②
バルク・センドリーニはマイル王国の片田舎で生まれた。
彼は特に秀でた能力もない、平凡な子供だった。同年代の子供たちと野原を駆け回り、悪戯をしては怒られ、時に喧嘩をして、仲直りして、また一緒になって遊ぶ、どこにでもいる子供だった。
そんな彼の人生が変わったのは、六歳の頃。
村が魔物の群れに襲われたのだ。
魔物は人のように二足歩行する巨大な猿のような化け物に率いられ、暴虐の限りを尽くした。
村の男衆は女子供を逃がすための時間稼ぎとして、勇敢に立ち向かい、散っていった。
村の女衆は子供たちの手を引いて山の中をひた走った。幼いバルクも母親とともに逃げた。
しかし、巨大な猿が率いていた魔物も猿系の魔物で──山や森は彼らの庭に等しい。
すぐに見つけられ、追い付かれ、ほとんどが捕まってしまった。
バルクと母親も当然見つかり、捕まえようと魔物が飛びかかった。
バルクと母親がいたのは川岸。水に浸かって臭いを消そうとしたのだが、流れが早すぎてどうしようか悩んでいた時に見つかったのだ。
それが、運命の分岐点だった。
母親はバルクを守ろうと身を屈め、魔物は屈んだ母親に足を引っ掻けて、その衝撃でバルクと母親、飛びかかった魔物は一緒になって川に落ちた。
それから、バルクが目を覚ましたのは奴隷商の馬車の中だった。
奴隷商は笑いながら川に落ちてたから拾った。元手タダで高値で売れるといい放っていた。
母や魔物のことを聞いても知らぬ存ぜぬ、終いには殴られて気絶してしまった。
次に目が覚めた時には、土の敷き詰められた広場にいた。周囲には同年代くらいの子供たちが大勢、力なく座っていた。
何がどうなっているのか、バルクは分からなかったが、答えはすぐに教えられた。
彼が連れてこられたのはハイギール王国の騎士訓練場で、彼らはここで騎士となるべく鍛えられると、厳めしい男たちに言われたのだ。
そこから地獄の日々が始まった。
朝から晩まで、寝る間もなく痛め付けられた。泣いて懇願しても許されず、無言で蹴り起こされ、訓練という名の拷問へ連行されていった。
つい先程まで隣にいた奴がいつの間にか消え、二度と見ることがない。見たことのない奴がいつの間にか増えていて、また消える。
そんな日々の中、バルクは無我夢中で生き延びていた。ただただ生き延びることだけを考えていた。周囲の顔ぶれが変わろうが、嘆き苦しむ声が聞こえようが、助けを求めて足を掴まれようが。
細かな理屈はない。
ただ、死んでたまるかという執念だけで、バルクは地獄の中でもがいていた。
訓練という名の拷問を生き延び、体が大きくなったら今度は任務という名の次の地獄へ叩き込まれた。
全てが現地調達、逃げれば監視役に殺される。それが嫌なら任務を達成しなければならない。
訓練を生き延びた少数の者たちの大半がこれで消えていった。
バルクはそれでも生き足掻いた。
もはや何故生きようとしているのか分からないにも関わらず。
いつしか、バルクは大人になっていた。
そして、厳つい男から騎士にしてやると言われ、彼はハイギール王国の騎士になった。
そこからの日々も変わらなかった。引けば死ぬ、ならば進んで活路を見出だす事の連続。
疑問も何もなく、ただ生きるために戦う。
いくつもの任務をこなし、完了報告のために騎士の詰め所に足を運んだある晩、彼は聞いてしまった。
酒に酔った騎士が大声で話していたのだ。
子供だったバルクたちが集められ、訓練を施されたのは、いわば使い勝手のいい下僕を生み出すためだったのだと。
騎士が死ねば文句が出る。なら死んでもいい奴を使えばいい。だから奴隷商に子供を集めさせて戦い方を教えてやった。死んだらそれまで。どうせ使ってない倉庫をねぐらに、残飯を与えておけばいいのだから。文句があるなら処分してまた奴隷商に集めさせればいい。
騎士は笑った。
