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15 君は一応姫だから

「でも、どうやって? わたしはもうここから動く事はできない。わたしはこの狭い庭で飼い殺された」


 ベンジャミンは悲しげに自らの足を見下ろす。生きるための最低限の食料しか手に入らなかったのだろう。持ち上げた裾から覗いた彼の足はやせ衰えていた。


「入り口まで戻りましょう。歩けないでしょうし、背負って行きます」


 衰えた足を気遣って、シリルが言った。

 だがベンジャミンは無理だと頑に首を横に振った。


「入り口に戻っても出してもらえるとは思わない。まず兄はわたしが生きているとも思っていないだろうし、見つかれば殺されてもおかしくない」


 ベンジャミンの枯れ枝のような足を見て、ビアンカは手を握りしめる。


(力が、少しでもつかえたら)


 彼女の癒しの力は今は使えない。使えたとしても、それは自らの命と引き換えとなるだろう。本来の姿ならば、このくらい一瞬で治すことができるはずなのに。そうすれば、少しは気力も湧くだろうに。

 無力を呪い始めるビアンカを見て、エリアスが一歩前に出た。


「あなたは、何を食べて今まで生きていたのですか。それに、ここには服も、家具だって揃っている」


 そういえばとビアンカは辺りを見回した。


「水は澄んでいて豊富だし、色んなものが滝から流れ着くんだよ。果物や、野菜も。その椅子だってなぜか流れて来た。無いものは話し相手くらいでね。誰かわたしを生かしたい人間が居るのかもしれないと励まされていたが、ここ数日急に食べ物が途切れた。そろそろ天の国へ行けと見放されたかと思っていたところだ」


 ビアンカは流れてきた青い花びらをすくいあげる。その瑞々しさに天を見上げ、滝を目で追う。次から次へと流れ込む花が、まるでこっちにおいでと誘うようだと思い、ふと尋ねた。


「この滝はどこからどこへ繋がっているのです? 逃げ出そうとは?」

「さあ。わたしは泳げないものでね。考えた事も無かったな」


 うつろな目をした男は昏い穴の中を覗き込む。大量の水を飲み込む穴は人一人が通れるくらいの大きさだった。それを見ていて、ふとビアンカはひらめいた。


「通れるわよね、ここ」


 ビアンカの呟きに、エリアスとシリルが虚をつかれる。


「は?」

「ここ、きっと、城内に繋がっているわ」

「どうしてわかる、そんなこと」


 エリアスが何を言い出すんだと呆れるが、ビアンカは構わない。


「外に風車があったでしょう。グラオザムではあれで地下から水を汲み上げているはず」

「王宮地下に泉があるのは知っているが、ここがそうなのか? 根拠は?」


 シリルが訝しげに問う。

 ビアンカはしゃがみ込んで、水を手にすくう。手のひらの上でたゆたう水は澄んでいた。匂いを嗅いで確信する。この水は、腐っていない。


「ラビリンスの構造と、水質と、グラオザムの気候よ。迷宮はここに向かって少しずつ下って来てる。そして入り口では濁っていた水がここまで辿り着くと濾されて澄んでいるの。なによりここは火神フォイアの国よ。ヴェシャイランならまだわかるけれど、乾燥した土地で、これほどの水を無為に流すなんて考えられないわ。一滴でも無駄にしたくないはず。もしかしてこのラビリンスは巨大な浄水器、そして貯水池になってるんじゃない?」


