贖罪(A crime of excuse)
よろしくお願いします。
週末、典子と「慈愛園」に行った。よっちゃん先生に結婚の報告をするためだ。園長室で先生に入籍したことを話した。牝猫は嬉しそうだったけど、俺はすごく照れくさかった。
「典子ちゃん、良かったわね。洸君って長身のイケメンだから、ライバルも多かったんじゃない?」
「全然余裕でしたよ。洸は私にぞっこんでしたから。どうしても私じゃなきゃダメだって頭を下げるので、かわいそうになって承諾してあげたの」
俺がいつお前に頭を下げたんだよォ!このクソビッチがァ!まあ、典子じゃなきゃダメだって思ってるのは本当だけどさ。
「洸君、大丈夫?もう尻に敷かれちゃってるね。でも、いつまでも仲良く暮らしてね。お母さん先生に見せてあげたかったな」
「ハイ、でも恵理子先生はきっと僕たちを見守って下さってると思います。二人でしあわせになることが供養だと信じてます」
結婚報告を済ませ、玄関先で見送ってくれるよっちゃん先生にお辞儀をして花屋に向かった。献花を買って恵理子先生の墓前に報告した。
(先生、いつまでも僕たちを見続けていて下さい。必ず二人でしあわせを掴みますから)
真摯な気持ちで静かに祈りを捧げた……。
帰ったら珍しく牝猫がコーヒーを入れてくれた。俺の好きなキリマンだ。最近インスタントを飲むことはめっきり減った。まったりと味わっていたら典子が擦り寄って来てジッと見つめやがる。
「ねえ洸、もう一人のお母さんには報告しないの?ずっと何か言いたそうにしてるじゃない。夫婦になったんだもん。独りで抱え込まないでよ」
「典子ってスゴイな。何で俺の考えてることがわかるの?」
「アハハ、だって洸、わかりやすいんだもん。浮気しても絶対バレるんだからね!よく肝に銘じておきなさい!」
「浮気なんてしないよ。だって俺は典子にぞっこんなんでしょ?自信満々でよっちゃん先生に言ってたじゃん」
「クッソー!また私に逆らいやがって。やっぱり洸ってヒネてるな。でも、独りで何処かに行っちゃわないでね。行くなら必ず私を連れて行って!」
「典子を置いて何処にも行かないよ。母親と一緒にするな」
「そのお母さんはどうするの?洸は会いたいんじゃないの?」
クッ!言葉に詰まった。思わずうつむいてしまう俺に構わず典子は続けて来やがる。
「会えばいいじゃない。モヤモヤした気持ちのままじゃ洸も前へ進めないでしょ?それでは私も困るもの」
「お前なあ、手紙なんて無視しろと言ってたのに、今度は会えって意味わかんねえよ!」
確かに俺は典子に背中を押されたいんだろう。停滞している倦怠感から抜け出したいんだ。
「洸が会いたがってるって言ってるのよ!私は親と死別してるから、あなたの心境ってわからないかも知れないよ。でも、会えない私からしてみれば羨ましい面も有るってわけ」
「なるほどねえ。まさか羨ましいと言われるとは思ってなかったよ。会うとすれば典子も付き合ってくれるの?」
「当然でしょ?私は洸の妻なんだよ!紹介するって理由なら自然だと思うし、私が介在すれば少しは冷静さを保てるんじゃない?」
正直、助かった。独りで会うのはやっぱり怖い。抑制されなければ言動に自信が持てないのだ。
「でも、私もお母さんと二人切りになったら何するか自信持てないなあ。こんなにも長い間あなたを苦しめて来た人だもの」
「二人で会うんだから大丈夫だって。もう俺も新しい道を歩み始めたんだし、パートナーは典子だけなんだぜ」
牝猫はニッコリ笑ってうなずいた。そうだよ。過去はいつだって取り戻せないものなんだ。
週末の夜、母親のケイタイに電話した。リビングに典子を残し、寝室に行って独りでだ。コール音が鳴る間、心臓がはち切れそうに高鳴った。
「はい、望月です」
静かでキレイなトーンだった。懐かしさは無かった。もう声の記憶など霞んでしまっていたから。
「お母さん、洸です。お久し振りです」
「洸?洸君なの!?……ありがとう。声が聞けて嬉しいわ……」
お母さんは泣き出した。何でこの人は泣くんだろう?俺を捨てたのに。
少しの間沈黙が流れた。
「お母さん、僕は結婚しました。今度東京へ行きます。僕たちと会ってくれますか?」
「ええ、もちろんよ。そう、結婚したの。おめでとう。洸君、立派な大人になったんだね。私、何もしてやれなくて本当にごめんなさい」
またお母さんは暫く泣いた。俺は電話して良かったと思った。背中を押してくれた典子のお陰だ。やっぱり人間は前へ進まないとダメだ。道程ってそういうもんだと再認識した。
「いつなら都合がいいですか?お母さんに合わせますよ。僕は土日ならいつでもいいです。ただ、奥さんは病院勤務でシフトが有りますから、僕だけになるかも知れません」
「来る日はそちらで決めて。私、週末は休みだから。やっぱり二人揃って来て欲しいわ。洸君の選んだ人を見てみたいもの」
お母さんの話し方はものすごく柔らかい。やさしさが溢れてると思えるのに、何であんなことをしたんだろう?
