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16 いつも一歩前に

 城の裏に回るためにと、一歩王宮に足を踏み入れた一行の前には、あっさりと障壁が立ちふさがった。

 それは、近衛隊の制服を着た精鋭十名。中央に居たのは、ひと際煌びやかな男だった。だが彼は、今日は金の巻き毛を項で束ね、黒の軍服を纏い、紺色のマントをつけていた。あまりに印象が違って別人じゃないかとビアンカは思った。


「オスカー」


 シリルが落胆を隠さずに呟く。オスカーはシリルと彼の背に庇われたベンジャミンを睨み据えた。


「入り口辺りで干からびるのを待っていたんですがね」

「……あいにくそれほど気が長くないもんでね」


 シリルが落としていた肩を何とか持ち上げて軽口を叩く。オスカーは後ろをちらりと見て尋ねた。


「やはり幽閉などでなく、しっかり殺しておかないからこういう失態に繋がるのでは? 今回ばかりは、わたしの言った事が正しかったのではないですかね」


 言葉に応えるように後ろから現れたのは、オスカーの体格を一回り大きくした初老の男だった。


「光の騎士を侮るな。お前は薔薇屋敷で部下を失った事を忘れたのか」

「あれは、勝手に自害しただけだと報告を受けていますし、彼らの体には傷一つついていませんでした。捕獲したときもまったく大した事はなかったですし、最強の騎士などただの伝承ですよ。父上のやり方は生温いのです。引退されたのですから、いい加減口を挟むのはやめていただきたい」

「『これだから年寄りは』とでも思っているのだろうが、それがお前の愚かさだと何度言えばわかる。雑な仕事は身を滅ぼす。だから七光りなどといつまでも言われるのだぞ」


 男が静かな怒りをオスカーに向けるが、彼は軽く流した。


「――とにかく、殿下。そちらの方をお渡し願います」

「オスカー。本物かきちんと確認しろ」

「うるさいなあ、口出しは無用と何度言えばよいのでしょうかね。見ればわかります、父上。シリル殿下は母親だけでなく、父親にもよく似ていらっしゃる」


 鬱陶しそうにオスカーが道をあけ、後ろの男の頬の傷が露になる。印象的な傷跡に、


「エーゲル将軍……」


 ビアンカが思わず呟くと、おや? と男が眉を上げ、やれやれとため息を吐いた。


「あなたが逃亡の手引きをされたのですか。ということは、こうしてベンジャミン殿下が命をつないでおられるのも、あなたの仕業ですね。あんまり勝手をされると、陛下のご寵愛を失うことになりますよ」


 意味がわからず、ビアンカがどう答えていいものかと悩んでいると、エーゲルは「おや」と濁った目を眇める。そして戸惑ったように頭を掻いた。


「失敬、人違いでした。あの人がここに居るわけがないし、居たとしてもこんなに若いわけがない。歳のせいか近頃目がずいぶん弱っているようだ」

「弱っているのは目だけじゃないみたいだけれどね」


 オスカーが鼻で笑うが、エーゲルは相手にしない。

 ふとビアンカの頭にある考えが浮かび上がる。


「え、ちょっと待って、人違いって――」


 思わず問いかけるビアンカだったが、オスカーは質問を許さず、


「ご同行願いますよ。陛下がお待ちです」


 と、突き当たりの部屋へ入るように促した。




 金と朱に彩られた豪奢な部屋だった。

 中央にある玉座には、マティアス王と思える人物がどっしりと腰を下ろしている。

 ビアンカとエリアスはベンジャミンとシリルの後ろに影のように立たされていて、王の姿をしっかりと見る事は出来ない。隙間からちらりと見た限りでは、ベンジャミンと面影には似たところがあるが、雰囲気が全く違っていた。ベンジャミンが静かな森のようだとすれば、燃え盛る炎のような人だとビアンカは思う。

 マティアスの頭の上には見覚えのある王冠。中央にはフォイアシュタインらしき赤い石がはめ込まれている。指輪よりも剣よりもさらに大きい石だったが、なぜか力強さは感じられない。


(あれが、フォイアシュタイン……?)


