斎木学園騒動記1−2
☆ ☆ ☆
喫茶店「すくらっぷ」は、あいかわらずすいていた。
今、アベックが出ていったから、店の中には、カウンターでコップをみがいているマスターがいるだけだ。 が、まあ、意外と常連客もいる店である。
あまり広くはないが、落ち着いた内装と清潔さ、そして人の良いマスターがいれるコーヒーと軽食の味が売り物である。
ただ難点なのは、不定期に店を休むことであろうか。
ふと、マスターのコップをみがく手が止まった。店内そなえつけのステレオから流れていたモーツアルトが終わったのだ。
マスター、しばらく思案してからレコードを替えた。
そのとたん、さっきまでのクラシックの渋いムードはどこへやら、突然店内はダンスミュージックで満たされた。
BGMの力とはすごいもので、店内の雰囲気も一変する。
「う〜む、やはりポップスの似合う店にすれば良かったかな・・・」
鼻の頭をかきながらつぶやくと、
RRRR・・・・
電話が鳴った。
「はい、『すくらっぷ』です・・・はい、沢村ですが・・・は?」
電話機を取ったマスターは突然大声を出した。
「本当ですか、そりゃ!・・・ええ、引受けましょう・・・まかせて下さい」
電話で応対する声に、尊敬の念が感じられるのは気のせいか。
待ちに待っていた出番がようやく来た、という表情で、マスターが受話器を置いた時、店先に黒いリンカーンが止まった。
少しして、このくそ暑いのに黒いスーツなんぞを着た男が三人、店に入ってきた。
外人だ。
冷房が効いていても、暑っ苦しくなるような巨体である。椅子に座ったらこわすんじゃないだろうか、などとマスターは心配した。
が、一応商売だ。にこり、と笑って、
「いらっしゃいませ、御注文は何にします?」
「黒い風・・・・」
三人の中で、一番背の低い男(といっても、180cmはある)が、低い声で言った。
マスター、少ししかめっツラをして、
「ブラックコーヒーですね」と、さっさとドリップを始めた。
ダンスミュージックの流れる店内に、びりっとした空気が満ちる。
「フッ、この店は意外と騒々しい雰囲気なんだな、ミスター沢村?」
「あんたらが来る直前からだよ・・・オレに何の用だ?」
ポタポタ落ちるコーヒーを見つめて、沢村は聞いた。
「『やつら』が動き出したのだ」
男はつぶれたような声で話し始め、ばさっ、と持っていた書類をカウンターに放り出した。
その一番上に書かれた三文字。
『F O S』
「FOSが相手の仕事・・・君にふさわしいと思うがね」
沢村は無言で、湯気をたてているブラックコーヒーをカウンターに並べた。
誰も手を出さない。
「皮肉かね、沢村?」
「何が?」
「今は真夏だ、できれば氷を浮かべたアイスコーヒーが望みなんだが・・・」
「冷めないうちにどうぞ、CIAの皆さん」
沢村が言うと、男たちの一人が無造作にカップを口元に持っていき、熱〜いコーヒーを一気に飲み干してしまった。じろり、と沢村をにらみつける。
沢村は肩をすくめた。
「お見事」
「話を元に戻そうじゃないか、沢村。君もこの話には興味があるのではないのかね?どうだ、引き受けてもらえるか?」
沢村は、ぱらぱらと書類をめくって、一つの写真に目を止めた。
くりっとした瞳の可愛らしい娘が笑っていた。
「残念だがパスする」
「何だと!お前がこの仕事を受けない?」
がたっ、と三人の男が立ち上がる。
「落ち着けよ、もう別の依頼人からこの件については聞かされていたんだ」
両手を上げて、沢村は男たちをなだめた。
緊迫した店内に、別の客が入ってきたのはその時だった。
「あー暑ィ・・・お、なんかすげェお客さんがいるなあ」
額の汗をぬぐって、一郎はぐるりと店内を見回す。その後から、
「でもいい店だよ、うん、女の子と来たいもんだね」と、明郎。
「そうでござるな、あ〜涼し」と、陽平。
悪ガキ三人組が入ってきた。
「いらっしゃいませ、何にします?」
にこやかに沢村は一郎たちに話しかけたが、内心おだやかではなかった。
おかしなことにならなければ良いのだが・・・・
そんな沢村の不安をよそに、悪ガキどもはにこやかにメニューを選ぶ。
「お前ら何にする?オレはアイスコー・・・ひええ、この暑いのにホット飲んでるヤツがいるのか!」
テーブルの椅子に座りかけた一郎、半分あきれて大男たちを見る。
じろり、とにらまれて明郎はビビッたが、陽平はにらみ返し、一郎はニヤリと笑いかけた。
「マスター、アイスコーヒーみっつ。かき氷は無いのか?」
「すまんね、ウチは氷はやってないんだ」
「そりゃ、残念」
一郎はアイスコーヒーが来るのを待つ間、大男たちをじろじろ見ていたが、ふいに立って声をかけた。
「なあ、あんたたち刑事か?」
三人の男たちは互いに顔を見合わせた。
「いや、どうしてだね?」
背の一番低い男が聞いた。立てば一郎と身長は変わらないだろうが、肩幅や胸の厚みなど、体重は一郎よりはるかに重いだろう。
ちょいと殴れば、一郎など軽く吹っ飛ばせるに違いない。
ふん、と一郎は鼻を鳴らした。
「においがするんだよ、暴力を商売とするヤロウのな。それに、胸の内側に入ってるモノとかな・・・あんたら刑事なんかじゃねえな」
その言葉を聞いたとたん、急に男たちの目つきが変わった。そこらのヤクザなんてもんじゃない、長年続けてきた殺し屋としての人生が、自然にこんな目つきをさせるようにしてしまったのである。
