おばちゃん天使と家出幽霊少女
時刻は夜七時を回ったところ。
まじめな女子高生だった私は、普段この時間家にいるか塾にいるかのどちらかだ。コンビニや本屋に行くことはあっても、用を済ませばすぐに家に帰る。
私がやってきたのは、自殺したターミナル駅だった。単に人が(幽霊だけど)多く居そう、という理由だけだ。
とりあえずあちこち飛び回ってみたが、それっぽい方は見かけなかった。もう少し遅い丑三つ時とかじゃないとダメなのか、いやでも子供の死者だっているのだから早い時間帯でも幽霊がいないとおかしいじゃないか、と疑問と文句がごちゃ混ぜになるけれど、幸いこの体?には疲れが存在しないので無限に動き回ることができる。とはいえ飽きてきたので、私は自分が死んだ現場に行ってみた。
駅裏の路地にあたるそこには、コンクリートに血痕がかすかに残っており、しおれかけた花が手向けられている。人々はそこを避けるように通行していた。現場を横目にひそひそ話しながら歩いている人もいる。「女子高生が受験ノイローゼで死んだらしいよ。」「うわー人生これからなのに勿体ない。」幽霊になってからというもの、正論ほど残酷に私を辱める。
「あら、もしかしてここで死んだ人?」
びくっとして振り返ると、にこにこと笑うおばちゃんがいた。推定年齢、五十くらい。小太りでくせの強い髪をショートカットにして襟足を刈り込んでいる。丸眼鏡が人が良さそうな印象を強くしているようだ。
「えっと、私のこと見えてます?」
「見えてるわよー。えっと、穂積七瀬さんね。やだあ、かわいい女の子じゃない。あんた自殺したらしいわねえ、もったいない。」
私はもう一度おばちゃんを見た。若草色のジャケットに白いインナーを合わせ、ベージュのクロップ丈のパンツ。足元は黒いローファーを履いているが、地に足がついていない。物理的に。
「あの、もしかして幽霊ですか?」
「あー、元はね。今は天使よお。転生待ちの魂って天使以外にも結構働いているの。で、私はあんたをお迎えにきた天使ってわけ。」
天使といえばラファエロの絵画のようなものを想像していただけに、私はおばちゃんから目が離せなかった。まあ、あんな子がやってきてもそもそも日本語が通じなさそうだし(英語すら通じなさそうだし)困るのだけど。
「ちょっと最近立て込んでてねえ、お迎えに来るのが遅くなっちゃって悪かったわね。でも、私探したのよ?たいていの子は死んだ場所から動かずにいるもんだけど、ずいぶん動き回ってたみたいね。」
「あ、家にいました。」
「家?ああ、最近は個人情報がうるさくて申請しないと住所も教えてもらえないのよね・・・お迎えに行く人にしか、その人の個人情報も渡されないしね。でも二週間以上見つからないし、そろそろ上司に申請しないとまずいと思ってたけど、今日見つかってよかったわ。」
あの世にまで個人情報保護法は行き届いているらしい。
「一人で心細かったでしょ、ごめんね。じゃ、行きましょ。」
「あ、えっと・・・ちょっと待ってもらえませんか?」
「待てないわよー。あなた何日放浪してたと思うの?うん?ちょっと待ってね・・・」
おばちゃんは丸眼鏡の端を中指でずり上げ、私をじっと見た。
「あんた、二週間もこの世にとどまってまだ未練果たせてないの?厄介な子ねえ。」
死んでもなお、私は厄介な子らしい。ていうか、その眼鏡そういうの見えるんだ。
「未練果たそうにも、幽霊だと無理なんじゃ・・・」
「そうね、死んだってことはそういうこと。だからたいていは現実を見て納得するのよ。そうするしかないじゃない。自分の中で落としどころを見つけるの。自分で納得してもらうのが未練を断ち切るには一番だからね。」
「えっと、私みたいに未練を断ち切れてないタイプはどうなるんですか?」
「最悪地縛霊ね。」
地縛霊でもよいので先輩に会いたいと思っていたのだけど、どうやら地縛霊は最悪のケースらしい。さらに、幽霊の進化系であるということもわかった。私もその可能性を秘めているってことも。
「無理やり連れていくこともできるんだけど、パワハラになるっていうんで最近はできるだけ本人の納得のいくまで付き合うことになってるのよね。あんた、何が心残りなの。」