 僅かに気を取られたビアンカは、王の重みのある声で我に返る。


「弟よ。黙っていてくれれば、命だけは助けよう。火と水が結ばれ、ようやく大陸に平和が訪れようとしているのだよ。犠牲になった人間や、わたしたちの血を吐くような努力を無為にする気か?」

「何度言われても、わたしの口を塞ぐ事はできないよ。あなたの行った事は立派な侵略だ」


 ベンジャミンが言い返すと、マティアスは労るように表情を和らげた。


「地下で過ごした二十五年は長かっただろう? もう戻りたくはないだろう?」

「それでも、わたしはツェツィーリエを裏切る事はしない」


 ベンジャミンは毅然と言い返すが、立っているのが酷く辛そうだった。シリルが心配そうに傍で支える。


「もともと、火と水はわたしとツェツィーリエの結婚で結ばれたはずだっただろう」


 ベンジャミンの言葉にもマティアスは冷たい笑みを浮かべるだけだ。


「ここ五十年で外海はどんどん広がって来ている。鉱山のある西部も随分滑落している。あのままの約定ではグラオザムの分が悪かった。民は貧しさに喘いでいたのだ」


 自らの正義を正当化しようとするマティアスに、シリルが激高した。


「そんなのは外海に接した国ならば条件はみな同じだろう。ヴェシャイランでも東部の滑落が酷く、河が氾濫して、農作物に影響が出ている。どこも痛みを抱えているのは同じなんだ。だからこそ奪うのではなく、支え合うべきだろう!?」

「グラオザムの皇太子の分際で、ヴェシャイランの肩を持つのか。水神の血が混じって随分弱腰になったものだ。情けない。やはり、もっとグラオザムらしい強く勇猛な後継者を用意するべきだろうな」


 マティアスが不快そうに目配せすると、オスカーが我がとでも言うように一歩前へ出る。ザッと音を立てて周囲の騎士が剣に手をやった。

 圧倒的不利に見えたのだろう。シリルが父親を背に庇いつつ後ずさりする。二人の後ろに影のように控えていたエリアスが一歩前に出る。同時にビアンカも彼に肩を並べて足を踏み出した。


「駄目だ。君を守るのが僕の役目だ」


 腕で遮られるけれど、ビアンカはその手を押しのけ彼に並んだ。


「わたしは、あなたの陰に隠れてなど生きられないの。いつも一歩前に。そういう風にディアマントに定められているのよ」


 一人で戦わせはしないわ。にっと笑うと、エリアスの腰から剣を一本抜いてシリルの前に立った。

 突如剣を振りかざした幼女に兵がざわつくのを、王が「静まれ」と叱咤する。そして初めてビアンカに注意を向け、僅かに動揺した顔をしてオスカーに問う。


「何だこの子供は」

「あ、あの」


 オスカーが当惑した声を出すのと同時に、ビアンカは剣を振り上げ、王に向かって走り出す。

 殺気立った兵がビアンカに斬り掛かったその時だった。

 視界に銀の髪がひらめく。風貌を変えたエリアスが風のようにビアンカの前に飛び出していた。変化に動揺する兵の中、


「光の、騎士!? なぜここに!? オスカーどういうことだ!?」


 王が目を見開いて呟くと、周囲の兵は怯み、「これが!?」と足を一斉に止めた。


「バカ息子が。いちいち報告しろとあれほど言っただろうが!」


 エーゲルが怒鳴ったあと天を仰ぐ。オスカーが慌てて言い訳をする。


「報告を上げる前に逃げられまして……あの、でも、てっきりただの伝承と思って。あと、始末するのも時間の問題でしたので、お知らせするほどの事ではないかと……」


 王は苛立たしげにしどろもどろのオスカーの言葉を遮る。


「そっちの娘はなんだ。光の騎士が現れたという事は、つまり」

「光の、姫、ビアンカ姫です」


 呻くように報告するオスカーに王は冷たく言った。


「やはりお前は使えない。どいつもこいつも、仕事がまるでできない。父親の偉業に胡座をかいてばかりで、弱腰シリルの足下にも及ばんとは。後継者がいつまでも決まらぬから、わたしがいつまでも引退できぬのだ」