「わかりました。典子の予定を確認して連絡します。二人とも東京は初めてですから、観光も兼ねて行きますよ」
「そう、典子さんって言うのね。洸君、宿泊の手配は私にやらせて。それくらいのおもてなしはさせて欲しいの。私のしてあげられる事なんてほとんど無いんだから」
「ええ、お願いします。ホテルの予約なんてしたことないものですから。お母さんにやってもらえると助かります」
「任せて!じゃあ、来られる日を連絡してね。洸君、お母さんと呼んでくれてありがとう」
「わかりました。また連絡します。これで切ります。お母さん、話せて良かったです」
通話を終えて大きく肩で息を吐いた。ものすごい緊張だったから。
リビングに戻って横向きに転がった。脱力していたら牝猫に乗っ掛られた。グエッ!
「お、重てえぞ!典子、少しはダイエットしろ!しあわせ太りしてんじゃねえよ」
馬乗りになった牝猫がボコボコに殴りやがる。口が悪いのは承知済みじゃないのかよ?親愛の意味を込めて言ったのに、冗談が通じない女だぜ。俺は典子が大好きなのにさ。
「このワルガキがァ!口は禍の元だと思い知れ!もっとしあわせにしてから言え!」
「痛ってえよォ!一緒に暮らせれば最高のしあわせだろ?当たり前だと思って価値を見失ったら破綻するぜ」
「それは困るなあ。洸が私のものじゃなくなるなんて死にたくなっちゃう」
「じゃあ、早くどいてくれよ。まあ、俺は暴れる典子も好きだけどね」
グフッ!牝猫はとどめを刺すように腹の上で軽くジャンプしてからどきやがった。キスしてやるつもりだったけど止めた。ホントにこいつはクソビッチだぜ。
典子の勤務シフトを確認してお母さんに連絡した。東京行きは二週間後の週末だ。
東京駅に着いたら電話すれば俺たちの下に来てくれるそうだ。名駅を午前8時56分発の「こだま638号」のチケットも用意した。11時47分東京駅着の予定である。
前日、仕事から帰って来ても全然落ち着かなかった。典子が気を遣って晩ご飯を好物のオムライスにしてくれたのだが、イマイチ味がわからない。「おいしくないの?」と聞かれたので「いつも通りおいしいよ」と返してはみたけど。風呂上りでもビールを飲みたくなかったし、夜もあまり眠れなかった。牝猫は隣で爆睡していたけど。
翌朝、午前6時に起き出した。典子がグズるので布団を剝いでやったら殴られた。この凶暴猫はすこぶる寝起きが悪い。しょうがないのでコーヒーは俺が入れてやった。何でこんな大切な日に朝から気遣いしなければならないのか?これがよっちゃん先生が言っていた尻に敷かれるってやつなのだろうか?