あいつらのお陰で酒を飲んで給料が貰える。魔物が出たらあいつらを行かせればいい。
バルクはそれを聞いても何も感じず、完了報告をして、再び任務を言い渡されて出撃していった。
また何度も任務をこなす日々が続き、バルクは青年を過ぎて壮年へと至っていた。
──魔王出現せり。
その報せに、世界が震えた。
古より、世界を滅ぼすために生まれる邪悪の権現。人を狂わし、魔物を凶暴化させる霧とともに現れる人の天敵。
これを討伐するには世界を見守る女神から加護を授かった聖なる者──勇者が必要だ。
世界各地で勇者探索が命じられた。
そんな中でも、バルクは豚のように肥太った男の首をへし折り、魔物の巣を焼き払っていた。
命じられた任務が終わり、完了報告のために帰還したバルクは、詰め所に入った所で今日も酒を飲んでいたはずの騎士たちに取り囲まれ、近づくこともなかった王宮へと連行された。
そこで始めて見る王に命令された。
「勇者とともに魔王討伐の任につけ」
そこからまた集団に取り囲まれて馬車に乗せられ、逃亡防止に手枷足枷を填められ、護送というよりも荷物のように輸送された。
何日も、御者と馬を変えて走り続けた。
ようやく到着した豪華な建造物の前でバルクは馬車から引きずり出され、まるで罪人のように引きずられていった。
何日も体を動かせない状態でいたバルク。未だに枷を填められているにも関わらず表情を変えることなく、ただ周囲を観察し続けた。
そのままローブ姿の男女が大勢集まる大広間まで運ばれた。
その様子に驚愕する男女を余所に、バルクを運んできた男は、こいつが勇者とやらの下僕だと告げて、そのまま武装した男たちに殴り倒されてどこかに連れていかれてしまった。
それからの事は、バルクにとって信じられない事の連続だった。
手厚い歓迎を受け、傷だらけの体を治療され、さらに暖かい食事と寝床を用意されたのだ。
何が起こったのか理解が及ばない彼をローブ姿の男女は痛ましげに見つめ、甲斐甲斐しく世話をした。
そんなことが十日ほどあって、ようやくバルクは説明を受けた。
ここは女神を信仰の対象とする神殿の総本山で、今ここに勇者がいて、バルクと同じように各国から選ばれた、勇者とともに魔王へ立ち向かう精鋭が集まるのを待っているということ。
ハイギール王国は自尊心だけが天よりも高く、周辺各国からも煙たがられているような国だということ。
そして、そんな国から送られてきたバルクの実力を見せてもらいたいとも要請された。
ハイギール王国の騎士団は名も命も惜しむクズの巣窟で、周辺各国からは侮蔑の対象だった。
子供のお使いも満足に出来ない奴等なので、魔物や盗賊などの討伐は他国に応援を要請するのが常だった。
民のためにと遠征した他国の騎士たちを歓迎することもなく嘲笑し、討伐が終われば邪魔者扱いしてさっさと出ていけと宣う。
そんな国だから周辺各国から見捨てられ、応援要請は却下され、ならば自分達の思うように動く下僕を作ればいい。
その成果が、バルクという男だった。
彼は自覚していない。
己がこなしてきた任務がどれほど非人道的で、どれほどの難度を誇るのか。
常に戦場に駆り出された己の、生き延びるためにした創意工夫がどれほどのものか。
そして、身に付けた戦闘能力がどれほどの高みに至っているのか。
並み居る神殿騎士たちを相手に、休息と食事をたっぷりと取ったバルクはその強さを証明し、満場一致で勇者パーティーの一員に選ばれた。
それからしばらくは同じように神殿騎士たちによる精鋭の実力評価が続けられ、バルクが到着してちょうど四十日が経った時。
選ばれた勇者パーティーの面々と勇者が対面するときが来た。
神殿の者たちに連れられてきた勇者を一目見て、精鋭たちは驚愕した。
そこには、小柄な、どこにでもいるような少女がいたからだった。