ストーカー・ミーツ・ストーカー2
塩入渚の家は、最寄り駅から五分ほど歩いたところに突然現れる住宅街の一角にあるマンションだった。
時刻は二時半、夕飯の買い物に出かけるには早くサラリーマンが帰宅するには早いためか、近くの公園から子供たちの歓声が漏れ聞こえるくらいで人通りも少なく静かだった。
マンションのエントランスで塩入渚は勢いよく振り返った。私は彼女の背後にいたので、ぶつかる!と思い思わず立ち止まった。すごく至近距離で、彼女と見つめ合うことになってしまった。
彼女は小さく深呼吸をした。
「・・・穂積さん、よね。」
「うん。久しぶり。」
死んだ私には口の概念も無い。声が出せるのかはわからないけれど、彼女に伝わるよう念じてみた。
「私のこと、見えてるんだね。塩入さん以外、誰も見えなかったんだけど。」
「ばっちり全身見えてるよ。幽霊どころか、実体がはっきりあるんじゃないかってレベルで。幽霊って透けたりするんじゃないの?」
どうやら会話は成立。しかも、私自身が認識できない私の姿がはっきり見えているという。となると気になるのは、
「えっと、私今どんな格好しているように見える?」
「・・・?いつも通り制服着てるけど。」
良かった、真っ裸で出歩いていたらどうしようかと思った。幽霊になっても羞恥心はある。
それにしても、制服とは。死んだときに私が着ていたのは私服だった。死んだときの服装が反映されるわけではないんだな。幽霊の世界についてはまだまだ知ることが多い。
塩入渚は普通に私と会話をしてくれているけれど、少し震えているように見えた。まあ、死者と向き合うなんて私が生きていてもできれば避けたい。それが知り合いだとしても、恐怖心だって出てくるだろう。語気が私の記憶する彼女のイメージより荒いのは、自分を鼓舞するためなのかもしれない。
「私、自分の姿が見えないんだよね。よくわからないものから世界を見渡しているから視界は広いし、音も聞こえるし、匂いもわかるんだけど、寒さは感じないし当然何かに触ったりとかもできないし。」
「あ、そう・・・なんだ。」
塩入渚は私の後ろあたりに視線を泳がせた。あまり会話が長引くと、彼女は一人で空に向かって話しかけているヤバイ人と見られてしまう。そういう迷惑はかけたくない。でも、せっかく出会ったコミュニケーションが取れる人間だから、もう少しおしゃべりを楽しみたい。
「塩入さん、あいつのこと好きなんだよね?」
とりあえず、彼女が一番食いつきそうな話題を投げかけた。彼女の表情が一変するのを見て、私が投げ込んだ話題がメジャーリーガー級の剛速球であったことを察した。
「ねえ、私についてきたのは別に呪ったりするためなんかじゃないのよね?」
「まさか。なんの恨みもないし、仮に恨みがあったとしても呪い方とかわかんないし。」
言われてみれば幽霊には呪い殺すだとか祟り殺すだとかのイメージがあるけど、そういうスキルっていつ身に着けるんだろう。死んだら自動的に付加されるものではなさそうなので、選ばれし者のみに与えられるとか、幽霊レベルが上がるとスキル開放みたいにできるようになるものなんだろうか。
私の返答を聞いて、塩入渚の表情が少し緩んだ。そう、まったく危害を加える気はない。話し相手が欲しいだけ。両手をあげて武器を持っていないことをアピールするようなイメージをしたら、彼女の口の端に少しだけ笑みが加わった。どうやら、私のイメージ画像は彼女に投影されているようだ。
「てっきり、田井君のことが好きな女が許せなくてついてこられたのかと思ったんだけど。」
「え、そんなとんでもない。私が見えそうだったから、話せるかなってつい・・・」
幽霊が良いことした話って無いのだろうか。どうも幽霊の諸先輩方のイメージが悪すぎて、なんの悪意が無くとも悪い方向に捉えられがちだ。私も新米幽霊ながら、幽霊に良いイメージは無い。私がお仲間を見かけないのも、あまりに良いイメージがなくて皆さん姿を隠していらっしゃるのだろうか。
塩入渚はもう一度背後を確認し、ふっとため息を吐き出した。
「それなら、私の部屋で話をしない?田井君のこととか、聞きたいことがあるのよね。」
知人レベルを部屋に招き入れることすら危うい昨今、知人の幽霊を部屋に招き入れるとは、結構肝が据わっている。これも恋心ゆえなのか。
