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12 入れ替わる光と影

 普段通りに過ごせるだろうかという、ビアンカの杞憂は翌朝には吹き飛んでいた。いや、吹き飛ばさざるを得なかった。

 眠ったからではない。

 原因は朝食に含まれていた毒だった。


「おかしいでしょ。どうして毒が入っているの」


 カサカサと天井裏で暴れていた鼠が、隙をついてパンを齧って死んでいた。おかげで気がついて大事にはいたらなかったものの、不可解でしょうがなかった。

 比較的平和に過ごして来たビアンカにとっては、短期間で何度も命の危機にさらされるというのは驚異的な事だ。


「シリルと間違えたのかしら?」


 ぶつぶつ言いながら、働けと頭をこつんと叩き、ビアンカはグラオザムの香辛料に味と色を赤く浸食された食事を注視した。

 子供のビアンカ用に用意された赤くない食事にも、ご丁寧に毒が含まれていた。子供であれ殲滅しようとしたのか。徹底しているとビアンカは眉をしかめた。

 すぐに調べたシリルが言うには、主人の妻が食事を用意し、食事は宿の人間すべて同じものが用意される。使用人も賄いとして同じものを口にしているそうだ。となると、毒の混入は調理中ではなく、配膳後だろう。

 厨房には常に人目があり、毒を入れる機会は無いと皆言った。全員がぐるでもない限り、宿側の人間の毒の注入は無理だ。

 まず彼らには動機が無い。一通り話を聞いた後、グラオザムの憲兵に詳細の調査を依頼はしたけれど、今のところ灰色だった。

 不審者がいなかったか尋ねたが、元々安宿で安全対策はゆるいらしい。鍵がかかっているのは客室だけで、その辺は曖昧だった。


「いい迷惑だな。あんたのせいで、僕たちも巻き込まれるところだった」


 エリアスが毒入りの食事とシリルを交互に睨みながら唸った。

 だが、同様に食事を見つめていたオスカーは、


「あ、お腹空いたんで、代わりの食事買ってきますね!」


 と言って、暢気に買い物に飛び出して行く。


「……って食欲あるの、あの人。こんな時に、どういう神経してるの」


 ビアンカがげっそりと胃を抑えると、


「頭が花畑だからな」


 シリルがいつもの事だと肩をすくめる。

 ビアンカは気を取り直して話を続けた。


「とにかく、無関係の人間まで巻き込むのって危険だわ。標的以外が先に死んだら警戒されるし。しかも中にはわたしという子供もいるのよ? わたしなら確実にシリルだけを狙うし、特に今回こんな風に子供用に味付けされているなら、それ以外に入れるわ」


 赤い食事を指差すと、


「その姿で『わたしなら』って言うなよ、気味悪いから」


 エリアスが顔をしかめ、話の腰を折られたビアンカは膨れる。


「たとえばの話よ。いちいちつっかからないで、よく考えてみて。いい? 犯人の狙いが“シリルじゃない”とすれば、そこまでおかしくないのよ」

「俺じゃない? じゃあ誰だ?」


 蒼い目を丸くするシリルに、ビアンカは問う。


「あなた、この間、自分が狙われてるってあっさり決めつけたけれど、そう信じ込むくらい、危険な立場なの? 毎日狙われるような? それにしては護衛もつけずにふらふらしているし、せっかくの影武者は放置してるし。危機感無さ過ぎると思うけれど」


 シリルはうーんと首を傾げた。


「そう言われてみれば、今回の襲撃は久々だったかもしれないが、でも、俺の他に誰が狙われる?」


 ビアンカは人差し指をすっと持ち上げる。それにシリルとエリアスの視線が止まった後、そっと自分を指差した。


「狙われているのが“わたし”なら、つじつまが合う事も多いわ」

「ビアンカが? どうして?」


 エリアスが不可解そうに尋ねた。


「狙われている理由はよく分からないわ。だけど、最初の襲撃を思い出して。あの時、エリアスが反応した。よく考えると、シリルが狙われたのなら、光を纏うのはおかしい」

「じゃあ、犯人は誰なんだ?」


 シリルに問われ、ビアンカは逡巡したあと、人指し指と中指を順に立てた。


「第一にわたしが何者か知っていて、第二にエリアスが光の騎士と知らない者、もしくは、光の騎士を恐れない者」

「どういうことだ?」


 不可解そうなシリルにビアンカは説明した。


「まず、この姿――ただの子供でしかないわたしを狙うってことは、わたしがアーマイゼの姫だって知ってるってこと。でもそのことは、シリルが誰にも言わなかったなら、彼以外、知らないはずなのよ」