トーストを焼いてアップルシナモンのジャムを塗りたくって典子に出してやった。「ありがとう!洸って最高!」と口先だけ持ち上げられて朝食を済ませた。
7時半にアパートを出た。名駅を8時56分発だから余裕だ。服装は一張羅のスーツにしようかとも思ったけど、動きにくいので結局デニムのカジュアルにした。背中に黒い小さめのリュックもしょっている。
名駅には8時半前に着いた。スタバでラテを飲んで少々の時間を潰す。それから「こだま638号」に乗り込み東京へ向かった。お昼頃にはお母さんと会えるはずだ。
新幹線は遅れも無く11時47分に俺たちを東京駅に運んでくれた。
降車してひたすら歩くんだけど、田舎者にはすごく広くて遠い。人間の数も多過ぎて人疲れしてしまう。やっぱり都会は苦手だ。とにかく中央通路を丸の内方面に向かった。
構外の景色が見えた時にはホッとした。そこからお母さんに電話した。「黒いリュックを背負ったデニムの長身男と小柄な女の二人連れです」と伝えた。入り口付近の柱から動かずに待っていたら、五分程でグレーのスーツ姿の中年夫人が寄って来た。
「望月洸君ですか?」
「ハイ、洸です。お母さん?」
「そうよ。洸君、来てくれてありがとう。会えてうれしいわ」
お母さんは長身の俺の肩に手を伸ばし、確かめるようにポンポンと叩いた。
「こちらは妻の典子です。まだ先月入籍したばかりですけど」
「そうなの。典子さん、洸の母でございます。息子と一緒になって下さり本当にありがとうございます」
「典子です。私も「慈愛園」出身で身寄りはいませんけど、洸と手を携えて暮らして行くつもりです。よろしくお願い致します」
牝猫の殊勝な挨拶にクスッと笑ってしまったらお母さんに怒られた。でも、心地良かった。
それから代官山のレストランにタクシーで行って昼食を取った。二階に在るお店はすごくオシャレな雰囲気だ。お母さんはイタリアンランチを頼んでくれた。窓際の席だったので外を見下ろすと、道行く人は皆垢抜けていて忙しそうだ。とてもこんな場所で暮らせそうもない。いや、暮らしたくないのだ。
「洸君、いつか東京に出て来ない?まだ若いから、こちらでも働き口が見つかると思うけど」
「それはありえません。僕に東京は似合わないですよ。基本的に人嫌いですから。典子は特別なんです」
「そう、変なこと言ってゴメンね。あなたと電話で話せてから、おかしな夢を見ちゃってたの」
お母さんが俺と暮らしたがってるのはわかった。でも、そう簡単に言われても困る。
「お母さん、そんなことより東京を案内して下さい。僕たちは新婚旅行も行ってませんから、少しは典子を楽しませてやりたいんです」
すかさず牝猫が続いてくれる。
「お願いします。せっかく東京まで出て来たんだし「スカイツリー」くらい見なくちゃ土産話も出来ませんから」
助かった。典子の機転に感謝した。俺はお母さんと会いたかったけど、長く味わった寂しさを許したつもりはない。
「東京スカイツリー」を手始めに、「浅草寺」とか「明治神宮」とかを巡った。どこも人だらけだったけど、お母さんが一生懸命案内してくれたのは嬉しかった。
夜はお母さんが予約してくれた「パークタワー東京」と言うホテルに行って夕食を共にした。ホテル内のレストランはスーツが似合いそうな場所だったので気後れしてしまったけど、お母さんは気にしなくてもいいと言ってくれた。
三人でフレンチディナーを食べた。俺はテーブルマナーをロクにわかってなかったので、お母さんを手本にして食べた。正直、味の違いなんてわかるはずがない。俺はこの場所では、紛れもなくストレンジャーなのだから。
夕食後、お母さんは帰って行った。翌日のランチの約束をして。でも、タクシーを使わずに駅まで歩いて行く後ろ姿を見て、俺のために無理してくれてるんだと思った。
ホテルのツインルームに入って典子と話した。窓から眺める梅雨時の空はどんより曇って星を見せてくれないが、眩いばかりのネオンサインがそれをおぎなっている。東京シティーはいつだって不夜城なのだ。
「お母さんがとても親切にしてくれるのでありがたいわね。ホントに洸と似てるんだもん。ビックリしちゃったわ。若い頃は相当の美人だったと思うわよ」
「そんなことどうでもいいよ。俺にはほとんど記憶が無いんだからさ」
素っ気なく返したので典子がブンむくれた。でも、気を取り直したのか、部屋に置いてあるドリップ式のコーヒーを入れてくれた。
「俺はどうすればいいんだろう?お母さんはいつか一緒に暮らしたいと思ってるんだろうな」
「それは私の立ち入れない問題ね。決めるのは洸よ。私はあなたに連いて行くだけ」
俺は薄く笑ってあきらめたように返した。
「冷たい女だなあ。少しは協力してくれてもいいのに」
