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母と相談して父には隠しておこうということになったのだが、イヴェールが迎えに来てくれることになり父に隠し通すことができずに盛大に見送られた。
それはもう車にエスコートされてすぐに頭を下げるくらいに。
「イヴェール様、父が申訳ありません」
けれどイヴェールは気にする必要はないとエアルに頭を上げさせ、安心させるように微笑んだ。
その笑みにエアルは心臓が妙な音をたてた気がして首を傾げた。
「エアル嬢?」
「なんでもありません。
ですが、本当に私などがお邪魔してもよろしいのでしょうか?」
「貴女は私の婚約者です。ダメなわけがない。
……遅くなってしまって申し訳ありません。
お互いを知るために時間を作ろうと言ったのは私なのに、仕事ばかりで貴女との時間が取れなかった」
強い視線で射貫かれ、力強く婚約者だと宣言されてエアルは、体温が上がっていくのを感じた。
夜の闇を溶かしたような瞳に自分の顔が映る。
それがなんだか居た堪れなくてそっと視線を外してエアルは必死に言葉を紡いだ。
「イヴェール様はいつも心のこもったものを贈ってくださいました。
お花もお菓子も小物もメッセージカードもすごく嬉しかったです。
いつも気にかけていただいているのだと思えて、その、ありがとうございます」
「いえ、少しでも気に入っていただけたならよかったです」
「少しだなんて!
本当にとても嬉しくて、私、私、」
イヴェールの言葉に逸らしていた顔を上げて言葉を紡ぐ。
自然と視界に広がるイヴェールの顔にエアルはハッとして口元を覆い、そっと視線をさまよわせた。
「……安心しました。母以外の女性に贈り物をするのは初めてで」
「え?」
言葉通り安心したように紡がれた言葉にエアルは目を瞬いてイヴェールを見た。
けれどイヴェールは真直ぐ前を向いていて目が合うことはない。
それに少しだけ安心しながらエアルは信じられない気持ちでイヴェールの言葉を聞いていた。
「隠しても無駄なので白状すると、今までにそういう女性はいました」
その言葉にズキリと胸が痛む。
「ですが、こうして自分で選んで贈り物をしようと思ったのは貴女が初めてです。
……こんなに贈り物をするのが難しくて楽しいものだとは思いませんでした」
「難しくて楽しい、ですか…?」
「貴女に喜んでいただけるものを選ぶのは難しい、けれど貴女を想って選ぶ時間はとても楽しいものでした」
「私も、私も、イヴェール様にお礼のお手紙を書くのが楽しくて、その、お会いできないのが少し、残念だった、です」
「少しだけ?」
「え!あ、えっと、」
「冗談ですよ。今はそれで十分です。ありがとうございます。エアル嬢」
クツクツ笑う声に体温が上がるのを今度こそ確かに感じた。
心臓がうるさい。それになんだかのぼせてしまいそうだ。
やっとのことでたどり着いた侯爵家でエアルはさらなる緊張を強いられた。
真っ先に通されたのは夜闇の侯爵の執務室で、心の準備をする暇もなく引き攣った笑顔でその人との対面を果たすことになった。
「お会いできて光栄です」
イヴェールに紹介されるままにお決まりの挨拶を述べ淑女の礼をとる。
見定めるような視線が突き刺さるのを感じながらエアルは何とかその場に踏みとどまった。
「顔をあげなさい」
夜の闇を統べる者。この国の絶対的な守護者。夜闇の侯爵。
その名を戴くにふさわしい威厳をもって自分を見つめるイヴェールとはまた少し違う闇夜の瞳。
イヴェールが冬の澄んだ夜の瞳ならば、侯爵は星が瞬く夏の夜の瞳。
同じようで全く違うその瞳に気圧されながらも竦む足で踏みとどまっているのは、イヴェールが“私が選んだ婚約者”だとエアルを紹介したからなのかもしれない。
未だに何故美しい姉ではなく平凡なエアルが選ばれたのか分からずにいる。
けれど、それでも、この人が他の誰に言われるでもなく自分の意志でエアルを選んだというのならば。
しがない子爵令嬢でしかないエアルに礼を尽くし、思いやりを持って接してくれるイヴェールならば。
信じてみてもいいのかもしれない。
エアルの中にあるのはひどく曖昧で小さな覚悟だ。
覚悟と呼んでいいのかさえ怪しい。
それでも――――――……。
「ふ、ふはははは!!!」
真直ぐに見つめ返した先で起こった大爆笑。
戸惑うエアルが助けを求めるようにイヴェールを見ると彼もまたぽかんとした顔で侯爵を見ていた。
「あらあら、あなた。イヴェールとエアルさんが困っていますよ」
「ク、ククク!も、申し訳ない」
中々笑が収まらないらしい侯爵に、仕方のない方と呆れたように笑う女性。
突然現れた女性に目を白黒させていると苦虫を噛み潰したようにイヴェールが彼女に声をかけた。
「母上、気配を殺して現れるのはやめていただけませんか。
彼女が驚きます」
「あら、ごめんなさいね。
だけど私も貴女に会ってみたかったの。
イヴェールったらこの人には紹介するのに私には声もかけないのよ」
「言わなくても母上は勝手に来られるでしょう」
呆れたイヴェールの言葉を綺麗に黙殺して侯爵夫人はエアルに椅子をすすめる。
イヴェールが小さく頷いたのを確認して促されるままに腰を下ろした。