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0 くさびの森の眠り姫

 鏡を見つめては、わたしは大きなため息をつく。責めるような目が自分を見つめ返してくるからだった。あまりの憂鬱さに、国中の鏡を消してしまいたい、と思うこともあった。


「――――」


 名を呼び、問いかければ答えが返って来るのではと何度思ったことか。だけど、虚像が答えをくれるはずもない。鏡に布をかける。再び大きなため息をつく。



 あなたとわたしは、確かに同じ方向を見つめていた。

 ただ、わたしは右に、あなたは左に進んでしまった。行き先は同じはずだったのに、わたしは途中で迷子になってしまった。

 わたしはずっと後悔していた。どうしてあなたと同じ道を歩こうとしなかったのだろう、と。繋いだ手を離さずにいればよかったのに、と。


 ああ、魔法で時間を巻き戻せるのならば――わたしはあの日に帰りたい。





 ―― くさびの森の眠り姫 ――




 首に手を回され、身動きが取れなかったエリアスの視線の先で、少女は黙って身を翻した。


「違う、ビアンカ! ジルとはなんでもない!」


 エリアスの訴えは扉が閉まる音にかき消される。同時に上下が入れ替わり、彼は柔らかい身体に押し潰された。彼は誘惑を押しやって寝台から起き上がろうとするけれど、か細いはずの指が首にかかり、彼を再び寝台に押し付けた。

 ぎり、と首を絞めながら、身体の上の少女は艶然と笑う。


「待ちなさいよ、エリアス。ビアンカは決して貴方を相手にはしないわ。それなら、あの子と双子のわたしにしておきなさいってずっと言っていたでしょう? 同じ顔、同じ声、同じ体。どうしてそれで不満なの? わたしなら、あなたがほしい物・・・・・・・・をあげるって言ってるのに」

 

 同じ顔で、同じ声だからこそ、頬をなでられると嫌悪感に鳥肌が立った。


「姿がそっくりだとしても、君とビアンカじゃ中身が違う。正反対と言ってもいいくらいに。それに僕がほしいのは容れ物じゃない」


 挑発的で魅惑的な笑顔を氷のような眼差しで切って捨てると、「ほんっと、腰抜けでつまらない男」ジルは心底幻滅した顔をした。


「腰抜けで結構だよ。僕のあるじはもう決まってる」


 エリアスは緩んだ腕を振り払う。そしてビアンカを追って扉を押し開いた。

 だが、廊下を駆け抜け、塔への階段に足をかけた次の瞬間、彼は目を見開いた。

 ぶわりと、突如虹色の光彩が視界の大半を覆ったのだ。


「なんだ!?」


 ぎょっと飛び退き階段を駆け上がる。

 だが、床から次から次へと沸き上がる虹色の泡が、互いに繋がってはどんどん膨らんで行く。泡の塊はすでに足元まで迫っていて、少しでも気を抜けば呑み込まれそうだ。


 ぜいぜいと息を上げて階段を登る。泡を避けながら部屋に飛び込み、小窓へ駆け寄ったエリアスは、目にした光景に顔色を変えた。既にあちこちが泡に溺れて、城は静まり返っていた。人という人が、音も無くやって来た敵に悉く床に沈まされていたのだ。


 だというのに悲鳴の一つも聞こえない。静かで穏やかで平和で。――だけどどう考えても異常な状態だった。


「まさか敵襲か? 一体どこのどいつがこんなこと……!」


 エリアスにも逃げ場が無い。扉は蝕まれ、今にも泡が流れ込んできそうだった。この部屋が静寂と化すのも時間の問題だ。


「ビアンカ――ビアンカは無事か!?」


 姿を探すように目を彷徨わせ、呻いたその時、


「!?」


 どこからか歌声が聞こえ、エリアスは耳を澄ます。



 目覚めへの旅路は 夢とうつつの綱を渡り 

 闇に落ちればそこまで 

 行き着く先は 幸か否か 

 ゆえに 溺れよ 溺れよ 怠惰なる夢に

 すべてを忘れて 偽りのうつつを貪れ



 歌に誘われたエリアスは、窓から部屋を抜けだした。レンガのくぼみに手をかけて塔の壁をよじ登り、てっぺんにあるビアンカの居室の窓にたどり着く。

 この部屋に入るのは何年ぶりだろうか。ぎい、と重い音を立てて開いた窓から覗き込んだ光景にエリアスは呻く。


「嘘だろう」


 最上階にあるにもかかわらず、部屋は既に泡に包まれていた。いや、むしろ泡の発生源はここなのではないかというくらい、泡で満たされていた。

 ビアンカは、豊かな髪を枕に広がらせて寝台に横たわっていた。

 彼女を包む真珠のような艶をもつ泡は、膨らんでは萎み、まるで生きているかのように、めまぐるしく形を変える。

 長い睫毛が淡い桃色に染まった頬に影を落としている。よく見ると、その頬は涙に濡れていて、彼女は眉を寄せ悲壮な顔で目を閉じていた。ギュッと閉じられた瞼はまるで起こしてくれるなと訴えているようだった。


(まさか、これ、ビアンカがのしわざか?)


 彼女なら出来ることをエリアスは知っている。もしも、先ほどの場面に嫉妬しての行動ならば、どれだけ嬉しいだろうとエリアスは思った。

 だけど決して彼女が妬かないこともエリアスは知っていた。エリアスは完全に対象外。だれに恋をしようとも、彼女が気にすることはない。


『ずっと、一生、わたしの傍に居てくれるんでしょう?』


 なんて残酷な願いだと思った。あれを聞いた時、彼女が自分に向ける執着は、どこまでも純粋な、色気の欠片もない独占欲だとエリアスは思い知った。

 忘れたい事実を再認識したせいで胸がすさまじい痛みを訴えた。それでもエリアスは顔を上げる。


(だとしても――僕の主は彼女だ。このままにしてたまるか!)


 今は彼女を泡の中から救いださねば。エリアスは虹色の海を掻き分けるようにして部屋の中へ飛び降りるが、泡は触れるなりどろりとした闇色に変化した。


「な――!?」


 とたん、エリアスは意識が薄れるのを感じた。

 暖かく濃い闇に呑み込まれ、視界が急激に狭まる。同時に、意識が混濁し、夢と現の境がわからなくなる。


(あぁ、これは――)


 先ほどの歌が頭をよぎった瞬間、エリアスは過去の苦い思い出が鮮やかによみがえるのを感じ、強烈な不安に襲われた。


(このまま眠ったら・・・・、誰が彼女を守るんだ!?)


 必死で重い瞼を持ち上げながら、なんとか寝台に辿り着く。落ちて来た瞼に遮られる前にと、彼はビアンカの顔を心に焼き付けるように見つめ、命がけで願う。


 ああ、創造神ディアマント。そして、我らが光神ルキアル。この美しく愛らしい姫が、誰にも傷つけられることがないよう、どうか、お守りください――――



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