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サディスティック★ゴースト  作者: 猫宮千世子
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私が死んだ日-1

思いがけない結婚の約束から五年。私は十七歳の、高校三年生になった。


「彼」との付き合いは続いていた。

学校はずっと同じ。クラスは一緒になったり離れたり。

共通の話題には事欠かない間柄ではあったものの、性別が違えば友達も違い、学校ではほとんど話さなかった。

けれども家に帰れば勝手知ったる感じで「彼」は私の部屋によくやってきた。そのままうちのおやつを平らげ、一緒に勉強をし、夜になると帰っていく。お互い体は大きくなったものの、関係性は全く変わっていなかった。私は「彼」をいじめ続けた。「彼」のリアクションは日によって良かったり悪かったり様々で、私はどうにかして最大級のリアクションを引き出せないか頭を悩ませる日々だった。これでも恋に勉強に部活にと忙しい現役女子高校生、暇なわけではないのだけれど。

一つだけ大きく変わったのは、婚約の真似事をした夏の終わりに、私は彼のことが大嫌いになってしまって今もそれは変わらないということだけだ。

それでも私は過去の約束を面と向かって破棄することはなかった。その約束は私の心の中に常に在りながらも、処理のできない廃棄物として留まり続けた。


時は受験シーズン真っ盛り。一週間前に降った雪は影も形もなくなり、比較的恵まれた天気だった二月初旬の某日。


「飽きないね。俺のこといじめるの。」


数学の問題集に向かって、「彼」はぽつりとつぶやいた。私は古文のテキストから顔を上げて「彼」をちらりと見た。


「ライフワーク・・・惰性みたいなものね。」


私は古文の現代語訳に取り組んでいた。数学は苦手で、早々に受験科目からは外していた。


「俺をライフに組み込んでくれてるんだ。それってプロポーズ?」


「勘違いも甚だしい。惰性って言われて喜ぶな。」


彼は問題集に向かってふふっと笑った。軽快なペンの音から、彼が雑談をしながらも順調に計算式を解いていることが伝わってくる。三代目のペンだ。そのペンの先代も先々代も私が折ってお亡くなりになっている。


「入試前日にもふられるなんてね。俺、ショックで落ちたらどうしよう。」


「そんなことで落ちるなんて自業自得でしょ。いっそ落ちればいいのに。」


「落ちたら一緒の大学に行けないじゃない。」


「私が他の大学受けても一緒でしょ。あんたに合わす義理は無いんだから。」


カリカリと響くペンの音が止み、顔を上げると「彼」が私を悲しげな目で見つめていた。


「ほんと、七瀬は悲しいことばかり言うよね。」


「彼」は決して「どうしてそんなことばかり言うの。」とは言わなかった。ただ、事実をありのままに言葉にするだけ。それは奇跡的なことだと思っていた。「彼」が稀代の嘘つきであることを皆知らない。


「そういやあんた、同じクラスの塩入さんに告白されたらしいじゃない。」


「よく知ってるねえ。」


「あんたが有名人だからよ。」


「彼」が女の子に告白されるのはそれほど珍しいことではなかった。中学の後半から伸び始めた身長は百八十センチ近くになり、かわいらしい顔立ちはやや男らしく、思慮深そうな雰囲気も加算されていた。いつもにこやかで人当たりの良いところは変わりなかったから、人気が無いわけがない。

そんな「彼」をいじめ続ける高校三年生の私だったが、小学生時代の特権階級だった女版ガキ大将という位置づけに収まり続けることは年齢が許してくれず、周りからは異質な目で見られていた。人望もあり優秀で運動能力も高いくせに、いじめを受け入れてにこやかにしている「彼」も、やはり異質な目で見られていた。ただ、一見被害者の「彼」を救おうとする女子は一定数いたので、そういう女子からは敵視されていた。とはいえ、昭和の「●●君ファンクラブ」などというものが発足するような人気があるわけでもないし、私も「彼」以外の人にはまともに接していたので、大多数の事なかれ主義な同級生たちに囲まれ私も「彼」も平凡な受験生を謳歌していた。


「明日、一緒に出る?」


「何、蹴飛ばされたいの?」


彼は数式をスラスラとノートに書きこみながら笑った。蹴飛ばされることを微笑んで許容する姿勢も、数式を解きながら微笑む姿勢も、どちらも私には理解できないものだ。嘘くさいさわやかな笑顔は不気味にさえ見える。


「学部は違うけどさ、もし一緒の大学に入れたら一緒に住もうよ。」


私たちが受験する大学は、県を一つ越えたところにあった。通えなくはないけれど、片道二時間以上をかけて通学する気にはなれないので、合格したら大学の近場で住むところを探すつもりではあった。


「今更一緒に住んでどうするの。今と似たようなもんでしょ。」


「違うよ。そんなの、わざわざ言わなくてもわかるでしょ?」


小馬鹿にされたような苛立ちを覚え、再び「彼」を見た。相変わらず、腑抜けた笑みを浮かべながら数式を解いている。こちらを見ようともしない。

私は瞬間的にきれいな数式の並んだノートを引っ張った。勢いでそれまでノートと仲良くやっていたペンが弾き飛ぶ。そこまでは予想通りだったけど、予想と違ったことにペンが私の眉間に直撃した。


