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ー29ーイヴェール

 イヴェールは目を見開いて固まってしまったエアルを満足そうに見下ろした。

 ゆっくりと震える指が薔薇の唇をなぞる。

 エアルは自分の身に何が起こったのか未だに理解できていない様子で助けを求めるように潤んだ翡翠の瞳がイヴェールを見つめた。

 今にも暴走を始めそうな欲を逃がすように未だに現実に帰って来ないエアルにキスの雨を降らせる。


 散々逃げられたんだ。このくらい許されるだろう。

 何よりも拒絶は無かった。

 

 非常に美味しそうなエアルを見つめて都合よく解釈したイヴェールは逃げられないようにしっかりとその柳腰に腕を回して数日ぶりのエアルを堪能することにした。

 瞼に唇を落としたところでようやくエアルが現実に戻ってきた。


「イヴェール様!!?」

「どうした?」


 パニック寸前のエアルになんでもないように答える。


「どうしたって!!どうしたじゃなくて!!えと、その……あれ?」


 混乱するエアルに目を細めて柔らかな亜麻色の髪を掬う。

 潤んだ翡翠を見つめながら見せつけるように口づけると、更に赤くなったエアルが金魚のようにパクパクと口を動かした。

 言葉にならない抗議をしれっとスルーしてイヴェールは意地悪く笑って見せた。


「言っただろう?貴女を逃がす気はないと」

「それは、そう、ですけど……でも!」

「俺に触れられるのは嫌か?」


 その問いに言葉に詰まったエアルが視線を彷徨わせると眉を下げてうつむいた。

 小さく振られた首に信じられないほど満たされた気がした。

 それでも――――……。


「もっと、と思うのは欲が深すぎるのかもな。

 貴女の好きなもの、思っていること、不安――――あの夜みたいに貴女の心に触れたい」

「あの、夜……?」


 無意識にこぼれ落ちた要求に、真っ赤になった顔を隠すようにうつむいていたエアルが反応した。

 キョトンとイヴェールを見つめていたエアルの表情が見る見るうちに青ざめる。


「えっと、あの夜って……?」

「嫉妬してくれただろう?だから逃げてたんじゃないのか?」

「……夢、じゃ……なかったん、ですか……」


 今にも死にそうな顔をするエアルに微苦笑を零す。


 なるほど。夢だと思っていたからこその反応と言葉か。

 だが、今はもう夢で終わらされては困る。


 柔らかな頬を両手で包み込みこつんと額を合わせて瞳を覗き込む。


「俺は嬉しかったんだがな?」

「え?」


 近すぎる距離に赤くなって必死に視線を逸らしていたエアルがパチリと目を瞬く。


「貴女にされる嫉妬は自分でも驚くほど気分がいい」

「っ、めいわくじゃ」

「ないな。貴女が俺に心を向けてくれている証を迷惑に思うわけない」


 くしゃりと歪んだ花の顔にまた口づけを落とす。

 はらりとこぼれ落ちた涙を優しく拭ってやりながらもう一度視線を合わせて囁く。


「まだ同じだけの想いを返してほしいとは言わない。

 言わないが、少しくらいうぬぼれてもいいだろう?」


 目を見開いて揺らいだ瞳は逃げ場を探しているようだった。

 最終的にエアルが逃げ込んだのはイヴェールの腕の中で、押し付けられた額と真っ赤に染まった耳に愛しさが募る。

 あまり追い詰めすぎてまた逃げられてはたまらない。

 もう少し堪能したら解放してやろうと手触りの良い髪に手を伸ばしかけた時、蚊の鳴くようなか細い声が呟いた。


「少しじゃなくてたくさん、うぬぼれてください……」


 ハッとして拘束を緩めると普段からは考えられない素早さでエアルが腕の中から抜け出してパタパタと逃げていく。

 遠ざかる背を呆然と見送ってイヴェールは片手で顔を覆った。


「それは、ずるいだろう……」


 小さな呟きは誰に聴かれることもなく静寂に溶けて消えた。



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