最後の夜
自称天使のおばちゃんは今夜だけ、と時間をくれた。残された時間でなんとか自分でケリをつけて来いということらしい。時刻は八時近く、あと四時間しか残されていないことになる。夜十時以降出歩けない高校生にはきつい時間帯だ。
「最後に好きな男にお別れを言ってきな。そのとき、その元クラスメートとかいう女の子にも協力してもらえばうまくいけば幼馴染にも姿が見えるかもしれないよ。」
本来生きている人間への干渉を勧めるようなことはできないから、とおばちゃんはそれ以上は教えてくれなかった。
もののついでに私の死んだ直後の記憶が無いことについて質問してみたら、
「自殺や事故みたいに不意打ちで死んだ人は、ショックを消すために二、三日記憶が無くなるなんてよくあることなの。自衛が働くんだろうね。あんたも自分が地面に叩きつけられてグシャグシャになったときの記憶なんて思い出したくないだろ?そういう霊は茫然自失状態になるから放っておいても害は無いし、たいてい現場からは動かないものなんだけど。あんたみたいに、たまーにお迎えの前に意識を回復させてフラフラする霊もいるんだけどこっちも人手不足でね。遅くなっちゃって不安にさせたことは謝るわ。」
と回答された。
なるほど、私の自衛本能にはこのまま是非頑張っていただきたい。自分で自分のグロ死体を見ることはもちろん嫌だし、叩きつけられたときの痛みを思い出すのも嫌だ。
ちなみに渚に私の姿が制服を着て見えるのは、彼女の持つイメージがそのまま投影されるかららしい。見る人間によって、たとえば最後に会ったのが小学生のときなどとなると、私の姿が小学生の姿で再生されることもあるらしい。そもそも、そうたくさん「見える」人に出会うことは無いのだけれど、とおばちゃんはため息をついた。生きている人に見えてる上がっつりコミュニケーションまで取ってしまったことは、相当イレギュラーな展開らしい。おばちゃんの言葉を借りて言えば、「始末書モノ」らしいが、それはおばちゃんの職務怠慢になるのか、身勝手に行動してしまった私が反省文的に書くことになるのか、さすがにそこまで聞ける空気ではなかった。どちらにせよ、明日にはわかることだ。
天使奥義瞬間移動術とやらでさっと渚の家に戻って来ると、おばちゃんは別件があるから時間になったらまた迎えにくるわ、と言ってこれまたさっと居なくなってしまった。非常に忙しい仕事だということだが、働き方改革が行われ今は三交代制とのことで残業は減ったらしい。一応、これから向かう世界にもまともな法整備がされているようでそこは安心できる。
まだ渚のご両親は帰宅されていないようだった。間接照明のみをつけた薄く沈んだ部屋で、渚はリビングで一人お茶を飲みながらテレビを観ていた。さすがに泣き止んでおり、少し落ち着いているようには見えた。
「渚、戻ってきちゃった。ごめん、ちょっといい?」
後ろから話しかけると、渚の肩が少し震えた。けれども、振り向かない。怒りは継続中のようだ。
「あのね、私今日であの世行きみたい。だからもう付きまとわないから、最後に一つお願いを聞いてくれる?」
髪が揺れ、勢いよく渚が振り向いた。目は赤く、マスカラの繊維がほっぺたに貼り付いたひどい顔だった。
「あなたって、本当に身勝手ね!こんな人を振り回しておいてハイサヨナラって。」
「返す言葉もございません。」
すん、と鼻をすする音がする。
「それで、身勝手ついでにあいつにサヨナラ言うのに協力してほしいの。」
「・・・本当に、いなくなるの?」
「私をお迎えの人に来てる人・・・天使が見つかったの。」
果たして本当に私をあの世に連れて行ってくれるのかはわからないけれど、初対面の天使の言うことを信じるとすれば今日が私のリミットだ。
「天使・・・本当にいるんだ。」
おばちゃんだけど、と言いかけて私は口をつぐんだ。一瞬目を大きく見開き、おそらくロマンティックな想像をしてしまったに違いない彼女の夢を壊すのは半世紀以上先で問題ない。
「でも、サヨナラ言うってどうやって?」
「こんな時間で申し訳ないんだけど、あいつの家に行ってもらっていい?一目見ればそれでもう十分だから。」
「あなた一人で行けないの?」
「うーん、行けるけど渚も一緒がいい。最後に見送ってくれる人は渚がいい。」
嘘ではないけれど、事実を全部言ってもいない。
「私が協力しないって言ったら?」
「無理強いはできないね。」
「ばか。こんなときまで意地張るの?」
芸人の笑い声が大きくなったタイミングで、渚はテレビのスイッチを切った。静まり返った部屋に、時を刻む音だけがコンスタントに響く。人生の終わりを丁寧にカウントダウンされているような気持にさせられた。
「ごめんなさい。私のわがままに付き合わせますが、よろしくお願いします。」
「最初からそう言えばいいのよ。もういくら強がったって遅いんだから。」
未練たらたらになっても地縛霊というあまりよろしくないものになるらしいので困るのだが、それは渚には関係ないことだ。私はイメージで三つ指ついて土下座した。このほかに、彼女に対して自分の気持ちを真摯に示す方法がわからなかった。
渚はビー玉のような目で、そんな私をじっと見ていた。体感が長すぎる数十秒が過ぎ、渚はゆっくりと立ち上がった。そのまま、ゆっくりとリビングを抜けていく。部屋着のモコモコのショートパンツからのぞく足はぴったり八歩で洗面台の前に到着した。蛇口から水が出る音と、うわ、ひどい顔と声があがる。
「顔、直すからちょっと待ってて。」
天使のおばちゃん、あの世って言ってたけど天国とか地獄って言い方はしていなかったな。私は親不孝だし死んでからも友達の厚意も利用するし、全然天国に行ける要素が無いけどやっぱり地獄なのかしら。地獄も法整備がきちんとされて、不当なことがなければいいけれど・・・などと考えつつ、この親不孝者に対する罰則としてどこまでが不当じゃないかなんて私が決められるわけもないので悶々と渚を待ち続けた。