③
部屋の中は暗く沈んでいた。
ここは人類の最前線に程近い場所にある、簡易砦の一室。
そこにいたのは人類の希望である勇者と、共に戦うパーティーのメンバーたち。
「……さぁ、もう切り替えよう。皆で話し合って、納得して行ったことだ」
パンパンと手を叩いて告げるのは、神殿に所属するパーティーの回復役、神官戦士のランディ。
「……つってもよ、やっぱり、な」
ランディの声に、なんとかという体で応えたのは目付きの鋭い青年、パーティーの斥候兼弓士のアドニス。
「……そうですね。今まで、いてくれた人がいないというのは……」
アドニスに続いて口を開いたのは、ローブを纏った少女、魔導士のウェア。
「……仕方ないんだ。これは、仕方ないことなんだ」
普段の柔和な表情を苦しげに歪ませ、自分に言い聞かせるかのように言葉を放つのは、聖騎士のユークリッド。
「そうだね。もうおじさ……バルクさんに頼ることはできない。これからは……私たちが、きちんとしなきゃ」
毅然と、締め括るように言葉を放つのは、ミレイナ。
人類の希望、魔王に対する切り札。勇者ミレイナ。
凛々しく、常に胸を張って最前線に立つ彼女は今、拳を握りしめ、強がっているのが分かる。
勇者パーティーは激闘に次ぐ激闘によって、今の形に落ち着いた。
最初は人員が減るごとに補充がなされたが、ついに各国が渋ってしまった。各国も防衛のために人員は必要なのだ。
初期メンバーで残っているのは、勇者ミレイナのみだ。数時間前までならバルクも含めて二人だったが。
ここにいる殆どは旅の途中で仲間に加わった者だ。
神官戦士のランディは、以前は神官戦士見習いの教官をしていた。神官戦士としての長いキャリアと高い実力があるからだ。
しかし激化する魔物との戦闘で勇者に随行する神官戦士たちが次々に倒れてしまう。今までの随行員は若く、気力体力ともに充実していた精鋭であったが、何分そのレベルに達する者は少なく、ついにランディが勇者パーティーへの補充人員に指名された。
彼は戦場では恐ろしい武威を見せつけるが、普段は穏和で場を和ませることが出来る。途中参入ではあったが、その気質のおかげでパーティーメンバーとの信頼関係は容易く構築していた。
人とのコミュニケーション能力が低いバルクとも信頼関係は構築されていた。
まだ人数が多かった頃はそうでも無かったが、人数が減っていくなかで、年長者として行動すると必ずバルクとかち合うことが多くなり、いつの間にか酒を飲み交わすにまでなっていた。
「俺は、偏った能力しかない」
「私もです。だから、協力しましょう。互いに足りない部分を補うのです」
「補う、か。そうだな」
それからパーティー内ではバルクが厳しい態度をとり、ランディが愚痴を聞いたり慰めたりと、うまく役割分担が成されていった。
だが、これからはそうはいかない。
もう同じ立場の者はいない。酒を飲みながらランディ自身の愚痴を聞いてくれる相手はいない。
年長者としての重圧を、ただ一人で受け止めながら旅をしなければばらないのだ。
アドニスは元々、とある街のスラムを拠点とする裏組織の下っ端でしかなかった。
まだ勇者の旅の序盤に、アドニスは組織の上役から勇者を拐ってこいと命令された。まだ弱かった彼に拒否できる訳もなく、アドニスは勇者パーティーの夜営地へ近付き、バルクに捕まった。
そこから何をしにきたのか、と詰問され、殺されると思ったアドニスはさっさと自白した。自分がここに来た理由、身の上話から組織のことまで。
その後、勇者を害する勢力の情報を知った勇者パーティーによって瞬く間に組織は根絶やしにされ、その街の代官や地域の領主は数日後に悪事が発覚して捕縛され、真っ当だと国が保証した者たちがやってきた。
勇者を害した者のいる国、などと言われてしまえば大義名分を他国に与えてしまう。国の上層部の動きは過去最速だった。
