表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サディスティック★ゴースト  作者: 猫宮千世子
1/18

私が幽霊になるまで

昔から「彼」の泣き顔が好きだった。

「彼」は泣かない子どもだった。出会ったときから。それがいつからだったのかは思い出せないけど、記憶の中の彼は常に笑っている子どもだった。

私はそれが気に入らなくて、暇さえあれば彼をいじめていた。

髪の毛を引っ張る。靴を隠す。おやつを取り上げる。些細なことから始まったいじめは、彼が困ったように笑うたびにエスカレートしていった。

「彼」が私の前で初めて泣いたのは、「彼」の大事にしていたおもちゃを壊したときだった。私はとても満足だった。今でも覚えている。

白地が灰色になるほどくすんだ、オレンジのラインの入った年季の入ったミニ四駆。思い切り車道に向かって蹴飛ばされたそれは、偶然通りかかったトラックによってペシャンコに潰された。

呆然とした表情でペシャンコになったミニ四駆を拾い上げた「彼」に、


「あーあ。ゴミになっちゃったね。」


と言ったら「彼」の目に涙が浮かんだ。もうひと押し、と思って


「ゴミなんだから捨てたら?」


と言ったら「彼」の目から一粒涙が零れ落ちた。そのまま一粒、また一粒と涙は後から後から零れ落ち、ついに「彼」は幼い子供みたいにわあわあ泣きだした。その声にびっくりして飛んできたうちの母は、つぶれたミニ四駆を抱えて泣く「彼」を見て一瞬にして状況を察し、私の頬を大きくぶった。素晴らしく爽快な音がして、私は痛みよりも音にびっくりしてしまった。母も、まさかそんなに強く叩くつもりはなかったらしく、やはりびっくりしていた。そして「彼」までびっくりして、瞬きすら忘れた大きな目で私と母を見つめた。三人が三人ともびっくりした顔で見つめ合い、誰からともなくぷっと笑い声を発し、なんとなく三人でケラケラと笑ってしまった。その後、「笑いごとじゃない。」と母に叱られたのは言うまでもないのだけれど。

私の周りの人たちは皆親切で優しい人たちだったので、私の「彼」に対するいじめは咎められ、よく叱られた。みんな「彼」に同情し、優しい言葉をかけたけれども、「彼」自身は特段周りに愚痴ることもなく、この性悪女のいじめに付き合ってくれていた。

ある日、


「マゾなの?」


と聞いたら、


「違うけど、七瀬ちゃん限定でならマゾかもね。」


と「彼」は笑った。その笑顔がまた腑抜けた笑顔で、


「私の前では笑うなって言ってるでしょ。」


と苛立ちをぶつけた。


「うーん、いつもにこにこしていていいね、って言ってくれる人が多いんだけどなあ。」


「ふん、どうせ通りすがりのじーさんばーさん連中でしょ。」


「それもあるけど、この間クラスの女の子に言われたよ。癒し系だよねって。」


「へえ。私の知らない子?」


「そうだね。他の小学校から来た子だから。」


いじめっ子といじめられっ子の関係を続けること数年。私たちは中学生になっていた。クラスは一組と七組。お互いが知らないクラスメートとの交際も増えていた。

「ま、癒しだとか言われちゃうってことは、男として見られてないってことだと思うけどね。」

このくらいの嫌味では、「彼」は表情を崩さない。次にどんな言葉を被せようか、できればその女の子のことを「彼」が好きだと最高なのにと彼を見ると、いつもは穏やかに笑っている彼の表情に若干硬さが見られた。


「・・・七瀬ちゃんは?」


「は?」


「七瀬ちゃんは、俺のことどう思ってる?」


「えっ。」


突然の展開に、私は言葉を失った。


「俺は、七瀬ちゃんのこと好きだよ。」


「はい?」


気がつかないうちに、手を握られていた。確かな温もりと、華奢な腕からは想像できない力強さ。私の握力などとうに超えてしまったくせに、なんで私にやられっぱなしで笑っているのかまた少し苛立ちを覚えたけれど、それと同時に今自分に起こっている「告白イベント」の脳内処理が間に合わず簡単に言えばフリーズしてしまった。


「あの・・・あれだけのことをされて?やっぱりマゾなの?」


「俺知ってるもん。七瀬ちゃんが、俺のこと嫌いじゃないって。」


「え、まあ・・・」


「彼」のことは嫌いじゃない。というより、私は「彼」の泣き顔が好きだった。だから「彼」をいじめ続けた。泣かせ続けた。私は一応常識は理解していたから、それが世間的には相手に嫌われる行動であり、非人道的な行為であることを認識していた。それでも私を慕い、笑いかける彼はどこかおかしいと思いつつも、なんとなく一緒にいた。その長くはないけれど短くもないなんとなくの期間のうちに、私の気持ちが当初と変わっていることに気が付いた。


