斎木学園騒動記7−2
☆ ☆ ☆
その音は、女子寮にも届いた。
「な〜によぉ、うるさいわねえ──まあた玉置クン?」
半分夢の世界にいる由紀がぼやく。
「さあ、何かちょっと違うみたいよ?」
こちらも、とろんとした目つきで弥生が窓を開ける。
すると、かすかに何者かが争っている音が聞こえてきた。
「まさか」
弥生はパジャマ代わりのスウェットのまま、修羅王を片手に廊下へ飛び出していった。
☆ ☆ ☆
しゃっ。
兵藤の貫手が、一郎の鼻先をかすめた。それをよけると同時に、一郎のボディブロ−が兵藤のみぞおちにめり込む。
しかし、顔を苦痛にゆがめながらも、兵藤は踏みとどまり、ヒジを一郎の横っ面に叩き込んだ。
一郎の身体が、大きく横へ飛ぶ。
吹っ飛ばされたのではない、自ら横へ飛んで、ダメ−ジを無くしたのだ。
三m程転がって、起き上がる。
「うわっ?」
その動きに合わせて兵藤も動いていた。一郎の目の前に立ち、起き上がった瞬間のあごを蹴り上げる。
ごつん、という音が響き、一郎の身体が二mも空中に舞い上がり、半回転して頭から落ちた。
兵藤は攻撃を止めなかった。ジャンプし、うつ伏せに寝ている一郎の後頭部を、全体重を込めて踏みつけたのだ。にぶい音がした。
「い、一郎っ!」
「一郎どのっ」
思わず、明郎と陽平が叫び声をあげる。それほどヤバい一撃であった。
────勝負は決まったか?
ぽん、と兵藤は軽く三m程飛びのいて、静かになった一郎を凝視し身構えていた。
自信がないのだろうか。それとも、山猫と呼ばれるだけあって、用心深いのか。
動かない一郎を、じっと兵藤は見つめていたが、
「おい、ずいぶんセコい真似をするじゃないか」
ぼそり、と一郎に声をかける。すると、
「ちっ」
と、倒れたままの一郎が舌打ちした。
「バレてたか。近づいてきたら、一発食らわせてやろうと思ったんだがな」
そう言って、一郎は頭をさすりながら起き上がってきた。
「おお!」
と陽平、明郎が歓声を上げる。
「さすが、一郎どの」
「普通なら死んでるはずだけどなあ──」
しかし、一郎は立ち上がり、平気で鼻血をぬぐっている。
兵藤もまた、そんな一郎の不死身ぶりを、当然のように受け入れているようだった。
冷やかな目で一郎を見つめる。
「そうだな、相沢乱十郎の血を引いてるなら、このぐらいじゃくたばるまいさ」
「じゃあ、どうする?」
一郎は問いかけた。ぎらっと兵藤の目がつり上がる。
「奥の手を、出す」
そう言った兵藤の内部から、目に見えない何かがにじみ出てくるような気配がした。
「?」
だらり、と兵藤は両手を下ろし、棒立ちになった。
その時、
ひいっ。
兵藤の目が反転して、白目をむいた。崩れるように、地面に膝をつく。
がはっ。
口から長いものがぶら下がった、生々しいピンク色をしたそれは、二十センチはある舌であった。
その舌がべろり、と動き、舌なめずりをする。大きく開いた口の中には、長く鋭い肉食獣の牙が、ぞろりと伸びていた。
は−、は−、は−、と荒い呼吸をしながら、兵藤は四つんばいになる。
その間に、ざわざわと剛毛が兵藤の全身を包んでいった。
一郎たちの目の前で、兵藤は変化したのだ。一匹の巨大な“猫”に。
獣人化現象!?
ひきいいいいっ!ひきっ!ひきっ!
発声器官も変化したのか、人間の発する声でも、普通の猫の発する鳴き声でもない不気味な声で、兵藤は雄叫びをあげた。
もはや、化け物だ。
ひきるりっ!
