⑦
長い時間をかけて踏み固められてきた街道を、武装した騎兵とともに多くの荷馬車が駆けていく。
行き先は人類最前線の砦。
今はまだ簡易なものだが、人材と物資が集まっていけば、より強固で立派な砦になっていくだろう。
砦を建設する目的はただ一つ。
魔王との決戦における拠点だ。
ついに判明した魔王の所在地。そこは何もない荒野。魔王によって凶暴化し、通常よりも強靭に成長した魔物たちが多数、魔王を守るように集まる場所だ。
魔王のいる荒野からは遠く離れすぎている場所に簡易砦は建造されている。
あまり近づくと、魔物たちを刺激してしまう。安全を確保しつつ砦を急ピッチで完成させ、人類の総力を結集させて魔物どもを駆逐し、勇者パーティーを魔王の下に送り届ける。
その作戦が、今まさに行われているのだ。
再び、街道を荷馬車と護衛たちが駆けていく。
小高い丘の上から見れば、そういった集団が続々と来ているのが確認できるだろう。
そんな街道を、一人の男が馬に騎乗してのんびりと移動していく。
バルクだ。
荷馬車が行く方向とは逆に、前線から後方へと向かっていく。
馬は速度が出ない分、力強さと頑丈さ、高いスタミナを誇るアトラ産の軍馬。背にはバルクと大きな荷物を積んでいるにも関わらず一定の速度で歩いている。
バルクはもう鎧を着ておらず、特殊な繊維と織り方で防刃性を持たせた服に外套という姿で、腰には剣を一振り。
どこまで続く雲一つない晴天を見上げ、しっかりと調教された馬にまかせて呆けていた。
(これから、どうするか……)
勇者パーティーを外されてから、急に重くなった体を動かして荷造りをした。とは言え、各地を転戦し続ける生活では荷物などそうそう多くはない。
大半はパーティーで共有する物資。個人の持ち物は愛用の武装にその手入れ道具、必要最低限の私物や嗜好品程度だ。
さっさと荷物を纏めた彼は簡易砦を出た。挨拶はもう済ませたから必要ない。
このまま歩いて移動しよう。そしてどこかで移動手段を手に入れよう。
そう考えていたが、砦にいた神殿の者が旅に必要な物の詰まった荷物を馬に積んで待ち構えていた。
「お疲れ様です、バルク殿。お話はランディ様からお聞きしております。本来ならば我々がお送りしなければなりませんが、何分、今は人手不足なので……。
代わりといってはなんですが、こちらの馬をご用意させて頂きました。お使い下さい。神殿の方には勇者様達からのお話は通っておりますので、総本山ではバルク殿の受け入れ準備は整っております。
移動に関してはご迷惑をおかけしますが、ゆっくりと安心してお戻り下さい。街道の安全は確保されておりますし、物資を運ぶ者たちがひっきりなしに移動していますから、何かあれば神殿の者にお伝えいただきますようお願いします」
丁寧に対応された。
もうずいぶん前からバルクを外すことは決定していて、このまま総本山に戻ればいいように全て手配されていたのだ。
別にそこまでしなくても、と思ったが、せっかくの配慮なのでありがたく従わせてもらった。
そうして、神殿の者に礼を言って、騎乗して出発したのだが。
(……神殿に戻れば、衣食住の心配はないだろう。しかし、それから先は?)
バルクの人生は、その殆どが闘争だった。
もはや朧気になった子供時代は、多分、平和だった……はずだ。
魔物に襲われて、必死に逃げ、気がつけば奴隷として、死と隣り合わせの戦闘訓練に明け暮れる日々。
それから息つく暇もなく実戦に投入され、命令されるがままに多くの人間を殺し、多くの魔物を殺し、多くの物を壊し尽くしてきた。
いきなり神殿に連行されて勇者パーティーの一人に任命され、勇者とともに旅立ってからは魔物を殺して来た。
それ以上に、勇者ミレイナを利用しようとする者や、害そうとする者たちを殺して来た。
それが今、戦いの場から遠ざけられた。
神殿に行けば生きるのには困らない。だがそれで?
