⑤
ミレイナは思い出す。
バルクと出会ってからの事を。
小さな広場で嬉し泣きした自分をバルクはぎこちなくも慰めてくれた。
厳めしい外見で、一目見ただけでは分からないが、バルクは困りきっていた。
何故なら彼には少女を慰めた経験というものがないのだから。
それがおかしくて、泣きながら笑って、そして、改めて自己紹介をし直して、話をした。
バルクも勇者パーティーの一人で、先日顔合わせをしていると言われて驚いた。何せ勇者として覚醒してから精神的に余裕がなく、全然覚えていなかったのだから。
自然と彼の事を「おじさん」と呼んでいて、眉間の皺が濃くなったのでどうしたのかと聞けば、
「そうか……俺も、もうおじさんか」
そう、呟いた。
その時の表情が寂しくて泣きそうな、とても印象に残るものだった。
その日は時間が時間だったのでお開きになったが、ミレイナは久しぶりに心も体も軽くなっていたのに気付いた。
それからも勇者パーティーのメンバー選別を待ちつつ、鍛練という名の見せ物をこなしてから小さな広場に、ミレイナは通った。
彼女がお願いして、頻繁に会うようになった。
バルクとの会話は楽しい。
勇者ではなくただのミレイナでいられるし、子供として扱ってくれる。
普通、子供扱いすると怒る年頃なのだが、会う人間のほとんどに勇者様と煽てられる環境では逆に安心してしまう。
バルクは彼女の知らないことを沢山知っていて、常に新鮮な驚きがあった。聞いたこともない遠くの国のこと。森の中にある不思議な花のこと。夜になれば輝く街。見渡す限りの砂の大地。凍った湖。煙る山。
彼女は世界の広さを知った。
文字が読めるなら本を読んでもいいんじゃないか? と言われたので、バルクと会えない日は神殿の大書庫で子供向けの絵本を読んでみたりもした。
これが意外と面白く、時間があけば色々と本を読むようになった。
文字ばかりの本を試しに読んでみた時はいつの間にか寝ていたりもしたが。
時には悩みを相談することもあった。
どんなに目を逸らしても、彼女が勇者であることは事実。
例えば剣を振って、周囲の人間は絶賛する。ミレイナにしてみればこれでいいのか全く分からないので神官戦士に質問すれば、勇者様の類い稀なる剣術に不満などありませんと捲し立てられ、扱い方を教えてほしいと言えば、そんな不敬な事はできないと頭を下げられる。
魔物の事を聞いても、勇者様は魔王の事だけに集中してくださいと言われる。魔物の相手などの些事はパーティーメンバーに任せてくださいとも。
皆が働く中、自分は何をすればいいのか。
「魔物の種類は分かるか?」
「大書庫で絵のついた本を読みました。それに載っていたのなら大体は……」
「種類が多いのに……」
「ここに来てから、色々な事を覚えるのが早くなって」
「そうか。なら、基本的に──」
バルクは魔物に対しての説明を大雑把に語る。様々な種類・形態があるので、基本的に二足か四足歩行、飛ぶかどうか、硬いか柔らかいかといったもので区別して、こういう奴はこうするといい、などと説明した。
その時、バルクは自分が実際に出会った魔物との戦いの内容も交えて話をした。臨場感たっぷりのそれに息を飲み、手に汗握るミレイナ。
それが終わって、持参した飲み物を飲んで休憩したら、今度は剣の振り方を見てもらうことになった。
「いつもこうやってるんだけど……」
「もうちょっと手を上下に離して、布を絞るように」
「こう?」
「そうだ。それで振ってみろ」
「──っ!」
ただの素振りのはずが気合いを入れすぎたためにちょっと衝撃波が出てしまい、壁がごっそりと削れてしまった。
「お、おじさん! どうしよう!」
「逃げるぞ」
勇者を小脇に抱えて逃げ出す男。
それが何だかおかしくて。慌てているのに自分があまり揺れないように配慮してくれる優しさが嬉しくて。
ミレイナはバルクを、心の中で父親のように慕いだしていた。
実の父はまだ生きているし、バルクとは似てもいないが、それでもなんだかお父さんみたいで、でもやっぱりお父さんじゃなくて──。
「ねぇ、おじさん!」
「なんだ?」
「わたし、頑張る!」
「一人で頑張る必要はない」
「え~」
「お前をサポートするために仲間を揃えている。仲間というのは互いに支えあうものだ」
「おじさんも……?」
「俺もパーティーの一人に選ばれているのは、以前告げたはずだが」
「うん! じゃあ、おじさんが危なくなったらわたしが助けるね!」
「ならば、俺はお前に危険が迫れば、それを払おう」
「?」
「お前が俺を助ける。俺もお前を助ける。そういうことだ」
「うん! よろしくおじさん!」
「こちらこそ」
遠くで、壁が壊れてるー! という悲鳴が聞こえ、バルクは走る速度を上げ、ミレイナは心の底から笑った。
◇◇◇◇◇
それからしばらくの後、勇者ミレイナは選ばれた戦士たちと共に旅立った。
勇者と共に戦えることを前提に選別された者たちは、皆一流の猛者であった。
最初はバルク以外がミレイナの容姿に顔をしかめたが、彼の助言に従った結果、すぐに認識を改めた。