捕らえられたままのアドニスはその報せを受けて途方に暮れてしまった。今まで誰かに言われるがままに悪事を働き、手を汚してきた。
「俺も、命令された事に従ってきた。それしか方法を知らなかった」
「あんたも……」
「だが今、俺は別の道を見つけた。見つけられた。だからお前にもきっとあるはずだ。別の生き方というものが」
「なら、オイラは、強くなりたい。あんたみたいに」
「なら鍛えてやる。覚悟しろ」
アドニスはバルクの従者という体で勇者パーティーに随行しつつ、彼のいう訓練と称したキツイ修行を実地で受けた。
バルクのようにと言ったのを後悔したが、後の祭。
死ぬギリギリを見極められたせいで死ぬに死ねず、けれど次々と死地に送り込まれる毎日。
頭を働かせ、感覚を研ぎ澄まし、自分を知り、武器を振るう。多くの試みが成され、失敗から学んだアドニスはやがて斥候であり、暗殺者であり、盗賊でもある弓士と化していた。
死地で鍛えられたその技能の数々は一流の者にも比肩し、なおかつそれらを組み合わせて独自の技に進化させたアドニスは、今では勇者パーティーの生命線であった。
ウェアという少女は多くの魔導師を輩出する中立自治都市──通称、魔導都市で勉学に励む学生であった。幼い頃からその身に膨大な魔導力を宿し、隔離され、魔導師となるべく訓練を施されてきた。
魔導力が暴発しないように幾重にも封印が施された。
多くの魔導師が彼女に指導をした。
彼女自身、多くの書物を読み、熱心に指導を受けた。一日でも早く魔導師に──自由になりたかったから。
それでも、彼女は魔導術を行使できなかった。
最初は幼いからと皆優しかったが、年数が経つにつれてその眼差しから優しさは消え、やがてウェアは名前ではなく『欠陥品』と言われるようになった。
魔導術関連の知識は他の追随を許さぬ彼女だが、どうして魔導術が使えないのか。
それは賢者とも呼ばれた魔導都市の顔役ですら答えが出せなかった。
日々泣きながら魔導術を発現させる訓練をする。けれど結果は出ない。
そんな日々の中で、魔導都市に勇者が訪れる事が発表された。
ウェアはそれを聞いても何も感じない。自分のことで手一杯だったからだ。他の事に構う余裕などない。
勇者が都市を訪れ、歓迎の宴が盛大に行われている間もウェアは訓練に没頭し、疲れきった体を引きずりながら帰宅した。
都市内の大通りは乱痴気騒ぎで塞がっていたから通いなれた路地を歩く。
その途中で、彼女の目の前に人が唐突に現れた。吹き飛ばされたらしく、石造りの家の外壁に勢いよくぶつかって倒れこむ。
何が何だか分からず、混乱した彼女はその場から逃げ出そうとして、足首を掴まれて倒れた。恐慌状態に陥ったウェアは悲鳴を上げたがすぐにゴツゴツした手で口を塞がれ、首筋に刃物を押し当てられて人質にされた。
薄暗い路地の向こうにいたのは、壮年の男。
バルクだった。
こいつの命が~とお決まりの台詞を告げ、バルクから逃げようとする男は、魔導都市の中でも異端の思想に傾倒する派閥に所属していた。
勇者は女神の加護によって高度な魔導術すら扱える。それ即ち魔導師こそ女神に選ばれた崇高なる存在である。このような妄言を信じる一派は勇者にそれを堂々と告げて追い返されたので、ならば洗脳して従わせると短絡的に実力行使に出たのでバルクが殲滅するべく動いた。
その一派の最後の一人はジリジリとバルクから距離をとり、ウェアは浅い呼吸を繰り返してただ身を固くするしか出来なかった。
ただそれも次の瞬間に起こった出来事によって変わった。
バルクの手に魔導力が収束したかと思えば、ウェアを拘束する男の手がだらりと下がり、解放された彼女は再び地面に倒れた。
男も倒れた。額を小さく穿たれて絶命していた。
人質にされた。もしかしたら殺されていたかも知れない。けれどウェアは目を血走らせてバルクにすがり付いた。
今のをもう一度見せて!