「おい、一郎・・・あまり刺激するなよ・・・・」
と、小さな声で明郎が言った。しかし、一郎は聞いていない。
「ははん、目つきが変わったな、冗談のつもりだったのに図星かよ、てめえらプロだな」 とたんに男たちは立ち上がり、手を上衣の内側にすべりこませていた。
むっ、と殺気が店内に満ちる。
「貴様、一体何者だ!」
「オレはただの高校生さ」
気取っていう一郎に、男は拳銃をむけた。
「うそをつくな!一目で我々の素性を見破るとは、ただ者じゃあるいまい・・・・貴様、FOSか!」
一郎と、後ろで成り行きについていけず、小さくなっている明郎と陽平はきょとんとしてしまった。
「えふ おお えす?何だ、そりゃ?」
「とぼけるつもりか?」
男は拳銃を一郎に押しつけた。しぶしぶ一郎はホールドアップする。
そして、男は例の書類を片手でひらひらさせて言った。
「お前のことは調査ずみだ、兵藤よ、その若さで世界トップクラスのヒットマンだそうだな。今回の日本での活動の邪魔になるミスター沢村を消しに、この店にきたんだろう?」 ペラペラと男はしゃべり出すが、もちろん一郎たちは何のことだか判らない。
「兵藤だと?オレの名は相沢一郎ってんだ。訳のわからねえ事言ってんじゃねえよ」
「アイザワ・・・・?」
成り行きを見守っていた沢村は、口の中でつぶやいた。
どうも話がおかしくなってきた。
まあ、トラブルメーカーの一郎にとって、ちょっとしたいざこざ程度なら日常茶飯事だからたいして気にもしない。
しかし、今回は少し様子が違うようだ。
拳銃を突きつけられてなお、一郎はふてぶてしさを失っていないが、男が書類をめくり一枚の写真を見せつけてきたとき、かすかに表情が動いた。
「何だよ、この女のコは?」
「質問するのはこちらだ。FOSはこの娘を手に入れてどうするつもりなのだ!」
つばを飛ばして、男は叫んだ。
「あのな・・・・」
静かに一郎はささやいた。明郎と陽平がその様子を見て、顔を見合わせるや、すぐさまテーブルの下にもぐり込んだ。
ざわざわっ、と一郎の髪の毛が『逆立って』いく。
「FOSだのなんだの、知らねーって言ってるだろが!」
叫ぶと同時に、一郎は爆発した。
銃を突きつけていた男の顔を思い切り殴りつけて、同時に書類を奪っていた。机をハデにひっくり返して、巨漢が床に転がる。
「ついに始まったでござるな」
「いつもの事だけどね」
テーブルの下で明郎と陽平は、ひそひそとささやき合った。
たまらないのは沢村で、このままじゃ店が破壊されると思い、CIAの二人と一郎の間に割って入った。
「待て待て!オレの店の中で暴れるんじゃない!話せば判る・・・うわっ」
すっかり頭に血の昇った一郎は、沢村の頭上を飛び越え、残る二人に襲いかかった。
一郎、空中から一人にタックルして床に倒しておき、もう一人に向き直った。が、男はすでに拳銃を手にしていた。その目に恐れの色が見える。
「き、貴様、やはり兵藤だろう・・・その身のこなし」
男は最後までセリフを言う前に、殴りとばされていた。
沢村に。
「まっ・・・たく、いいかげんにしろ!ここはオレの店だっ!」
温厚そうなマスターの目が、抜き身のナイフの鋭さを秘めた危険なものに変わった。
「おい、これ以上暴れるなら『黒い風』はCIAの敵にまわるぜ」
沢村ににらまれて、三人の男たちはしぶしぶ立ち上がった。
「だがミスター、その少年はどうするのかね?」
鼻血をぬぐいながら一人が言う。三人とも血まみれである。
「この坊やには、ちょっと話があるのさ。いいからお前らは立ち去れ!」
沢村の一喝で、三人の男たちはふらつきながら店を出ていった。
リンカーンが走り去るのを確認して、沢村は一郎に向き直った。
びくっ。
一郎の背筋を冷たいものが走った。直感的にこの男の強さを知ったのだ。
今出ていった三人とは比べものにならない。
知らず知らずのうちに一郎は身構えていた。
「やるのか?」
一郎は言った。
それを聞いて、沢村は吹き出した。と、同時に殺気も消え、人の良いマスターの笑顔になっていた。
「何言ってるんですか、お客さん。御注文はアイスコーヒーでしたね?」
にっこり笑って、沢村は軽々とカウンターを飛び越え、グラスを用意した。
もぞもぞと、テーブルの下から明郎と陽平が這い出てくる。
「一郎、一体どうなってるんでござるか?」
陽平が聞くが、一郎は訳わからん、という顔をしてみせた。
「これは何だい?」
そんな一郎から、明郎は先ほどの書類を受け取り、目を通してみた。
とたんに明郎の目が点になる。
その資料は全て英語で書かれていたのだ。
「オレに貸せ」
一郎はパニックしている明郎から書類をひったくった。
「読めるのか?」
グラスにアイスコーヒーを注ぎながら沢村が声をかけた。
「バカにすんなよ、オレはアメリカ育ちだぜ」
あまり成績の良くない一郎の、唯一の救いが英語であった。
かなりの早さで一郎は読み進んでいく。
ある程度読んだところで、一郎は沢村の顔を見た。沢村はアイスコーヒーを運んでくる途中だった。
「こいつは何の冗談なんだ?」
あきれたように、一郎は書類をテーブルの上に放り出した。
ぱらぱらっとめくれて、例の少女の写真が見える。
その横に、こう書かれていた。
『KAZUMI・AIZAWA』