「全員にお前の実力を理解させるには、模擬戦をすればいい。手は抜かず、全力でな。その後にお前の気持ちを語ってやればいい」
結果、仲間たちはミレイナを共に戦うに足ると判断したので大成功だ。
連携も最初はぎこちなかったが、そこは一流の戦士たち。ミレイナの戦い方を見て、互いに話し合うことで徐々に改善されていった。
しかし、魔王によって凶暴化した魔物との戦いは一筋縄ではいかなかった。
魔王が出現してから旅立つまでに大分時間がかかり、以前はもっと楽に倒せたはずの魔物が手強くなっていたのだ。
さらにこれから一直線に魔王の下にいける訳でもない。勇者は各国の支援を受ける事の代価として、危険な魔物の掃討をしなければならない。
神殿が連絡役として勇者と各国を繋ぎ、勇者ミレイナと勇者パーティーは幾多の戦場を渡り歩き、数多くの魔物と戦い、時には同じ人類とも戦った。
その戦いで多くの仲間が傷つき、戦えなくなって離脱していった。中には壮絶な戦死を遂げた者もいる。
その度に人員が補充され、伝令が次の戦場を告げ、また戦いへ。
戦い、勝利するたびに人々は勇者を称える。さすがだ、と。
戦う度にミレイナは消耗していく。勇者としての能力で肉体は少々の休息で癒えるが、心はそうはいかない。
仲間が、どんどん減っていく。志半ばで四肢の一部を無くし、離脱していった者がいた。勇者を、仲間を守るために命を散らせる者がいた。魔物によって蹂躙された者がいた。いつの間にか消えた者がいた。
魔物を討伐するために急行したが、間に合わずに殺された者たちがいた。なんとか生き延びたが、勇者パーティーに対して遅いと泣きながら叫んだ者がいた。
皆を守ろうと誓った少女の心はどんどん磨耗していった。戦場以外では見せていた笑顔もだんだんと無くなっていった。
勇者パーティーの面々もそれに気付いていた。どうにかしたいと思ってはいた。
しかし、激化する魔物との戦いがそれを阻んでいた。
こういう時にフォローをしていたバルクも忙しなく色々と動いていたために気を配れていなかった。
ミレイナは夜が来る度に、悲しみや後悔といった感情に苛まれ、眠れぬ日々を過ごす。
精神的に疲れが溜まって動きが悪くなり、被害が増えて、また……。
悪循環が勇者パーティーを襲った。
そんな時だ。バルクが一人の少女を連れてきた。
「誘拐!?」
「してどうする」
その少女──ウェアとの出会いによってミレイナ心は持ち直した。
彼女の一途なひたむきさ。物事に集中しすぎてちょっとしたドジをしてしまう所。そして何より、同年代の少女で、仲良くなった事。
再びミレイナは笑うようになった。
少女二人が楽しそうに内緒話をしている姿を見て、当時パーティーにいた弓士は両手を上げて喜んでいたりもした。
それからしばらくして、バルクは一人の少年を連れてきた。
「「人拐い!?」」
「誰がだ。とりあえず、仕上がったのでお前らの護衛兼荷物持ちにしろ」
地獄の鍛練から解放されたばかりでズタボロなアドニスを肩に担ぐ厳めしいバルクは、正直に言えば賊が悪事を働いているようにしか見えなかった。
ミレイナ、ウェア、アドニス。
三人でいることが自然と多くなっていった。
魔物との戦いの日々は続いている。
それでも、この三人でいるのは楽しく、悲しみに傷ついた心を癒せる貴重な時間だった。
だから願った。皆と一緒にいたいと。
誰かが言った。
勇者は私心を捨て、世界に尽くさなければならないと。
だからか。
ミレイナは後になって思う。
自分が欲を持ってしまったから、天罰が下ったのだと。
魔物たちが一斉に、勇者のいる場所を目掛けて大移動を始めた。
もちろん、事前に分かるはずもなく、多くのパーティーメンバーの命と引き換えに、何とか生き残って神殿へ帰還したからこそ、知り得た情報。
勇者ミレイナは己の浅ましさを嫌悪し、長い長い旅と戦いの疲れによって、倒れてしまった。
体は女神の加護によって数日で全快した。だが心はそうはいかない。
日々、ミレイナはベッドの上で横になる。ウェアやアドニス、ランディ、バルクといった面々が見舞うが、中々回復しない。
ミレイナは辛い現実から目を背け、過去の平和な村娘だった時を懐かしむ。
両親がいて、日々穏やかな時間が流れる長閑な村。
そして愕然とした。
ユークリッド。彼女のために共に神殿へ来てくれた少年。
彼のことを今ようやく思い出したのだ。
勇者としての重圧。常に届く救援要請に慌ただしく移動を強いられる毎日。傷つき倒れていく仲間。
途切れることもなく次から次へと襲いかかる難事。これに対応するべく必死になっていた彼女が、遠く離れた場所にいた幼馴染みを一時忘れていたのを、一体誰が責められようか。
それでもミレイナは罪悪感に苛まれつつも、ユークリッドに会いたいと願った。
その願いは叶えられ、数年ぶりに二人は顔を合わせる。
最初は、謝罪しようと思っていた。けれど、久しぶりに会った幼馴染みはすっかりと成長し、男として彼女の前に立った。
トクリ、とミレイナの鼓動が高まる。
恋を知らず、戦いに身を投じてきたミレイナの、初めての恋であった。