先程の術は高度な魔導力制御能力が必要だとウェアは見抜いた。それこそ都市にいる魔導師よりも遥かに。
ただでさえ追い詰められていて、さらに混乱に混乱を重ねた彼女は普段の物静かな姿をかなぐり捨てて何度もバルクに懇願した。
懇願して、懇願して、気を失って倒れた。
再び気がついた時、彼女は見知らぬ少女と同じ部屋に寝かされていた。夢かと思って再び眠りにつき、翌朝、バルクに起こされて悲鳴を上げる一幕があった。
悲鳴を聞き付けてやってきた見知らぬ男女に取り囲まれつつ、自分がいるのが勇者の泊まっている部屋で、ここは勇者パーティーの宿泊する館だと知って再び悲鳴を上げた。
なんとか落ち着き、ウェアは昨日のこと、そして自分のことを話し、バルクに魔導術の指導をお願いした。
都市の魔導師に師事しろ。もしくは勇者パーティーの魔導師に頼むかしろと断るが、都市の魔導師でも解決方法を知らず、勇者パーティーの女魔導師もお手上げ。
それでも渋るバルクに、同室の少女──勇者がお願いすることでそれは叶えられた。
「俺が実際にやったことを、実践する」
「はい、お願いします!」
「まず魔導力を集める」
「はい!」
「俺の手を握るんだ」
「は、はい!」
「あとは流す」
「────!」
ウェアは魔導力を溢れさせ、暴発させた。
勇者と女魔導師が全力で展開した結界で事なきを得たが、一歩間違えれば都市の一部を吹き飛ばすテロ行為となっていただろう。
ただ、危険を犯すだけの収穫はあった。
ウェアは魔導術を使えるようになった。しかも勇者パーティーの女魔導師も舌を巻くほどだ。
それもそのはずだ。ウェアは地道に基礎を反復練習してきた。血の滲むような努力の末に、彼女の制御能力は自身の膨大な魔導力を御して見せたのだ。
ウェアに施された封印には、実は犯罪者用の特殊なものも組み込まれていた。魔導術を構築すること自体を妨害するもので、隠し方が巧妙であったために多くの魔導師の目を欺いてきた。
魔導力が意図的に暴走するという想定外の事態に耐えきれずに消失したのだ。
その封印をかけた人物はすでに故人で、彼女の恵まれた力に嫉妬したからなのだが、真相は特に暴かれることはない。結局の所、その人物の目論見は無駄になったのだから。
彼女は一通り魔導術が使えることを確かめると、バルクや女魔導師に告げた。
自分も一緒に連れていってほしいと。
ウェアがこう言ったのには幾つか理由がある。
一つはもうこの都市にいる意味がない。『欠陥品』などと呼ばれ、蔑まれ続けたせいでこの都市の人間に対して特に関心もない。
それに、彼女が魔導師を目指したのは強要されたのもあるが、彼女を愛し慈しんでくれた家族が魔物に殺されたからだ。
いわば敵討ち。復讐。
女魔導師は悩んだ。ウェアの実力を考えれば確実に欲しい。鍛えれば自分以上の魔導師になれる。しかし、年齢が。でもそれを言えば勇者だって。
助けを求めるようにバルクを見る。
バルクはウェアに確認した。
「共に来るのなら、あらゆる苦痛に耐えろ」
「はい。覚悟は、出来ています」
「ならば実戦で証明しろ」
ウェアは勇者パーティーに混ざり、旅立つことになった。
特に挨拶する人間もおらず、魔導術の訓練ばかりしていたので私物も少ない。パッと準備を整えたらパッと戻ってきた。
そこから旅に出て、彼女は更なる高みへと登っていった。
女魔導師の経験から来る指導で魔導師としての実力を上げ、バルクの訓練が体力面での地力を上げた。
常に体に負荷をかけさせ、走り、跳び、疲れても動くことを強要された。
最初はちょっと走っただけで死にそうになっていたウェアだが、毎日のように走り、女魔導師との訓練が唯一の休憩という生活を繰り返したことで体力はついた。
さらに女魔導師には弟子兼妹扱いで可愛がられ、勇者ミレイナとも年齢が近いということですぐに仲良くなった。
ウェアの懸命に努力する姿はパーティーメンバーたちにはいい影響を与えた。
それは魔物の大群に囲まれ、皆を逃がすために命を代償とした大魔導を発動し、女魔導師が亡くなるまで続いた。
その時の戦闘で多くのパーティーメンバーが命を落とし、その悲しみを胸にウェアは勇者パーティーの魔導師として戦い続け、今では戦場を縦横無尽に駆け巡って戦う遊撃手であり、戦場を俯瞰して仲間に指示を出す指揮官でもある魔導師で、勇者パーティーに無くてはならない存在となった。
聖騎士のユークリッドは元々は勇者ミレイナと同じ村に住むただの少年だった。
数少ない同年代で、小さな村だったからか家族同然に育った。仲も良く、時には兄のように、時には弟のように、ミレイナとともに穏やかな日々を過ごしていた。
それが壊れたのは、ミレイナが勇者として選ばれ、神殿の者たちに連れていかれた時。
彼は激しく抵抗した。彼にとって神殿の者たちは平和な世界を壊す悪の権化だ。
小さな体で大人たちに、武装した神官戦士もいる集団に敢然と立ち向かうが、神殿の者たちにしてみればじゃれつかれているようなものだ。
容易く引き剥がされてしまった。
そんな中で、とある神官はユークリッドに聞いた。
