18 わたしは、わたしらしく前を向く
ろくに寝もせずに必死に馬車を飛ばして五日。なんとかアーマイゼに逃げ帰ったビアンカたちは、出迎えた門番に泣いて喜ばれた。アハッツから『ジルの行方を追っている』と近況報告は送っていた。けれど、その後連絡が途絶えたため、少ない兵でありあわせの捜索隊を組み、二人の王女を探していたらしい。
謁見の間に辿り着くなり、父王が毬のような身体で転がるように駆け寄ってきた。
「ああビアンカ。エリアスがついているから大丈夫だとは思っていたが――無事でよかった。本当に良かった」
むぎゅむぎゅと抱きしめ、ほっとした表情を見せた父に、ビアンカは腕の中から訴えた。
「父様、あのね、話があるのよ。ジルが見つかったの。グラオザムで!」
そう言うと父はおお、と顔を輝かせてビアンカを解放する。続けて詳細を口にしようとするビアンカだったが、父の意外な言葉に遮られる。
「ちょうど良かった。わたしも今からグラオザムに行くところなのだ」
「え、どうして」
偶然の一致にビアンカが目を瞬かせると、父は眉間に悲しげな皺を寄せる。
「十日前にグラオザム王妃が亡くなったそうでな。葬儀に出席しなければならないのだ。お前が居ないのに国を空けるわけにもいかなくて残っていたのだが、さすがにもう発たねば間に合わぬ。――すぐに出立の準備を!」
慌ただしく侍従を呼びつける父の後ろを見ると、旅の荷物が雑然と積まれていた。
「王妃? え、って誰?」
シリルが驚愕の表情を浮かべた。
「王妃をどうして知らないの?」
ビアンカが尋ねると、シリルは困惑した顔で答えた。
「伯父は最初の妃を亡くしたあとは、正妃を置かなかったんだ。寵姫を一人に絞りきれないからとか、そんな理由だと聞いているけど」
うんざりした様子のシリルの言葉に、ビアンカはそういえばとオスカーの言葉を思い出す。
ようやく準備に本腰を入れたといった様子の父は、侍従に書状を渡せと言いつける。
開封しながら父が補足する。
「どうも、亡くなったあとに妃に召し上げたらしい。元は女官だったとか」
女官という言葉にビアンカたちは敏感に反応して顔を見合わせた。
(まさか、ね)
否定するビアンカの様子に気づく事無く父は続けた。
「訳ありだったのかもしれないな。しがらみを避けて死後に妃に召し上げるというのは、結構な愛を感じるがなあ……ところで場所はどこだったかな」
「って、書状、まだ読んでないの!?」
嫌な予感はしていたが、そこまで王としての、いや大人としての適正がないのか。突っ込むと父はしゅんと肩を落とす。
「そう怒ってくれるな。ジルは見つからないし、頼りのお前も居ないしで、いっぱいいっぱいだったんだ。侍従任せで日付しか確認してなくてな。ほら、そういった細々としたことはお前に全部任せっきりだったものだから……でももう帰ってきたからアーマイゼも安泰だ」
ビアンカがじっとりと睨むと父はごまかすように書状に目を落とす。
「……ええと、ば、場所は、ローラント大聖堂で、司祭はアルミン=ヴィルダー光司祭? え――なぜルキアル正教の司祭なのだ? 聞いていないぞ」
父が急に顔色を変えて固まった。そして呻くようにして泣きはじめた。
「どうしたの?」
「……これを」
差し出された書状にビアンカが目を落とすと、そこには悼まれることになった妃の名が書かれていた。
「う、そ」
声を失うビアンカの言葉をエリアスが引き継いだ。
「ジル=フリーデリカ=グラオザム……? 十日前に死んだ? じゃあ、あのとき見たのは――」
エリアスは畏怖の表情を浮かべて言葉を呑み込んだ。衝撃の中で、ふと気になってビアンカは指折り数える。
「十日前、って確か……城が眠りから覚めたとき……」
黙り込んだビアンカに、シリルがしんみりと言った。
「俺はやっぱり“鍵”を解除したわけじゃなかったらしいな」
鍵、という言葉にある考えが浮かび上がった。
「鍵は……大き過ぎてとても外せなかったと思う。でも、少なくとも、魔法をかけた当初は、ジルはマティアス陛下とそれを外すつもりだったんだわ」
