阪東昔話
思い出したのはあいつのことだった。
丁度良かったと、阪東は感じた。ちょっとばかし、お前の力が借りたかった。俺は頭の中でこれだけの手をだな。
『久しぶりだな。広嶋』
自分の、後輩に当たる男。自分と同じく野球が好きな奴。同時に、唯一こいつとはまともに野球で戦える存在。
『ま、俺がこうたまに困った時。よく現れるのはお前だよ』
夢の中だって分かりきっている。
自分も歳をくった。おっさんだ。にも関わらず、広嶋は最後の姿で阪東と相対していたからだった。
『お前の、当時の姿を見てしまうと……っと、いけないな。昔話をしてる暇はないよな?』
津甲斐があれだし、新藤に話すのもどうかと思う。
阪東が溜めているストレスのようなものが、夢の中に来た広嶋にぶつけられた。
『お前ならどーする?』
『そーだな。とりあえず、相手選手を6人ほど病院送りにするか』
『野球しろ、広嶋』
『冗談っすよ。阪東さん。俺がラフプレイに走るときは堂々とやるときだけ』
『…………』
野球ができるだけでなく、野球以外でも異常な奇策をうってくる広嶋の悪魔以上の頭は、人間とは思えない非道さ。人間じゃないし、悪魔でもないものだと阪東は思っている。
『まともに野球しろ』
しかし、普通に野球をやっても相当な実力者である。
阪東とはタイプが違うが、完成されていた化け物。阪東と同じく投手であり、上草と似た精密で一つの変化球を研ぎ澄ませた投球を武器にする選手であった。
『どこにも穴がない。実力差が明確にある』
真正面からぶつかれば負ける。
『それでも7戦の内、4勝をあげなければならないのだ』
『楽勝じゃないか?普通にやれば5戦やって1回は勝てそうだと見積もれば、確率的にも4回勝つなんて楽だろ?3回負けていいんだしな』
よく簡単に言うよ。
『ま、30%くらいの確率で1勝はできるだろう。それを4回積み重ねる。失敗できるおまけ付き。甲子園より楽だな』
『指揮をとらないお前だから楽に言えるんだな』
そうなんだよ。いかにオールビーが最強軍団としても、ペナントレースで負けがある。奴等だって負けるのだ。
4連勝する必要もない。連敗したっていい。オールビーよりも先に4勝するだけ。確率の話はもう終わりで良いだろう。
『具体的にどう戦う?お前の特技の話はなしだ。聞きたくもない』
『ひでぇけど、嬉しいこと言ってくれるな。ラフプレーや裏工作といったことなら任せてくれ』
勝負は
『確かにオールビーは強い。だが、やはり"人間"は群れれば差が生まれる。一流が集まって、全員が一流となるわけでもない』
『……なるほど』
『重要なのは基本通りだ。敵を分断していくこと。チームプレイに走らせず、要所要所で抑えて崩していけば、7連戦を長期的に見えるだろ?』
勝負は時の運とも言われる。特に7戦しかしないのなら、好不調の差が必ずあるはずだ。そこを見抜いて上手く付けこむことが、阪東の監督としての仕事だろう。全ての指揮官の役割。
『何も深く悩むことじゃないのか?』
『ああ、基本しかしないのにな』
普通が一番。そして、普通が一番難しい。特別な事は何もない。
『決心したんだ。今、お前とまた出会えてな。お前となら酒の一杯、酌み交わそう。こっちでも向こうでも金があるから、奢るぞ』
『俺とか?……悪いな。あいにく、あんた達の前にもう広嶋健吾は現れねぇ。野際先輩にもそう言ってくれ』
冷たいな。だからこそ、誰よりも勝つという手段を選ばずにできるのだろう。
「…………ま、ここにいる野際は俺達の知る奴とは違うみたいだがな。戻れたら話しでもするさ。こんな楽しい御伽噺」
というか、俺だけがここの住民じゃないんだ。
甲子園もない異世界の地での、プロ野球だ。