「いったぁ・・・」


「ほら、意地悪なことばかりするから。」


痛みに顔を歪め、額を押さえる私の右手を「彼」が掴んだ。


「何よ。」


「おでこ、見せて。」


「見たってなにも変わらないでしょ。」


「彼」の力は強く、私の右腕はいとも簡単に白旗をあげた。


「ちょっと赤くなってる。冷やす?」


「刹那的なもんでしょ。ほっといて。」


「彼」はまじまじと私の額を見つめ、その視線をそのまま下げた。当然、目が合う。なんとなく、逸らしたら負けな気がして私と「彼」はしばしにらみ合いの膠着状態となった。


「コブとかにはならなさそうだね。気をつけなきゃ。いじめるのに、自分が怪我しちゃ元も子もないでしょ。」


いじめられっ子に、身の安全を諭されるいじめっ子。


「いいのよ。私がやりたくてやってることに、口出さないで。」


くどいようだが、にらみ合いは続行中である。

この日の「彼」は少しおかしかった。まあ、受験を控えた受験生が情緒不安定になって普段と少し様子が違うくらいは一般的に見ておかしなところは無いのだろうけど、そういうのとは違っているように見えた。むしろ情緒不安定なのは最終模試にて合格判定Bという微妙な判定しかもらえず、本試験前日になってテキストを開いても頭に入ってくるのかこないのかわからず混乱気味になっていた私の方だったと思う。だからこそ、私の死は「受験ノイローゼ」で片づけられてしまったのだと思うのだけど。


「やっぱり、明日一緒に行こう?普段の七瀬はこんな失敗しないもん。」


「心配してるの?」


「心配することを責めないでよ。それくらいは自由にさせてよ。」


表情はにこやかだけど、少し言葉に怒気が含まれているように感じた。

あ、なるほど。

そのとき、「彼」に対する苛立ちとか受験に対する不安とか、そういったものが吹っ飛ぶほど頭がクリアになって、唐突に事柄を理解したこ。私はにらみ合いを続ける彼の首の後ろを掴み、引き寄せた。初めてのキスは、歯と歯がぶつかり合う、なかなか好戦的なものになった。


「どうしたの。」


久しぶりに、「彼」の驚いた顔を見た。ハイリスクハイリターンで臨んだけれど、悪くないリターンだった。


「俺、七瀬のこと好きなんだけど。」


「知ってる。」


いじめとしては的外れだということを言いたかったのだろう。


「私は、あんたが嫌いよ。そのしまりのない顔、大嫌い。」


私は微笑んでみせた。うまく笑えていれば。精一杯の強がりだった。


「じゃあ、なんで?」


「よかったじゃない。私のファーストキスはあんたのものよ。」


「意味わかんない。俺のこと喜ばせたいの?いじめたいの?」


「私があんたのこと、喜ばせようとしたことある?」


「質問を質問で返すのは良くないらしいよ。」


今度は私が襟首をつかまれた。二回目のキスは、とても優しかった。「彼」の唇が私の唇を軽くついばむように、包み込んでくる。唇が柔らかいということを感じられる、ちゃんとしたキスだった。これと比べると、一回目は単なる衝突事故だ。

二人して息を止めていて、唇が離れるとお互い大きな息を吐いた。激しいキスをしたわけではないのに、呼吸が少し乱れる。


「どんな気分?」


「最悪。キスの感想聞いてくるとか、テクニックに自信のある勘違い男みたいで気持ち悪い。」


その日、私と彼は何度もキスをした。お互いが何を考えているのかさっぱりわかっていなかったと思う。意思疎通なんて何もできていないのに、キスのときだけぴったり息が合った。お互いの首に巻き付いたり、背中に腕を回したり、まるで恋人のようにキスをした。そのときどんな感情だったか、思い出せない。

時計の針が八時を指したので、「彼」は立ち上がってコートを着た。

八時には私の家を出て自分の家に帰る。それは親との約束でもあり、身についている習慣でもあった。


「もう、あんたとはキスしない。」


「うん。」


「彼」はいつもの腑抜けた笑顔を浮かべた。


「絶対に、よ。」


「彼」はとても聞き分けの良い子だ。私が言うことが悪い結末になるとわかっていても、たいてい素直に「うん。」と言う。でも、この日はちょっと違った。

気にしなくていいという、私の額の心配をした。一度断ったにも関わらず、試験会場に一緒に行くことを強要してきた。そして、三回目のささやかな反抗。


「うん。でも、七瀬ちゃんがしたいときは、しよ?」


なんともこそばゆい感情が体中を電撃のように走り回り、勢いのままに「彼」を部屋から追い出してしまったようだ。気が付いたら、一人自分のベッドに寝転がって悶えていた。

試験日前日に、何やってんだか。大きく深呼吸すると、唇に彼の匂いが残っているように感じて、盛大にむせた。慌ただしく家を追い出された「彼」を見て普段と違う空気を感じたのか、心配したように母親が部屋の外から声をかけてきた。今更か、と思う。年頃の男女が締め切った部屋に長時間一緒にいるのだから、母親としてもう少し危機管理意識を高く持った方がいいんじゃないかと子供ながらに心配になるほどの暢気者だ。とはいえ、いじめっ子といじめられっ子という組み合わせでいるのだから、逆上した「彼」に私が刺されるというケースの方こそ心配した方がよいのかもしれない。

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