「え? 鍵、わかったの?」
目を丸くしたシリルに問われたが、それはビアンカの勝手な想像。弱々しく首を横に振る。そしてぼんやりとジルとの会話を思い出した。
ジルは『大陸がすべて統合してからゆっくり会うはずだったのに』と言った。
(あれが、きっとジルのかけた鍵)
だが、統合出来たのは火と水だけで条件を満たしていない。だから、眠りの魔法が解けたのはもう一つの条件が発動したから――術者が息絶えたからだ。
だが、ジルは命が尽きたあとも、魂だけこの世にとどまった。命と同時に尽きた魔力を、あのフォイアシュタインで補って、地底に引き込もうとする地底神と戦っていたのだ。
たぶん、ビアンカに自分のやり残した事を、託すために。だから、シリルを目覚めようとしているアーマイゼに遣わした。
すべて繋がった。
大泣きする父王の前で、ビアンカは首からかけていた二つの石、宿命の石と運命の石を握りしめる。声を殺したままぼろぼろと涙をこぼすビアンカをエリアスが周りの目から遮るようにそっと抱き寄せる。
シリルは眉をしかめるが、エリアスを押しのけたりせずにじっと見守っていた。
やがて、ビアンカの涙が収まる頃、シリルは遠慮がちに口を開く。
「とにかく、今は、急がないと。伯父はまだ諦めていないはずだ。もしかしたら、こうしてラザファム王を呼び寄せたのも、騒ぎに乗じてアーマイゼを丸め込むつもりなのかもしれない」
ビアンカはぐいと涙を拭うと、顔を上げた。シリルの言う通りだ。マティアスがそう簡単に諦めるとは思えない。彼の大陸統一という理想は理解できる。だけどそのやり方には納得いかない。
「父さま。どうしても聞いて欲しい話があるのよ」
「なんだ?」
ビアンカはグラオザムがジルを利用してアーマイゼを眠らせ、その間にヴェシャイランを侵略した話をじっくりと父親に聞かせた。
「じゃあ、アーマイゼを眠らせたのはジルなのか」
「ええ。だから、わたしたちは――アーマイゼは、ジルのやった事の責任を取らねばならないわ。ヴェシャイランをグラオザムから解放するの」
「でも、解放したとしても、もう、あの国には王位を継ぐ王族が殲滅されて、いないと聞いているが……」
心配そうに眉を寄せる王に、ビアンカは微笑んだ。
「いいえ。丁度いい事に、ここに居るの。――実は最初から水の国の王子としてわたしに申し込んでいたのでしょう? シリル王子」
母親思いの彼が、彼女の無念を晴らさずに居られるはずがないのだ。ビアンカがちらと睨むと、
「今から言おうと思ってたのに。……裁定者の姫君は、本当に食えないなあ。美味しいところ、全部持っていかれた」
苦笑いしながらも、シリルは胸を張ってビアンカの手を取った。そして敬意を示すように、酷く丁寧にそこに口付ける。
「勇猛果敢で、優しく美しい姫君。わたしの国づくりにはあなたが必要だ。もう一度、正式に申し込ませてもらってもいいかな?」
ビアンカは驚くが、今度のは正式な申し込みだ。無碍に扱うのは躊躇われた。
それに、これはビアンカの裁定者の姫としての義務。選ぶべきものを選び、世界を救う。それが、エリアスが好きだと言ってくれたビアンカだ。
(わたしは、わたしらしく前を向くわ。あなたの好きなビアンカでいるために)
「考えておくわ。でも、わたしは王子としか結婚できないの。あなたは火の国からは追い出されたみたいだし……だから水の国をとり返さない限り候補の一人に入れないわよ」
多少捻くれてはいるが、ビアンカの前向きな答えを聞いたシリルは「じゃあ、がんばらないとね」と自信の滲んだ魅惑的な笑顔を浮かべた。後ろで柔らかい椅子に横になるシリルの父も、息子の挑戦を温かく微笑んで応援している。ビアンカは息を大きく吸うと、エリアスを振り返る。
(これで、いいのよね?)
ビアンカが微笑むと、彼は一瞬ぎゅっと目を瞑ったあと、いつも通りの静かな表情で頷く。届かない想いに終止符を打ったビアンカは、小さく息を吐くと顔を上げ天を仰いだ。