何をすればいい?
戦うことばかりで、それ以外のことなど全く知らない自分に、何ができるというのか。
しかも、ここ最近は息がすぐに上がって戦闘で全く役に立てない状態が続いていた。今も体のキレは悪く、何か重いものを背負っているような違和感を感じている。
(……限界、か)
バルク自身、分かっていた。
年齢を重ねるごとに衰えていく自分を。
どんどん全盛期の動きのイメージと解離していく現在の自分。
それが、怖かった。
戦いしか能のない男が、戦えなくなる。
その恐怖から、現実から目を背けて戦いに身を投じてきた。
焦りがあった。
初めて勇者と、ミレイナと出会い、言葉を交わしたあの時。小さな子供が強制的に戦うことを定められたと知った時。
バルクの中に、初めての感情が生まれた。
守ってやりたい。
彼も幼いうちに戦うことを強制されたのだ。言わば同属意識。彼が経験してきた、もう一度やれと言われれば直ぐ様自害を選ぶ地獄の連続。
それを、この少女に強制することなど、バルクには出来なかった。
彼は一人だった。何度も死ぬ間際を経験してきたバルクはその度に、他にも誰かがいれば、仲間がいれば、と思った。
彼は決意したのだ。
ミレイナを生かすために、自分が欲していた仲間に、自分がなろうと。
だからこそ前線に立ち続けた。
暗殺者まがいのこともやった。
それでも、現実は残酷だ。
他のパーティーメンバーたちが次々と倒れていく。四肢の欠損ならまだいい。今まで話していた者が次の瞬間には喉笛を食いちぎられて肉塊に成り果てる。
自分も、いずれそうなる。
表面上は平然としていながらも、バルクの心中は嵐のように乱れていた。
酒を飲みながら、ランディに愚痴を聞いてもらっても、中々気分は晴れない。
そんな時だ。アドニスと会ったのは。
彼は自らの意志で強さを求めた。
その時に、考え方は変わった。
ミレイナには仲間が必要だ。仲間は、多ければ多いほど、いいのではないか。
ならば。
アドニスを、使えるように鍛え上げよう。
その使える、の基準がかなり高すぎるのを自覚していなかったせいで、仲間たちが引くくらい厳しいものになったが。
それからしばらくしてウェアもパーティーに随行し、ミレイナの支えになった。
ここまで来て、バルクはようやく、渋々とだが現実を受け入れ始めた。
男の、チンケなプライドの話だ。
その直後に起こった、魔物の大襲撃。多くの仲間が死に、バルクも重傷を負った。
これがトドメだったのだ。
バルクは完全に、現実を受け止めた。
ちょうどその時にユークリッドからの要請があった。
ユークリッドはミレイナのために戦うことを決めた男だ。まだ若く、力強く、伸び代があった。
さらに前衛としての気概もある。
アドニスには気配の殺し方や闇討ちなどの影の技を仕込んだ。
ウェアには、本業ではないが実戦での効果的な術や俯瞰的な物の見方などを教えた。
ならばユークリッドには、直接的な戦闘に関する全てを。
訓練は苛烈を極めたが、教えれば教えるほどユークリッドは成長していった。
それを楽しんでいる自分がいたのにバルクは驚いた。
やがて勇者パーティーが再始動して、魔物と戦っていく中で、バルクは足手まといになった。
(俺の中身は、空っぽになった)
体の不調に、自分の技術を全て渡せたという安堵。
肉体に続いて、精神までも戦える状態ではなくなった。
限界どころではない。とうに破綻していたのだ。
(……誰かが言っていたな。老兵はただ去るのみ、だったか?)
苦笑する。
この期に及んで、まだ老いを否定しようとする自分がいた。
思い切り息を吸い込み、天を仰いで吐き出した。