 城の者でさえ、ビアンカの正体には気づかなかったのだ。彼女が縮んだ事を知っているのは父だけ。そう言ったとたん、エリアスが抜いた剣をシリルに向けた。


「言ったのか?」

「言ってないし、たとえ言ってもこんな荒唐無稽な話、誰も信じない」

「じゃあ、あんたが犯人か」


 エリアスが迫ると、


「短絡的に考えるなよ。俺じゃないよ。なあ、馬鹿でもわかるように説明してやってくれよ」


 シリルは不快そうな顔でビアンカに助けを求める。ビアンカは頷く。


「もちろんシリルの事は最初に疑ったけど、彼は二番目の条件に当てはまらない。エリアスの正体も知っているし、実際に光の騎士を見たのだから、相当な自信家か、命知らずでなければわたしを狙わないと思うの。それに、前回も今回も、一緒に命を狙われたでしょ」

「それは、自分から疑いを逸らすためだろう」

「彼はそんなに単純ではないでしょう。――エリアス、いいから物騒なものは仕舞って。仲間割れしている場合じゃないの」


 だがエリアスは剣を収めない。納得するまでは剣を引かないつもりのようだった。仕方なく説明を続ける。


「確かに自作自演も考えられるけれど……シリル、あなたならもっと別の効果的な方法を考えつくと思うの」

「効果的、ねえ。――例えば、盾の方を先にやってしまうとか?」


 ふ、と猫のように目を細めると、彼は素早く短剣を取り出し、エリアスの首に突きつけた。

 一触即発だ。どちらかが少しでも殺意を持てば、相打ちとなりそうだった。こうなってはビアンカは動きが取れない。無言でシリルを睨む。やっぱり聡い彼は、“ビアンカの殺し方”に既に気づいてしまっていた。

 きっとあの時だろう。フォイアシュタインの事を聞き出そうと、ビアンカがエリアスの前で盾になった時。シリルを甘く見すぎた。迂闊だったと悔やむ。

 エリアスを使うためには、ビアンカが危険に晒される必要がある。だが考え方を変えれば、危険に晒される前に盾がいなくなれば、ビアンカを守る者は消え去るということにも辿り着くのだ。

 彼を失う事は、自分を危険に晒す事。だから光の姫は光の騎士の前に立ち続ける必要がある。そうでないとお互いの能力を殺してしまうのだ。


(どこまでも公平がお好きな神よ。ディアマントは)


 エリアスははじめて気づいたのか、驚愕の表情を浮かべている。


「だから、わたしは、できるのにそうしないあなたを除外する事にしたの。そもそも支配下にある国の姫をわざわざ殺すような動機が見つからない。わたしを殺せば、せっかく大人しくしているアーマイゼが荒れる。殺すより、あなたが提案したように結婚した方が得だもの」


 ようやく納得したのか、エリアスが剣を引くと、シリルもほっと息を吐いて剣を収めた。

 空気が緩む。ビアンカは二人に椅子を勧め、自分もベッドの端に腰掛けた。


「落ち着いた? じゃあ話を元に戻すわよ? そんな事をする人間と、理由にシリル、あなた心当たりは無い?」


 ビアンカには、彼女の正体を知り、命を狙う人物には一人心当たりがあった。

 信じたくはないけれど、可能性としてはある。


(もしも、もしもジルなら、わたしが姿を変えていても気づく。いえ、この魔法をかけたのもきっと彼女なのだから、わたしがこうなっているのは予想しているはず。毒を使ったのもエリアスを警戒しての事と考えれば――ああ、でもエリアスの食事にも毒が……)


 考え込むビアンカの前で、シリルは険しい顔をして、ビアンカの予想とは別の切り口の考えを披露した。


「今、君を狙うってことは、そして、俺が一緒に死んでも構わないって思ってるやつは、二十五年前の何かを隠したがっている誰か――グラオザムのお偉いさん、かな」


 そのとき、エリアスがびくりと全身を震わせると、手に持っていた剣をそのままシリルに向かって投げつけた。剣はシリルのすぐ脇を通過して、大きな音を立てて扉に突き刺さる。