「彼女を守る気概はあるか?」
「ある!」
「強くなるために、何でもするか?」
「する!」
「苦しくてもにげないか?」
「逃げない!」
小さな少年の、精一杯の勇気。
何より勇者が幼い少女であり、見ず知らずの者たちに囲まれて知らぬ土地に行くことで怯えている。見知った者がれば、それは緩和されるのは必定。
なによりも、若く眩しいその情熱は心に響くものがあった。
ユークリッドは神殿に随行することになった。
神殿は村に格別の配慮を約束し、ユークリッドはミレイナとともに神殿の者たちと旅立った。
ミレイナを支えるために、ユークリッドは神官戦士となるべく修行の日々を送ることになった。
ただ、ユークリッドは凡人だった。
武器を扱う才能も、魔導術の才能も、治癒の神聖術の才能もない。特出した才能もないただの子供だった。
ただ、あったのはどんな苦難も乗り越えようとする勇敢さだった。
ミレイナが勇者として、女神の加護の力で剣を、魔導術を、体術や知識をどんどん身につけ、高みに登っていくその姿を見て消沈しつつも、それでも前を、上を見上げて鍛練を続ける。
それでも、現実は残酷であった。
各国から精鋭が集められ、勇者パーティーとしてミレイナとともに旅立つその日、ユークリッドは見送る側にいた。
ユークリッドの実力はいまだ見習いの域を出ず、実戦に出られる程でもない。
無力感に苛まれながらも、彼は訓練に打ち込んだ。現実から目を反らすために。
やがて神殿には勇者たちの活躍が報告されるようになっていき、ユークリッドは限界まで鍛練をして、倒れる毎日を続けた。
やがて、勇者パーティーに欠員が出るようになると、彼は率先して補充人員に志願しては実力不足から却下される。
それでも、と寝食を忘れる程に鍛練を続け、限界を迎えてしまった。
苛めぬいた肉体は意志に反して痙攣し、力が入らずにベッドの上で寝ることしか出来ない。
泣いた。自分は何故ここにいるんだ? どうして強くなれない? どうしてあの子についていけない?
泣く彼に、新たな情報が報せが届いた。
勇者パーティーが壊滅的状況に陥り、勇者も負傷したと。そのために一旦態勢を立て直すためにここに戻ってくると。
複雑だった。
またミレイナと会えると喜ぶ自分と、こんな無力な姿を見せたくないと思う自分がいた。
それでも時間は進み、勇者が帰還した。
その時には再び歩けるようになっていたユークリッドは勇者パーティーを出迎える人々の中にいた。
久しぶりに見たミレイナに、彼の心臓は強く跳ねた。
それは、家族としてではなく、一人の異性として彼女に恋した瞬間だった。
勇者パーティーが休息する中、ユークリッドはミレイナに呼ばれたために部屋を訪れた。
間近で見る彼女はやはり可愛らしく、彼女の笑顔を見るだけで全身に力が漲ってきた。
久しぶりに会えたことで抱き合い、再会を喜ぶミレイナ。
二人は離れていた間のことを話し合った。それこそ夜を徹して。
勇者としての重圧に疲弊していたミレイナの心は、溜め込んでいた思いを吐き出して軽くなった。
そしてユークリッドは想いを強くして、ミレイナにあるお願いをした。
その時、パーティーにはアドニスとウェアが参加していて、アドニスがバルクに鍛えられていたのだ。
勇者の要請でユークリッドと面会したバルクは、彼に確認した。
「俺は神官戦士ではない。教えるのはいいが、相手を殺す技だけだ」
「お願いします! 俺は、強くなってミレイナを助けたい! そのためなら、なんだってやってやる!」
「そうか。なら覚悟しろ」
ユークリッドは知った。
地獄とはこういうものか。
勇者が休息し、パーティー編制が進められている期間、ユークリッドは徹底的に仕込まれた。
バルクも才能があった訳ではない。ただ生き残るためにありとあらゆるものを求めた。それらを何とか使ってきたにすぎない。
だからこそ、ユークリッドと噛み合った。
才能がなかったからこそ、どのようにすればいいのか理解しているバルクの教えは、鍛練を重ねて基礎が出来ていたユークリッドを数段上にまで高めた。
その代わり、苛烈を極めた。死すら生ぬるいと思う鍛練、死を受け入れる覚悟をするほどの実戦。思わず出てしまった弱音すら燃やし尽くされ、短時間の内に様々なものを叩き込まれた。出来るまで許されず、出来ればすぐに次に行き、けれど復習だと言われて反復練習も欠かさず、彼は常に動き続けた。
その光景を見学していたミレイナは甲斐甲斐しくユークリッドを世話し、ウェアはガタガタ震えながら魔導術の鍛練を続け、アドニスとユークリッドは謎の友情が芽生えた。
やがてパーティー編制が終わり、勇者の心も体も癒され、旅立ちの日が訪れた。
ユークリッドは勇者パーティーの一人として、今度は見送られる側にいた。
そこからも鍛練を継続し、さらなる実戦を経験したことで、彼は若くしてパーティーの盾役であり、勇者とともに戦う前衛であり、勇者を支える騎士となった。
その功績を認められて神殿はユークリッドを名誉ある神殿の戦士、聖騎士と任命したのだった。