 オスカーはくっと喉を鳴らすと、狂ったようにシリルに向かって剣を振り上げた。ビアンカは思わず目を見張る。彼の手にしている剣にフォイアシュタインが埋め込まれている。剣を受けたシリルは、力技でねじ伏せようとするオスカーの剣を鍔で跳ね返し、剣の腹で彼の腕をたたき落とした。

 絶叫と共に、オスカーが剣を落とす。拾い上げたシリルが取り戻した自らの剣を構えると、目を血走らせたオスカーが「纏めて殺ってしまえ!」と命じる。近衛隊が雄叫びを上げて一斉にシリルに襲いかかった。


「やめて!!」


 過去の場面が瞬く間に瞼の裏に蘇り、ビアンカは思わず悲鳴を上げた。

 刹那。エリアスがシリルの前に風のように割り込んだ。彼が剣を一振りすると、先頭の近衛兵の甲冑が高い音を立てて床に落ちる。続けて下ろしていた切っ先を軽く振り上げる。とたん、弾けとんだ兜が部屋の天井に衝突し、凄まじい音を立て、ぱぁっと部屋が明るくなった。

 落ちて来ない兜を不思議に思った兵が天上を見上げると、そこには大きな穴が開き、陽光が穴から漏れ入っていた。


「…………は………?」


 パラパラと落ちてくる石の音だけが響く。しばし部屋が静まり返ったあと、


「なんだ!? 何が起こった!?」


 仰天した兵たちのせいで、広間はあっという間に蜂の巣を突いたみたいになる。

 シリルがその間に父親を抱えて部屋を出る。見届けたビアンカは、エリアスとともに踵を返すと、シリルたちの後を追った。

 シリルはベンジャミンを背負ったまま、空中庭園へと飛び出す。ビアンカたちも続いて、花の道を走り抜ける。月光の降り注ぐ夜の庭は人気がなく、静まり返っていた。足音と息づかいが響き渡る。歩幅が狭いせいもあり、エリアスにはとてもついて行けない。体力の限界を感じたビアンカが喘いだとたん、エリアスがビアンカの手を握り、強く引く。ぐんと引き寄せられて、半ば抱えられるようにしてビアンカは走った。



 中庭の出口が見えたところで二人はようやくシリルとベンジャミンに追いついた。


「これからどうする気なんだ!?」


 シリルに問われ、


「ここを出るのよ。アーマイゼへ逃れるの! 父様に頼んで、水、風、土の各国へ使者を出してもらう。そして二十五年前のグラオザムの不正を協議するの。殺し合わなくていい。話し合いで決着を付ける」


 と、荒い息のビアンカが言い切ったとたん、後ろから兵が庭へとわらわらと飛び出してくる。

 オスカーの声が飛ぶ。


『あっちだ! 逃がすな! ありったけの兵を集めろ! 門へ急げ! 二手に分かれて挟み込め!』


 前方の扉が開き、兵が現れる。挟み撃ちにされ、シリルが「こっちだ! 通用門に出る!」と迂回路を示した。

 使用人用の通路を走り抜けていると、前方がにわかに騒がしくなる。そちらにも回り込まれたらしい。


「とても逃げ切れない。ビアンカ、僕に命じろ、奴らを倒させろ!」


 銀色の前髪の下で強く輝く藍色の目に懇願される。手を振り切ろうとするエリアスにビアンカはしがみついた。


「だめよ。敵が何人いると思ってるの!? あれだけ斬ったらあっという間に地底神に連れていかれるわよ! 一生傍にいなさいって言ったでしょう!」

「まだそんな我が儘言ってるのか。君のために命を削る覚悟なんてとうにできている。頼む。君を守るために力を使わせてくれ!」

「いや、絶対嫌!」


 我を通すビアンカにエリアスはお手上げだと矛先を変えた。


「シリル、今は許す。ビアンカを抱えて黙らせとけ! 無茶するから、絶対離すな!」

「許すも何も俺が婚約者なんだけど」


 シリルはむっとしつつも頷き、父親を降ろすと、代わりにビアンカを羽交い締めにしようとした。


「やだ! 変態! 離しなさいよっ!」


 叫んで手足をばたつかせていると、急に周囲から殺気と音が消えたあと、一つの声が響いた。




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