 話しながら頭を整理しているうちに、それが正解だと確信したビアンカは、興奮しつつシリルとベンジャミンに向かって尋ねた。


「城の井戸の位置は?」

「中庭に繋がってる。庭園の大きな泉になっていて、そこから城内に流しているんだ」

「それなら、まず間違いなく、この水はその泉に繋がっている。機関室があれば、上に行く道があると思う。でも一度潜らないと確信は持てないわ」

「じゃあ、僕が行く」


 エリアスが名乗りを上げた。続けて俺も――と言うシリルをビアンカは止める。


「水神ヴァッサに嫌われたグラオザムの民が泳げるの?」

「……」


 グラオザムには泳げるような場所がまずない。シリルはやはり泳ぎが苦手なのか、顔が引きつっている。


「ここで行けるのはエリアスと、わたしだけでしょ」

「ビアンカ、君、行くつもりなの? どれだけ馬鹿な事しようとしてるかわかってるのか!?」


 エリアスがぎょっと目を剥く。


「こう見えて泳ぎは得意なのよ」


 それに、一人で置いて行くつもり? 残すのは心配でしょう? と問うと、ビアンカの予想とは違い、エリアスは大きくため息を吐いた後、あっさりとシリルと手を組んだ。


「シリル、彼女を頼む」

「わかった」


 ビアンカはあっという間にシリルに捕まえられ、腕の中に囚われる。


「何するのよ! エリアス一人に行かせる気!?」


 ビアンカは暴れるが、シリルの腕は全く緩まない。


「忘れているようだけど、君は一応姫だから」

「そういうこと。夜までには何とかする」


 エリアスはにっと笑う。二度と見れないと思っていた笑顔に、思わず呆然とするビアンカの前で、彼は上着を脱ぎ捨て、あっという間に黒い水の中に消えた。



 ◆



 エリアスはなかなか戻って来なかった。

 刻一刻と時が過ぎ去り、やがて日が暮れ、滝は赤く染められた。

 その間、シリルとベンジャミンは離れていた長い年月、それから親子の間にあった溝を埋めるように話し込んでいたが、ビアンカはそれどころではない。苛々と窟の中を歩き回り、呼吸ごとに水の穴を覗く始末。

 滝に映り込んだクリーム色の月明かりを見つけた時には、ビアンカは発狂しそうになっていた。

 ベンジャミンが菓子を差し出すが、菓子など食べている場合じゃない。というか、どこから出して来た!


「もうだめ、我慢できない」

「落ち着けよ。あいつなら大丈夫だ」

「落ち着けるわけが無いじゃない! いいから離して。わたしも行くから!!」

「勘弁してくれ。姫に何かあれば間違いなく俺が殺される」


 振り切って飛び込もうとしたそのとき――


「お待たせ」


 という声と共に、頭上からロープが降ってきた。驚いて顔を上げると、滝と天井の僅かな隙間から待ちわびた笑顔が朝日のように窟を照らした。


「お、そ、い、わよ! っていうか、なんでそんなところから――」


 言葉が涙色に染まり、それ以上言えなかった。ビアンカは慌てて俯くが、しょうがないな、というような顔が瞼の裏にくっきり焼き付いた気がした。


「流れが結構速くて、逆流するのはきつかったから、一気に上って来た。武器とロープをさがして、暗くなるのを待ってたんだ。シリル、引き上げるから、補助を頼む」

「ああ」


 そう言うと、シリルはまずビアンカをロープにつかまらせる。


「わたしが最初でいいの? お父様は?」

「女の子が最初。なにより……そんな顔してる子を最後にはできないよ」


 やれやれと肩をすくめられ、ビアンカは遠慮なしにロープをつかむ。そして「引き上げるから、捕まっているだけでいい」と止められながらも、ありったけの腕力を使って地上へと上りはじめた。

 そして、


「馬鹿エリアス。心配させないで」


 やがて地上にたどり着き、引き上げられると同時にビアンカはエリアスに抱きつく。我慢していた恐ろしさが涙となって溢れて止まらなかった。


「わたしより先に死んだら許さない。こんなことならわたしが飛び込んでれば良かった」

「やめてくれよ、君に先に死なれたら、僕の仕事がなくなるだろう」


 すぐ後から上って来ていたシリルが、父親を引き上げつつ苦笑いをする。


「あーあ、俺、婚約者の立場がない。どうすればいいんだろ」

「婚約者? お前……まさか幼女趣味なのか」


 父にまで愚弄され、シリルは腐りながらビアンカとエリアスの正体を告げる。『まさか』と『なるほど』が混じったような表情でベンジャミンはビアンカを見つめた。


「何だかんだで外見も中身も可愛らしいし、他の王子になら勝てる自信はあるんだけどなあ。まぁ、勝算が全くない訳じゃないけど……」


 ぶつぶつといいながら、シリルは父親を背に背負った。


「じゃあ、行こうか」

「どこに?」

「母上のところ。墓は城の裏にある」

「待ってくれ。マティアスが先だろう」


 ベンジャミンが驚くが、シリルは譲らない。


「そっちは俺が何とかする。父上は母上に謝るのが先だ」

「だが、お前一人では心配だ」

「いいから。父上はとにかく休まなければ駄目だ」

「シリル、まさか、わたしだけを仲間はずれにするつもりか」

「俺はやっと手に入れた家族を失いたくないんだよ」


 互いを思いやる親子のやり取りを微笑ましく思いながら、ビアンカは中庭に目を向けた。

 風車は庭中にところ狭しと植えられた花に埋もれるようだった。裾に広がる泉には、空の月が浮かんでいる。先ほどビアンカたちが居た昏い窟へと、ふわふわと流れる込む花を見て、ベンジャミンの言っていた『彼を生かしておきたい人物』の事を思い出す。食べ物は彼を生かすため。そして、


(もしかしたら花は彼を地上へと誘うため? そういえば、一体誰が――)


 上流を見やって目をしばたたかせる。


(あれ?)


 月明かりに照らされた、白い人影が見えた気がしたのだ。



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