。
「噂を聞いたんですよ、新聞部の編集長をやっていて、とても活発な人だって・・・」
はね上がったトーンの声で和美は言った。なんとなくごまかしているような気がしたが窓から入ってくる風になびく、和美の髪に弥生は目をうばわれた。
まただ。
“青い光を放っている、一体どうして?”
目の前の少女は、ひょっとすると妖精ではないだろうか。という考えがふいに頭に浮かんだ。
ばかみたいな想像だが、この娘の青い髪を見よ。
そんな考えを信じてしまうこともできそうではないか。
さわさわさわ・・・・
夏のそよ風が窓から入り込む。
暑かった一日が暮れようとしている。
ちょっとした沈黙がずいぶん長い時間に感じられ、たまらなくなって弥生は口を開いた.
「あ、そうそう、あたし今からアイス食べに行くんだけど一緒に行かない?」
「え?あの、今すぐですか」
「うん、あなた転入生でしょ、あたしが学校内から寮まで全部案内してあげる。お近づきのしるしよ、どう?」
「はい、お願いします!」
心底うれしいという表情で、和美ははしゃいだ。
「じゃ、行こうか」
と、弥生が振り向いたときだった。
どこから飛んできたのか、一匹の大きなスズメバチが弥生の首筋めがけて襲いかかった!
刺されたら命に関わる部分である。
それを見て、和美は目を見開いた。声にならない声! そして──────
次の瞬間、奇妙な事が起こった。
飛んできたスズメバチが、突然、空中で破裂してしまったのだ。
「ん?どうしたの?」
何も気づいていない弥生が振り向いて聞いた。
「いえ、何でもないんです」
そう言うと、和美はぴったりと弥生の後についていった。
何事もなかったかのように・・・・・