ハラスメント研修まで習得済み。幽霊からコンプライアンスを訴えられたケースが多発した過去でもあったのだろうか。
「えっと・・・幼馴染の・・・恋?」
「幼馴染?女の子?」
「いや、男の子なんですけど、簡単に言うと私に義理立てして本当に好きな女の子と付き合おうとしないんです。」
「あんた、それ単なるおせっかいじゃない。」
渚といい、この天使といい、もう少しオブラートに包んで話をするということができないのだろうか。
「そういうのはね、生きてる子に任せるしかないの。あんたはもう、その子の人生から退場した存在なんだから。しかも自殺でしょう?自業自得じゃない。あんたは自ら、その子の人生に干渉することを止めたのよ。あんたの人生は終わったの。ほら、誰もあんたを見ていない。」
おばちゃんは街を振り返った。
スマートフォンを見ながら歩く大学生くらいの女の子。ガードレールに寄りかかりながら、ゲームに熱中する制服を着崩した男子高校生。汗を拭きながら、一生懸命電話相手にまくしたてるサラリーマン。様々な人間が、私とおばちゃんの脇をすり抜けていく。
誰もが、私たちを見ない。たまにこちらを向いても、足元の花束に複雑な視線を投げかけるだけだ。彼らが見ているのは、私が生きてきた最後の証。ここにいる、死んでしまった私ではない。
ビー玉のような街のネオンが多くの人の波を飲み込んでいく。そこに、私の姿は永遠に訪れない。
「まさか、あんた死んでから生きている人間に干渉したんじゃないでしょうね?」
こんなとき、どんな顔をすればいいのかわからないの。
とりあえず、「てへぺろ」という表情でおばちゃんを見た。おばちゃんは、「まじかー」という顔をしてきたので、事態が深刻なのかそうでないのかいまいちわかりづらかった。
「本来、生きている人間に干渉してはいけないのよ。」
おばさんは頭を掻いた。
「あなた、自分の姿自分で見えないでしょ?自分の姿が自分で認識されない何かになったとき、生前親交のあった人に接触しようなんて思わないじゃない。その体にはそういう予防策が張られているのね。で、その幼馴染の男の子に干渉したの?」
「あ、私が干渉したっていうか、私のこと見える子が一人いて、その子に。」
「友達?」
「元クラスメートくらいのうっすい関係ですね・・・あ、でもその幼馴染と両想いなんですよ。」
「あー、そう・・・」
おばさんはカバンからモバイルパソコンを取り出し、半分に折った。タブレットにもなるパソコンらしい。天使ってどこから電力を賄っているんだろう。
「そういう事象は・・・ああ、報告あるにはあるわね。同じ人が好きな者同士、なんかしら共鳴しちゃったのね。たまーにあるのよ、想いの強い共通点があると見えちゃうってことが。事故に遭って片方助かった夫婦とかのケースが報告では多いわね。愛情っていうのは魂にまで干渉する厄介な感情だから。」
おばさんのタブレットには、盗み見防止シールまで貼られていた。セキュリティ管理についてもばっちりなようだ。
「それで、私どうしたらいいですか?」
「あんたは何がしたいの。」
「そうですね・・・渚、その私が見える元クラスメートにはお別れを言いたいですね。」
「幼馴染のことはいいの?」
「渚ならなんとかしてくれますよ。」
「それは、死んじゃったからの諦めでしょ。本当はどうしたいの。」
眼鏡の奥の視線が鋭く私の本質を突きさしてくる。
「あんた、死んでもなお自分の気持ちに嘘をつき続けるの?大概にしなさい。そういう中途半端な諦めで納得したように自分をだます奴が地縛霊になるのよ。私の管轄でそういうのは勘弁よ。叶うかどうかは別として、今一番何がしたいのか言いなさい。」
そんな怖い顔で言うことないじゃない。
死んでしまったものは取り返しがつかない。諦めるしかない。だから自分の気持ちに蓋をして、渚を応援するように振舞った。だって、自分にできることなんてそれしかない。自分ができることなんて何もない。
「リカルドに、逢いたい。」
あいつのキスに気持ちがこもっていないことに気づいて、私は絶望したんだ。