平原のドラゴン
旅人がいました。
男です。
白髪ですが、彼はまだあどけなさの残る若い男でした。
遠目から見ると老人に見える彼の髪ですが、――白ではなく銀だ――と言い返す程度には、彼は自身の髪の色に愛着を持っていました。
林の中を歩く彼の荷物は、背中に担いだリュックと、腰に提げた小さなナイフ(戦闘用ではない)だけで、旅人にしては身軽な装いをしていました。
そんな旅人の傍らに、一匹の猫がいました。
オスです。
黒猫ですが、猫は自身の体毛の色などどうでもいいと思っていて、黒い毛にさして愛着も持っていませんでした。
林の中を歩く猫の荷物はありませんでした。猫なので。
その代わりに、猫は宝石のように輝く金色の瞳を持っていて、水面に自身のその瞳が映り込む度にうっとりと惚けるように見つめる程度には、猫は自身の瞳の色に愛着を持っていました。
一人と一匹は、並んで、林の中にある小さな道を歩いていました。
真っ直ぐ伸びた一本の道です。
暖かい季節の昼過ぎでしたが、木陰の多い林の中は少しひんやりとしていました。
「なぁ」
黒猫が言いました。
鳴いたのではなく言いました。
おい――とか、ちょっと――と呼び掛けるよう、旅人に向けて言い放ちました。
突然呼ばれた旅人は、歩みは止めずに黒猫の方へと顔を向けました。
「にゃあ」
旅人が鳴きました。
言ったのではなく鳴きました。
旅人は猫ではないので猫語は喋れませんが、黒猫に向けて鳴き放ちました。
「馬鹿にしてるだろ?」
憤慨だと、黒猫が露骨に顔をしかめました。
旅人は、愉快そうに小さくわらっただけで、決して驚いたりしませんでした。
猫が人の言葉を流暢に話し出したら、普通は驚くものですが、旅人はそれが当たり前みたいな顔をして、黒猫と並んで林の中を歩き続けました。
にゃあにゃあと鳴きながら歩く旅人に、黒猫は白けたような眼を向けました。
けれども、黒猫の瞳は自分で惚れ惚れするような金色をしていました。
なので、白けた眼もそこそこに、黒猫は小さく嘆息だけしてそれ以上は言葉を発しませんでした。
しばらく一人と一匹は、お互いににゃあにゃあと言い合いながら歩きました。
静かな林に、にゃあにゃあと云う鳴き声が響きます。
にゃあ。
にゃあ?
にゃあぁぁ。
言葉は同じでも、毎回ニュアンスが違います。
まるで会話でもするように、互いに鳴き声をあげ続けました。
なんと言っているのか、旅人には分かりません。
旅人は猫ではないからです。
なんと言っているのか、黒猫にも分かりません。
そのにゃあという言葉に、意味なんてなかったからです。
飽きたのか、旅人が鳴くのを止めたので黒猫も鳴くのを止めました。
けれど、一人と一匹の歩みは止まりません。
林の中の真っ直ぐな道を真っ直ぐ歩いていました。
「この先に村があるね」
旅人が言いました。
黒猫がその金色をした瞳を僅かに細めて、旅人の顔を見上げました。
「知ってる」
「知ってたら言いなよ」
小さな溜め息混じりに言った旅人の様子に、黒猫が毛を僅かに逆立てました。
それから黒猫は、軽い身のこなしで器用に旅人の体をよじ登ると、その肩に体を預けました。
そうしてそこで、思いっきり息を吸い込みました。
「にゃあ!!!」
旅人の耳元で、黒猫は力いっぱい鳴きました。