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エアルが腰を下ろしたのを確認して侯爵夫人は優しく微笑んだ。
そしてそのままチラリとイヴェールを見るとお茶を淹れてくるように命じて部屋から追い出す。
まさかの展開に慌てるエアルにあの子の淹れるお茶なかなか美味しいのよと微笑み、侯爵も夫人の横に腰掛けて柔らかく微笑んだ。
「エアル嬢。夜の闇は貴女を歓迎しよう」
先ほどまで威圧たっぷりだった闇夜の瞳が慈しむように和む。
その変わりようと紡がれた言葉に目を瞬いているエアルに侯爵は微苦笑を浮かべた。
「聞けば、倅が強引に話を進めたらしいね?」
「……はい」
どう答えるべきか迷ったが隠しても仕方がないので素直に頷くと小さな笑いが零れた。
決して不快ではない、イヴェールらしい、しょうがない奴だと言わんばかりの笑みにエアルも自然と表情を緩める。
けれど侯爵はすぐに表情を引き締めてエアルに頭を下げた。
「本当に申し訳ない。
それからありがとう。
貴女に拒否権はなかっただろうに、誠実に倅と向き合ってくれて本当に感謝している」
ギョッとしたエアルは慌てて頭を上げるように頼む。
誠実なのはイヴェールで、向き合おうと思ったのも全部イヴェールのおかげだ。
エアルは自分から何一つしていない。
そのことを伝えると侯爵は目を細めて笑い、夫人も満足そうな笑みを浮かべた。
「ねぇ、あなた」
「あぁ、そうだな」
それだけで通じ合ったらしい二人は真剣な顔でエアルを見つめる。
その空気に自然と背筋が伸びた。
「本当はね、エアルさんがあの子を厭うなら、本当にこの話に乗り気でないのなら、私たちでこっそり逃がしてあげるつもりだったの」
「こういうのはお互いの意思が大事だからね。
我が家は政略結婚とは縁遠い家だし、私が生きている間くらいはあの子の目から貴女を隠すくらいのことはできるだろうとも思っている」
エアルは何とも言えない気持ちでその言葉を聞いていた。
もともと流されるままに頷いた話だ。
エアルの意思はそこに無いに等しい。
白紙に戻るならそれはそれでいい。
いいはずなのに。どうして、こんなに胸が痛むのか。
「ごめんなさいね」
申訳なさそうな侯爵と眉を下げて謝る夫人に胸の痛みはますます強くなる。
けれど。
「だけど、私たち娘にするなら貴女がいいわ」
「どうか、諦めてうちに嫁に来てほしい」
晴れやかに笑う夫人と懇願するように見つめてくる侯爵にエアルは先ほどまで胸に巣食っていた痛みと不安を忘れてまじまじと夫妻を見た。
「あの子のことだもの。どうせ外堀は完璧に埋められているわ」
「我が家の血のこともあるし、たぶん、国外逃亡してもあれは貴女を諦めないと思う」
「「だからここはひとつ、思い切って我が家の嫁に!!!」」
ピッタリ声を揃えた侯爵夫妻にエアルは展開について行けずにぽかんと侯爵夫妻を見つめる。
どうしてこうなったのかサッパリ分からない。
外堀が完璧に埋められているってなんですか?
国外逃亡しても諦めないって?
私、何もしていませんよ?
そこまで気にかけていただけるようなことは何一つ。
混乱を極めているエアルに気付くことなく夫人はニコニコと笑う。
「手始めに婚約披露のパーティーを開きましょうね!」
「え?」
「その前にうちのやつらにも紹介しないとな」
「あの、」
「娘ができるってこんなに楽しいのね!!」
「イヴェールもいい人を見つけてきたものだ!」
上機嫌な侯爵夫妻にエアルは考えるのを放棄した。
気に入られないよりも気に入られる方がずっといい……はずだ。
諦めたように、けれど、どこか嬉しそうにエアルは微笑んだ。
きゃっきゃと楽しそうにこれからの計画を立てる侯爵夫妻にエアルの笑みが引き攣ってきたころ、ようやくイヴェールが戻ってきた。
夫人の言っていた通り出された紅茶はとても美味しく、エアルは口元を緩ませた。
その様子に夫人がにっこりと微笑む。
「ね?美味しいでしょう?」
「はい」
素直に頷いたエアルに安堵の息を漏らすイヴェール。
段々と可愛げのなくなってきた息子に残っていた可愛らしい一面にクスリと笑みを零す。
本命には奥手で珍しく苦戦しているらしい息子のために和やかなお茶の時間を楽しんだ後は、この短い時間ですっかりお気に入りになってしまった少女を解放してやることにした。
「もっとお話したいけれど、せっかくのお家デートだものね。
あとは若い二人で楽しみなさい」
お家デートという単語にエアルは目を瞬いて思考を止め、その言葉の意味を噛み砕いた瞬間ぶわりと頬を染めた。
「イヴェール、早めに誰かエアルさんにつけてあげなさい」
「分かっています」
頬を染めて視線を落としたエアルを微笑まし気に見つめながら紡がれた侯爵の言葉にイヴェールはしっかりと頷く。
その瞳は真剣でいてわずかな憂いが混じっていた。




