ー14ー イヴェール
危なかった。
イヴェールは自分を落ち着けるように息を吐く。
もう少しで煽られるままに触れてしまうところだった。
きっと一度でも触れてしまえば止まらなくなる。
欲望のままに貪って、そして怯えるエアルを見て後悔するんだ。
伯爵にもしっかり釘を刺されたし、どれほど忍耐を強いられようとエアルの嫌がることはしないと決めている。
それでも、どうしようもなく煽られる。
照れて恥じらう姿にも、嬉しそうに口元を緩めた表情にも、美しい泣き顔にも。
引き寄せた細い腰。
恥じらいに染まる頬。
伸ばした指に怯えるように閉じられた瞳。
不安げに眉が下がって、長いまつ毛がふるふる揺れていた。
赤く彩られた唇は柔らかそうで食らいつけばどれほどの甘さが広がるのだろうか。
そこまで考えて、また自身を落ち着けるように息を吐く。
「ねぇ、気持ち悪いんだけど」
「龍哉」
「ボスに報告にいくんでしょう?しょうがないから付き合ってあげる」
「母上から逃げてきただけだろう」
「ふぅん?いらないんだ。彼女があなたに言わなかった情報」
「チッ」
零れた舌打ちに龍哉は愉しそうに口の端を釣り上げる。
それにイラっとしならボスの執務室の扉をノックする。
短い返事に気を引き締めてから足を踏み入れた。
「それで?」
夜の闇を束ねるボスの顔をする父を前にイヴェールはエアルから聞き出したことを話す。
それを聞いていた龍哉はやっぱりと呆れた顔をした。
イヴェールはエアルが自分に伏せていることを龍哉には話しているという事実が激しく気にくわないが、今は情報を仕入れるのが先だと龍哉にさっさと吐けと圧力をかける。
苛立ち混じりの圧力に龍哉は呆れた顔でチラリとこちらを見た後、混乱したエアルから聞き出した情報を報告する。
それを聞いていたボスが呆れたように息を吐く。
「お前の落ち度だな」
余裕がなかったなどと言い訳にもならない。
エアルの姉の視線には気づいていた。その視線に含まれたものに気付かないほど鈍くはない。
でも、あえて無視した。イヴェールが欲しいのはエアルだけだから。
けれど、それを今とても後悔している。
もっと上手く立ち回っていれば、彼女は傷つかなかったかもしれない。
もっと上手く立ち回れたはずだ。
「ボス、アルセはいつ戻りますか」
「仕事はとっくに終わってるはずだが?」
「では呼び戻しても?」
「あれが素直に頷けばな」
クツリと笑うボスにイヴェールは苦い顔をする。
仕事が終わればそそくさと帰ってくるはずのアルセが未だに戻らない。
それは彼が唯一と見染めた存在がそこに居るからだ。
素直に戻るとは思えないし、今回の件は仕事というよりは私用に近い。
「いっそ連れて帰ってこいとでも言うか……?」
ボソリと呟いた言葉にボスはぶはっと噴き出し、龍哉は期待に瞳を輝かせた。
「それってあの人を振り回せる女性が来るってこと?」
「あぁ。年も近いはずだしエアル嬢の話し相手にもちょうどいいだろう」
「あなたたちが揃って女性に振り回される姿を見られるなんて、人生何があるか分からないね」
「クッ!クククク!!全く龍哉の言う通りだな」
笑いをかみ殺すのに失敗したボスが肩を揺らしながらつぶやく。
それをじとりと睨みつけるともう隠すことをやめたのか盛大に笑われた。
「お前たちの好きにすればいい。うちはもともとそういう家だ」
言われずともそうすると答えて、イヴェールはボスの執務室を後にする。
そうと決まればさっさとアルセを呼び戻そう。
龍哉が守りにつくとは言え、何が起こるか分からない。
子爵家と伯爵家の動きを早急に把握して監視しなければ。
イヴェールは逸る気持ちを抑えて耳元でまだ戻りたくないと駄々をこねる有能な部下を懐柔にかかった。