「・・・そうだね、好きだね。」


「好きなの?」


「あ、うん。」


思わず口をついて出た言葉は、自分でも思いがけない本心だった。口にすることで、初めて私は私の気持ちを認識した。


「それは、俺がってこと?それとも、俺をいじめて泣かせること?」


「彼」の瞳に私が映り込むくらい、まっすぐに「彼」は私を見つめていた。私はいじめるという後ろ暗いことをしている意識があるので、「彼」をまっすぐに見つめることなどほとんど無い。「彼」はもう、昔ほど頻繁に泣かなくなっていた。代わりに、私が今まで見たことがない色々な表情を見せるようになっていた。


「ごめん。ちょっと、そういうことを今の今まで考えたことが無かったからどういう意味なのか自分でもわからない。でも、ふつうは好きな相手泣かせたいとは思わないよね。私って異常なのかな。」


「七瀬ちゃんは異常じゃないと思うよ。まじめで優しくていい子だと思う。」


「はは、変なの。自分がいじめてる子にそんなこと言われるなんてね。」


「俺は七瀬ちゃんが俺のことを好きでいてくれて安心した。七瀬ちゃんをキュンキュンさせるくらいいい男になったら、結婚してくれる?」


「け、結婚?話が飛ぶねえ。」


十二歳。結婚なんて考えたこともない。

私は目の前の「彼」を見た。かわいらしい顔をしている。背は若干低めだが、これから伸びるだろう。成績も悪くない。一方私は性悪で、別段成績も良くないしそれなりの大学に行ければまあ成功人生の部類に入るだろう。女は化粧があるとはいえ、今の段階ではぱっとする容姿でない。結婚適齢期になったとき自分の市場価値がどれだけのものになっているのかわからないが、フラットに考えて目の前の彼よりは低そうだ。


「いいよ。いい男になったら結婚してあげる。」


「ありがとう。」


私の上から目線の打算を汲み取る気などさらさら無いように、「彼」は微笑んだ。それはいつも私を苛立たせる、嫌な笑顔では無かった。

その日以降「彼」は学校を休み、夏休みに入る二週間の間彼を見かけることが無かった。家に行っても不在で、引っ越したわけではなさそうなのにどうしたのかと心配になった頃、彼は戻ってきた。二学期に入る直前だった。

「彼」は戻ってしまっていた。私の一番嫌いな笑顔を引っさげて。


「彼」の家はうちの道路を挟んだ向かいにある、朽ちかけたという表現がぴったりな市営住宅の一室だった。

そこに「彼」は母親と二人で住んでいた。お父さんは、と聞くとわからない、と「彼」は答えた。それは「父親がどうしているのかわからない」と「父親が誰かわからない」の両方の意味があると、しばらくして知った。

「彼」の母親は愛想のいい人だった。ぱさついた髪や色あせた服が生活の苦しさを感じさせるところはあったが、悲壮感より朗らかさを感じるような人だった。彼女は私にとてもよくしてくれた。と言っても物理的に何かしてくれたわけではなく、よく挨拶をしてくれ、小さな子供特有のオチの無い話にもにこにこと付き合ってくれる、そんな人だった。

「彼」は母親の影に隠れるようにして、いつも遠慮がちに笑っていた。もともとの愛くるしい顔立ちや、母親の愛想の良さもあり、近所の人もわりと「彼」のことを気遣っていたように思う。気のいいお年寄りたちは、「彼」によくアメやせんべいをあげていた。「彼」はお菓子をもらうととても幸せそうに笑い、そんな「彼」を見てお年寄りたちはやはり幸せそうに目を細めていた。それは私が最も嫌いな光景の一つだった。

私はお年寄りの一人、愛子ばあちゃんが大好きだった。愛子ばあちゃんは当時で八十を超えていたと思う。いかにもお年寄りという風貌ではなく、さりげないお洒落が上手なご近所界隈では有名なファッションリーダーだった。

子どもの私にとっても例外ではなく、愛子ばあちゃんの作るビーズアクセサリーはとても可愛かったので、よく作り方を教わりに行っていた。愛子ばあちゃんと一緒に縁側で作業をしていると、崩れかけたコンクリート塀から子どもの頭がぴょこんと現れる。それが「彼」だった。

愛子ばあちゃんは私に「彼」をいじめるな、とは言わなかった。代わりに、


「私は男の子と遊ぶには体が動かないから、七瀬ちゃんには仲良くしてあげて欲しいんだけどねえ。」


と、私が「彼」と仲良くすることを望んだ。私が愛子ばあちゃんの前でも気にせず「彼」をいじめると、


「あんまり酷いことすると嫌われるよ。」


と言われた。

その言葉は思いのほか私の心に突き刺さり、私は「愛子ばあちゃんの前では」いじめなくなった。結局愛子ばあちゃんの前以外ではいじめているので嫌われる行為をしていることに代わりは無いのだけど、愛子ばあちゃんは私にとって神のような存在で、神の前では粗相してはいけないというなんとなくの罪悪感があった。神といっても崇め奉るような存在ではなく、私の中の「正しいもの」の存在という感じだ。


「仲良くするのよ。若いうちの味方は、年をとっても覚えているものよ。」


愛子ばあちゃんの言葉の意味を知るには、そのときの私の人生があまりに短すぎた。そして、残念なことにそれを実感することは永遠に叶わなくなった。なにせ、私は十八を迎える前に死んでしまったから。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