なかなかすごい女に好かれてるじゃん、と「彼」のことを少し見直した。少し寂しい気もするけど、死んでしまった私に「彼」の今後の人生をどうこうすることはできないし、「彼」が幸せになってくれるなら本望だ。
そう、別に私は「彼」に不幸になってほしくていじめていたわけではない。むしろ、「彼」の幸せをいつも祈っていた。
住民の何人かとすれ違ったが、特に挨拶など交わすことなく塩入渚は一つのドアの前に立った。招かれざる客の侵入を防ぐかのように、玄関には色とりどりのハイヒールが進路を塞いでいた。
招き入れられた塩入渚の部屋は五帖くらいのこじんまりとした部屋で、ベッドと学習机と本棚とクローゼットでほぼ部屋が占められていた。片付いてはいるが、モノが多くて雑然とした部屋だ。ベッド脇の壁にはフックが二つあり、一つに制服がかかっていた。ベッドの上のテディベアは、そこしか居場所が無いと言わんばかりに居心地悪そうに佇んでいた。
適当に座ってと言われたけど、体の概念が無いからどうしていいのかよくわからない。ただ私がこういうポーズ、と考えるとそれが塩入渚の目に映る私の姿に反映されるようなので、ベッドに腰掛ける自分を想像した。なんとかうまく見えているようだ。
「お茶もお菓子も出せませんけど。」
「私も手土産無いし気にしないで。」
幽霊ならではのブラックジョーク。
彼女は私の脇をすり抜け、ベッドに膝をついてもう一つのフックにコートをかけた。壁が埋まることで、部屋により閉塞感が増す。そして勉強机の前の椅子を引っ張り出し、私がいるベッドに向き合うように座った。ひざ丈のスカートが遠慮がちにふわっと揺れて、女の子らしくていいなと思った。
「単刀直入に聞くね。なんで穂積さん、死んだの?」
「うーん、発作的衝動的な、彼に対する嫌がらせかな。」
「予想通りすぎて外れてて欲しかったわ。」
額を抱えられてしまった。漫画のような大げさなリアクションではなく、心底呆れている感じが伝わってきてつらい。馬鹿を面と向かって馬鹿にされるより、呆れられる方が心的ダメージは大きい。
「もちろん、田井君に与えるショックが大きいのは自覚してのことよね。」
「うん。」
「よくわかんないんだけど、お二人の関係ってどうなってるの?」
塩入渚の目に、もう恐怖心は無かった。迷いのない真剣なまなざしが私をとらえる。
「まあ、いじめっ子いじめられっ子?」
「たしかにそうだけど、田井君嫌がってないし。普段を見てると、彼がマゾヒストってわけでもなさそうだし、穂積さんだって田井君にだけでしょ、あんな態度取るの。他の人にはむしろ親切だし人当りもいいじゃない。」
「あ、ありがと。」
さすが受験時に委員長なんて面倒なことを引き受けちゃうしっかり者、人を見る目もしっかりしている。
「だからわかんないの。二人の関係が。田井君に聞いても、仲良くしてもらってるだけだよーって言うだけだし。」
「それ、マジで腹立つんだよね。こっちはいじめてるのにさ。」
こっちは一生懸命いじめているのに、腑抜けた笑顔でいるから腹が立ってますますいじめてしまう。たまにいい反応があると嬉しくなるけど、あれ、なんか抜け出せないループみたいになってるな。
「要は、歪んでるよね、関係が。」
「はあ。」
そう言われると、返す言葉も無い。
「なんでそうなったのか教えてもらうことってできる?田井君のプライベートに、踏み込みすぎかもしれないけど。」
「踏み込んでいるといえば・・・そうなんだろうけど。でも、私との関係も終わりだし、あいつには幸せになってほしいし、塩入さんを応援する意味で話そうかな。」
塩入渚は目を丸くして私を見た。あまりにもすんなり話が行き過ぎて、びっくりしたようだ。
「いや、死んでからやることないし家の周りをうろつくくらいしかしてないんだけど。私の葬式終わってから、塩入さん毎日あいつの家に押しかけてたでしょ。ガッツあるなあ、って感心してたんだよね。あ、本当に馬鹿にしているわけじゃないのよ。一生懸命で、本当にあいつのことが好きで、こういう子があいつのそばにいてくれたらあいつも変わるんじゃないかなあって思ったのよ。」
「変わる?変わらせたかったの?」
「うん、そうだね。」
こんなこと話したら、さすがに怒られるかもしれないけど。もう死んでるし、いいや。
私は塩入渚に、「彼」との思い出話をすることにした。