「動くな!」


 エリアスは重みのある声で静止を命じた。


「と、突然どうしたのよエリアス!!」

「納得したんじゃなかった!? 何が気に障ったわけ!?」


 ビアンカに続いて、肝を冷やした様子でシリルも声を上げた。だが、エリアスは扉を睨みつけたまま言った。


「盗み聞きって何のためにするわけ? オスカー」


 ビアンカとシリルはぎょっと後ろを振り返った。

 扉がぎいと小さな音を立てて開くと、そこにはエリアスの言う通りにオスカーがへらへらと笑顔で立っている。


「何の真似も何も無いですよぉ。今買い物から戻って来たばっかりです。ほらほら見て下さいよ、大量ですよ!」


 オスカーはそう言って紙袋を持ち上げるが、エリアスは険しい顔を止めなかった。


「足音も立てずに階段上って来たわけ? いつから聞いていた?」


 エリアスが問う。彼はもう一本の短剣を既に構えている。


「殿下ー、その危ない人に言って下さいよー。誤解ですって。ほら、靴に埃が付くのが嫌だっただけですよー」


 そう言う割に、ほこりまみれの靴を見て、ビアンカは答えに辿り着く。


「シリルの尾行をおおっぴらにできるあなたなら、薔薇屋敷での襲撃は簡単だったでしょうね。それから、毒を混入するのも簡単だわ」

「止めて下さいよー。私の食事にも毒は入っていたんですからね!」


 オスカーはぶうと頬を膨らませる。だが、そんな間抜けな姿にもビアンカはもう誤摩化されなかった。先ほどはわからなかった謎が、明らかになる。


「なるほど、自作自演はあなたの仕業。全員分に仕込んだのはそのせいね。失敗した時には疑いを余所へ逸らせる。一石二鳥だわ」

「うっわぁ、私にそんな知能犯みたいな真似できないですよ。ねえ、殿下」


 だがシリルは馬鹿ではない。ビアンカと同じ答えを出すのに時間はかからなかった。

 ふ、と悲しげな笑みを見せると、真っ直ぐオスカーを見つめた。


「父親に情報を流すよう頼まれたか? 二十五年前の出来事が暴かれないよう、アーマイゼを見張っていたとか? もしそうなら、俺がアーマイゼに行くと知って、随分泡を食っただろうな」

「まさかあ。考え過ぎですよ!」


 オスカーの目が一瞬空中を泳いだのを皆見逃さない。


「つまり、獅子将軍エーゲルが、関わっているのね? シリルが言ってたみたいに、口封じをしなきゃいけないような何かがアーマイゼにはあるって事?」


 ビアンカが呟くと同時に、エリアスが窓に向かって毒入りの林檎を投げ、腰の長剣を抜いた。だが、剣を構える前に、別の窓から侵入した覆面の男にビアンカが囚われる。首筋に当たった冷たく固い存在に、体が固まった。


「――ビアンカ!」


 エリアスが名を叫び、ビアンカはしまったと顔をしかめる。

 みるみるうちにオスカーの表情から柔らかさが削ぎ落される。眼光は別人のように厳しく尖っていく。やがて口から飛び出した言葉は、表情と同じく固く冷たい響きを帯びていた。


「やはりあなたがビアンカ姫でしたか。風貌にどこか見覚えがあったのですが、何しろその姿だ。確信できなかったのですよ。こんな夢のような魔法は見るのははじめてです。本当にそんな使い手がいるとは、国の老人たちが知ったら狂喜乱舞しそうだ。ほら、そこの危ない人、剣を捨てた方がいいですよ?」


 エリアスは目を吊り上げ、剣の柄を握り直す。だが、その姿は変化せず、体の動きは鈍い。彼も違和感をすぐ感じたらしく、自分の姿を姿見で見て動きを止める。


「……光が、纏えない!? どうして」


 オスカーが目を丸くした。


「あなたは光の騎士なのですか。驚いたな。でも肝心な時に役に立たないなど。伝説と聞いていたのに、随分と期待はずれだ」


 オスカーは口では強がったが、すぐにビアンカを捕らえている男に目配せをする。首筋のナイフが構え直される間に、ビアンカたちを取り囲む陣が厚くなった。エリアスへの警戒だ。


(おかしいわ)


 違和感に気づいたビアンカは僅かに冷静になる。これでは、ビアンカはエリアスの力を抑えるためのただの・・・人質だ。先ほどの会話を聞いていたのなら、光を纏う前にと、エリアスが真っ先に攻撃されていてもおかしくないのに。


(もしかしてオスカーはまだエリアスの力の発動条件にはまだ気づいていない?)


 希望が見えたビアンカはシリルとエリアスに目配せする。僅かな可能性を確かめる。


わたしを殺すの・・・・・・・? オスカー」

「何をおっしゃる。この間の事件もありますしね、これ以上アーマイゼの近くで騒ぎを起こす事はできませんよ。下手すれば暴動に繋がる。続きは王都で処分を考えてから、ゆっくりと」


 オスカーは美麗な笑みを浮かべ物騒な事を吐いた。


(やっぱり気づいていない。じゃあ、エリアスが光を纏えないのは、今のオスカーに害意が無いから)


 確信したビアンカはエリアスに命じた。


「エリアス。今は・・剣を捨てて」


 力を知られていなければ、また使う機会は訪れる。エリアスは歯ぎしりしつつも、剣を床に落とす。

 とたんに拘束されたシリルは、オスカーに静かに尋ねた。


「俺を騙していたのか?」


 オスカーはやれやれと肩をすくめた後、清爽な笑みを浮かべた。黄金の髪が開け放たれた東の窓から差す光に煌めく。


「いいえ? 私はいつだって殿下の影です。ですが、光の当たり方が変われば、影の差す方向も変わる。光と影が入れ替わる事もある――そうは思いませんか?」


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