叫んで、山猫兵藤の身体がだしぬけに動いた。
一郎に真っ直ぐ突っ込んでいく。
たわんだバネが弾けたようなスピ−ドに、一郎は横へ転がることでかろうじてよけた。
「ひょおっ!」
だが、一郎の背中が血を噴いた。すれちがいざまに、山猫兵藤の前足が一郎の背をえぐったのだった。
「イテテッ、この野郎ォ!シャツが破れちまったじゃねえかよ」
一郎のへらず口を、山猫兵藤は無視した。いや、あるいは言葉が通じなくなったのかもしれない。
軽々とその身体が舞い上がるや、一郎に抱きつく形で飛びついていった。
一郎の表情がゆがむ。その両肩に、山猫兵藤のツメが深々と刺さって、さらに喉笛にはかみちぎろうとする牙が迫っているのだ。
ひゅうひゅうという呼吸音と、がちっがちっと牙をかみ合わす音が不気味だった。
「く・・・なめんなっ」
一郎はその両前足首をつかみ、強引に肩からひっぺがした。人間の姿でいるときより、今の兵藤の力はずっと強い。引きはがしたツメを、またたてられそうになる。
力比べでは、一郎が不利であった。
「むん!」
そう悟るや、一郎は突然後ろへ反った。反動と相手の力を利用して、兵藤を後ろへ思い切り投げ飛ばす。
しかし、
「やばい!」
と叫んだのは、投げ飛ばした兵藤がくるりと一回転して音もなく着地した所へ、誰かが走ってきたのを見たからだった。
「一郎、何してるのよ!」
「弥生か?このアホ、来るなっ」
「え?何?きゃあっ!」
いきなり現れた弥生に、暗がりから山猫兵藤が飛びかかる。その目は赤光を帯びて、まぎれもない狂気を表していた。
突然の攻撃に面食らい、珍しく女の子らしい悲鳴をあげた弥生だが、身に染みついた剣術が無意識のうちに身体を動かし、身を守った。
彼女の両手に握られた修羅王が閃き、兵藤の突進を受け止め、その喉に突きをめりこませていた。
スピ−ド、タイミング、共に申し分がない。
だが、それで兵藤がノックアウトされると思ったら大間違いだった。
きしゅうっ!
不気味な呼気とともに、その前足が振られた。
横なぎのその一撃を、からくも弥生はスウェ−バックしてかわした。ぴっ、とほっぺたがわずかに切れる。
その瞬間、ぞっと冷たいものが弥生の背を駆け抜けた。
“次、来る!”
思考が閃く間にも、二撃目が腹を襲ってきた。これはよけきれない。
“殺られるっ!”
弥生は死を覚悟した。
全身から力が抜け、冗談ではなく今までの人生が脳裏を駆け抜けていく。
「ぬおおおおっ!」
弥生の腹が裂かれる寸前、雄叫びをあげて一郎が山猫兵藤にショルダ−アタックを食らわせていた。
さっきまでとは、パワ−がまるで違う。
まるで車にはねとばされたように、山猫兵藤の身体は吹っ飛んでいった。
一郎、振り返る。
さすがの弥生も、青ざめた顔でへたり込んでいた。肩で息をしながらほほに触れる。
浅い切り傷だったが、ぬるっとした血の感触が手にからみつく。 それを見た一郎の目つきが変わった。
弥生ですら思わずぎょっとする。一郎がこんな顔をするのを見たことがないからだ。
一郎は、山猫兵藤に向き直る。
ざっ。
そこへ、兵藤は飛びついていった。
一郎は退がりもせず、ただ顔面だけを左手でカバ−した。
その腕に山猫兵藤は食らいついた。腕の骨がきしみ、ばきん、と枯れ枝が折れるような音が響く。
その音は二種類した。
一郎の左腕が折れた音と、一郎が右手でへし折った兵藤の左前足と。
きひいいいっ!
絶叫をあげたのは兵藤だけだった。一郎の腕から口を離す。
「兵藤、てめえはオレの最も嫌いな行為をした。それは───」
つぶやく一郎の髪が、ざわわっと逆立った。
ぎいっ!
折れている左前足をつかんで、一郎は兵藤の身体を地面に叩きつけた。
半円を描いて山猫兵藤は腰から落ち、長い舌を吐いてのたうつ。「オレの友達を傷つけたこと」
もう一回、兵藤の身体が半円を描いた。
地面に落ちた時、嫌な音がしてげはっと血を吐く。
「女の、それも顔を傷つけたことだ」
さらにもう一度地面に叩きつけようとした時、兵藤が力を振り絞って後足で一郎を蹴り飛ばした。
たまらず、一郎手を離す。
投げる途中だったので、山猫兵藤の身体は五mも吹っ飛んで寮の壁にぶち当たった。
「ぐう──」
その身体が、また変化を始めた。いや、元に戻っているのだ、人間の姿に。
猫の形態をとっている時が、兵藤の最高の戦闘体勢であるならば、それを破られた今、もはや奥の手は存在しないだろう。
一郎たちの見ている前で、みるみる獣毛が失せ、骨格も人間のそれに戻っていった。
「終わりだな、兵藤、てめえの負けだ」
完全に元に戻った兵藤を、一郎は見下ろした。