「ダメよ。それは血の問題だもの。洸の本質が試されてるんだわ。お母さんに対してもアイス・ボーイになれるかってこと」
フーウと大きく肩で息を吐いた。完全に行き詰まった。突破口が見えない。
ベッドに倒れ込んだら典子が覆い被さって来てキスしてくれた。
「洸、私だけはあなたを裏切らないからね。思った通りにやってみなさいよ」
俺は牝猫を見つめ返して小さくうなずいた。
翌朝、午前10時にチェックアウトした。宿泊料金が支払い済みだったことに驚いた。
お母さんに電話して11時に東京駅の昨日の場所で待ち合わせた。構内のレストランで早めのランチタイムにした。ホテル代を払おうとしたけど固辞されたのでお礼を言った。典子は同僚にお土産を買うからと先に席を立った。気を利かせたつもりだろう。
コーヒーを飲みながらお母さんと話した。
「洸君、これからも連絡していいの?また私と会ってくれるの?」
少しためらったけど、今の自分なりの結論を伝えることにした。
「僕は一度限りのことだと思って、お母さんに連絡し会いに来ました。だから、もう会いません。典子と二人で生きて行きます。どうかお母さんも元気でやって下さい」
「そう、そうね……。私は取り返しのつかないことをしたのに、虫のいいことを考えてごめんなさい。洸君、どうかしあわせに暮らして行ってね。いつも、いつまでも応援してるから」
「ありがとうございます。僕もお母さんのことは忘れません。でも、もしかしたら、いつか連絡するかも知れません」
「わかったわ。期待せずに待ってる……」
お母さんは柔らかく微笑みながら泣いた。俺も涙を溢れさせた。
店を出て典子に電話した。牝猫は両手一杯にお土産をぶら下げて戻って来た。お前、お上りさん丸出しだぞ!嬉しそうに笑いやがってさ。
荷物を持たされ新幹線のプラットフォームに立った。お母さんはホームから見送ってくれるそうだ。「ひかり515号」に乗り込み窓際の席に座った。少しの間のあと電車はゆっくり動き出す。
お母さんが泣きながら手を振ってくれる。「こーう!」と言ってるのが口の動きでわかった。典子は窓にへばりつかんばかりに手を振り返したが、俺は座ったままでお母さんを見ていた。
車窓から流れる景色をずっと見ていたけど、浜松を過ぎた辺りで典子に切り出した。
「ねえ、文庫本を買ってくれない?「空中ブランコ」って本が読みたい。八十三冊目は典子からプレゼントして欲しいんだ」
「いいよ。じゃあ、本屋さんに寄ってから帰ろう。また読書を再開するんだね。私、洸が本を読んでる時の横顔って好きなんだ。思わず見とれちゃう」
「邪魔しないでくれよ。俺は読んでる時、周りが目に入ってないからさ」
「わかってるわ。とにかく、その本を切欠にして前へ進んで行くんだね」
「そういうこと。典子だって正看になるための勉強も有るんだから丁度いいんだよ」
牝猫が上目遣いで悪戯っぽく問い掛けて来る。
「お母さんとはわかり合えたの?」
「ああ、お互い納得出来たと思ってる。俺はこの先もずっとお前と生きて行くんだ」
典子は小さくうなずきを返してくれた。
それから三年半が経った。俺たちはクリスマスナイトに東京へ向かっている。
今春から典子が正看護師になったことも有り、少し広めの2DKのアパートに引っ越した。先日、いきなりお母さんに電話したら泣いて怒られた。でも、三人でクリスマスディナーを食べることは約束出来た。いや、三人半でだ。俺たちの子供は来春生まれてくる予定だ。
東京駅でお母さんと落ち合って、ちょっと庶民的なお店に行ってみた。高級レストランなんて似合わないと頼んでおいたからだ。お母さんは典子のお腹を見て喜んでくれ、冷やさないように気遣ってくれた。俺はかねてから用意していた言葉を述べた。
「お母さん、一緒に住みましょう。僕たちと暮らして下さい。お願いします」
典子がお腹に視線を落としたあと続ける。
「私からもぜひお願いします。子育てもわからないことだらけだし、落ち着いたら仕事に復帰するつもりなので見てくれる人が必要なんですよ」
お母さんはポロポロと涙を零した。
「ありがとう。二人からの最高のクリスマスプレゼントね。私は何も返せないのに」
「お母さんは居てくれるだけでいいです。もう、何処にも行かないで」
「ええ、絶対何処にも行かないわ。洸君、許してくれてありがとう」
お母さんは春までに身辺整理をして俺たちの下へ来れるようにすると言った。嬉しかった。考えて考えて、悩み抜いたあげくの結論にわだかまりは消化出来たつもりだ。
店を出て、三人半で宿泊先のホテルまでの道程を歩いた。
俺は冬が嫌いだった。幼少期からの忌まわしい記憶を蘇らせたから。でも、今日少しだけ好きになれた気がした。春の足音が聞こえて来る季節だから……。
最後まで読んで下さりありがとうございました。