「うーーっ、行くか。悪夢を見たもんだ」
阪東孝介。
この作品内においても、野球においては最強の人物である。投げては精密機械、打っては河合や新藤と並ぶ豪打に小技も可能、走っては友田と並び、守っては旗野上のような守備範囲と強肩、堅守、いくつものポジションを守ることが可能。
野球においては文字通りの超人なのである。
「良い朝だ。決戦の初戦には良い」
そんな彼はもちろんのことだが、幼少期から野球漬けの毎日。とはいえ、両親が野球好きというだけだ。満足に野球をやらせてもらったのは大きな事だろう。同時に阪東が持っている野球に対する姿勢は多くの人を感嘆とさせた。
決して光る才能を持つわけではなかったが、野球に打ち込んでいる膨大かつ油断や慢心をみせない反復練習を毎日のように取り組んだ。
リトルの頃からその練習量と質は周囲から桁が2つ違っており、全国一のシニアチームに入団。在籍中に何度も全国の猛者達と野球で戦い続け、いずれにおいても勝利をあげた。ちなみにシニア時代に広嶋とは知り合い、同じチームに属していた。
数多くの試合を経験するため、当初は投手として活躍していたが、この時からいくつもの視点で野球を見るために捕手を務めたり、遊撃手を務めたり、外野を守ったりするなど、オールラウンダーな選手として対応する。稀に三塁コーチャーや一塁コーチャー、スコアラーまでもやる変人ぶり。
これらが認められたのは選手として阪東が異常に際立っており、全てこなせるだけの練習をしっかりと行なっていたからだ。
「こんな日は勝つもんだ」
高校では選抜大会で準優勝投手。また、2年時では夏の甲子園の優勝も経験している。
投手としては全国でベスト3には名を連ねるだろうと高く評価され、野手としても、どんなポジションを守っていてもナンバー1争いができるほど優れたプレイヤー。プロ注目かつ、即戦力であることは間違いなしの野球だけの男だった。
投手としても、野手としても、どちらでもやっていける。この年では唯一の選手であった。
無論、志望届けも出し、6球団の競合の末ドラフト1位で某球団に入団。
開幕一軍も勝ち取りプロ世界で大暴れすると思われた阪東であったが、なんと現役1登板1勝、1完封で……引退を希望したのだった。
通常ありえない辞め方。プロ球界を揺るがす大事件であった。本人の弁によると
『投手で勝てる数には限りがある』
嵐のような引退。本人はできて200勝とのこと(それでも凄いじゃないか)。そして、
『私はコーチや監督業の勉強に励みたい。いずれ、2000の勝利を重ねる監督として、野球に貢献したい』
当時、20にも満たない選手が1回の成功だけで満足し、公表したのだ。
これには同期入団した者や球団関係者も広く動揺しただろう。後に阪東はこの事件をきっかけにプロ球界から一時的な破門を言い渡される。
しかし、それでも野球の勉強ができる。野球はプロだけじゃない。
同期の活躍もあり、彼等の指導にも携わりながら、堅い破門は徐々に解かれようとしていた。
現在、勉強を始めてから15年以上の歳月が経ち、ようやく。本当にようやく、監督としてこの場所に立っていた。
長いシーズンを戦い抜く辛さを、本当のプロに行く前に知れて良かった。
「……嫌だな」
監督にしろ、コーチにしろ。無論、選手であってもだ。
ほぼ1年間携わったチームから離れなければならないのは辛い事だ。同時に自分がどれだけ良いところにいたか、身に染みて分かってくる。離れたくないというのは、そーゆうことだ。
「最後は勝たなくちゃな。じゃなければ、満足に帰れねぇぞ」
阪東孝介。そして、シールズ・シールバックの最終決戦。
全国シリーズはいよいよ開幕するのである。