僕とジャングルジム
元々は短編を予定していましたが、長くなったので分割。残りの話は現在推敲中です。
4/14追記:別作品の話を間違って投下してしまったので、消去しました。
僕の家には、妖精さんがいます。
「ただいまー」
挨拶の一声と同時にがらりと扉を開けると、見慣れた着物姿が僕に向かってぺこんと頭を下げていました。
着物に身を包むその体躯は、僕と同程度に細く、小さな子供のそれです。肩まで届く黒髪が、お辞儀の動作に合わせてはらりと舞いました。
この子が、妖精さんです。
僕が学校から帰ってくる時は、こうしていつも玄関までやってきて迎えてくれるのです。
「……」
妖精さんは喋れません。今も少年のようにも少女のようにも見える、10歳くらいの幼い顔で、ゆっくり目を瞬かせているだけです。
その綺麗な黒髪は毎日どんな手入れをしているの?
そう聞いたことがありましたけど、教えてくれませんでした。
「今日は空色なんだね、とっても似合ってる」
僕は、妖精さんの黒髪を彩っているリボンのことを褒めました。
和服にリボンだなんて、普通ならミスマッチな組み合わせだと思うのだけれど、この妖精さんのリボンは、本当に良く似合っているんです。
こんなリボンをつけてるってことは、妖精さんは女の子なんでしょう、たぶん。
「……」
あ、妖精さんがちょっと嬉しそうにしています。え、何で分かるのかって?
そりゃあ、こんなに口の端を持ち上げて顔を赤くしていれば、誰だって分かりますよ。
しかも、本人は気づかれていないと思っているのか、思わずニヤニヤと笑みを浮かべた僕の顔を見て、不思議そうに首をかしげているのです。
おっと、いつまでも妖精さんを愛でていたら一生かけても家の中に入れませんね。
靴を適当に脱ぎ散らかして廊下に上がった僕を窘めるように睨む妖精さん。
ごめん、後でちゃんと揃えるから。
そのまま、手洗いうがいのために洗面所に向かう僕の横に、並んでついてきます。
手を洗っていると、洗面所の鏡に映る妖精さんのリボンが目に入ってきました。
そういえば、妖精さんがリボンをつけ始めたのはいつからだったかな?
本人の気まぐれで時たま色を変えているものの、妖精さんの髪にリボンがついていない日は今では殆どありません。
確か、僕が幼稚園にいたころは、まだつけてなかったと思うのだけれど……。
「……」
手を拭いた僕は、今度は居間へと向かいます。
昔の記憶を再生しながらランドセルの中身を明日の時間割に合わせて取り替えていると、妖精さんがお茶と草餅が二組載ったお盆を抱えて居間に戻ってきていました。
どうやら、台所におやつを取りに行ってくれていたていたみたい。
「ありがとう、妖精さん」
ランドセルを収納箱の中に収めた僕は、これまた妖精さんが引いてくれた座布団の上に、胡坐をかいて座ります。
妖精さんは僕の横に正座して、ニコニコしながら僕がお餅を食べている様子を見ています。
「ねえ、妖精さんも食べようよ。草餅、おいしいからさ」
僕は妖精さんに草餅を勧めますが、いつも通り、首をゆっくり横に振って僕の提案を断ります。
妖精さんが僕にお菓子や飲み物の用意をしてくれる時、必ず妖精さんの分も用意しているのですが、いつも手をつけず、僕に自分の分をくれるのです。
僕は、妖精さんが何かを食べている姿をみたことがありません。
「たーだーいーまっと」
この声は、僕のお姉ちゃんのものですね。何か嬉しいことがあったのでしょうか、心なしか声が弾んでいるみたいです。
「お、真ももう帰ってたんだ。草餅、あたしの分もとっといてね。っつーか、あん
ま食べ過ぎんと太るぞ~」
居間の入口である襖の隙間から、ひょいと僕たちの方に顔を覗かせたお姉ちゃん。すぐに顔を引っ込めて、そのままどたどたと階段を駆け上がっていきました。
……あ、外から帰ってきたら手を洗わなきゃいけないのに、姉はまた洗っていません。不潔な女ってやつですね、ああはなりたくないものです。
『三次面接も~、合格間違いなし~♪待ってろあたしのキャンパスライフ~♪』
二階の姉の部屋の方から、最近テレビCMで良く聞くメロディに乗せた奇妙な替え歌が聞こえてきます。
姉はものすごく歌が上手いので、あんなでもちゃんとした歌になっています。
通知表で音楽の成績を見るたびにため息をつく僕からすると、羨ましい限りです。
以前「どうやったらお姉ちゃんみたいに歌が上手くなるかな?」って聞いたら、何故か目を泳がせながら「カ、……カラオケで練習すればいいんじゃないかしら? あ、カラオケっていうのは大勢で歌を聞かせ合って楽しむ施設なんだけど、一人でご利用されてる人がいてもね、ほら、歌が上手くなりたいとか歌が好きすぎて毎日カラオケ行かなきゃ気が済まないぜっていうような人もいるわけで、けっして人様から差別されるような身分なんじゃないからね?」なんて言っていました。
なぜか言い終わってから少し泣きそうな顔になっていて、その理由が未だに分かりません。
そういえばたしか、加奈ちゃんのお姉さんがその「からおけ」とかいう場所でアルバイトをしているって言っていました。今度、加奈ちゃんと美紀ちゃんあたりと一緒に行ってこようかな。
「……」
横目で、ちらりと妖精さんの顔を除くと、何やら不思議そうな顔でこちらを見返してきました。カラオケなら、妖精さんもついて来てくれるかな。
妖精さんは歌えないはずだけど、何故だか僕たちの歌をすごくうれしそうに聞いてくれている気がする。
「おはよう、美紀ちゃん、雄太くん」
「おはよう、真ちゃん」「おっす、真ちゃん」
……女の子にちゃんづけされるのはもう気にしないけど、男の子にちゃんづけで呼ばれるのは、馬鹿にされてるみたいで嫌だ。
この「ちゃん」づけは一二年生のときの僕たちの担任が、男女平等にちゃんづけする人だったのが原因です。
三年生に進級してから君付けに昇格した男子と、ずっとちゃんづけで呼ばれ続けた男子が、このクラスには混在しているのです。
だから、僕と同じように思ってる奴は多いと思うんだけどな…。
でも、クラスメイトの玲於奈ちゃんなんかは見た目は全然女の子っぽくない男の子なのに、れおなちゃんって呼ばれ続けたせいで、逆に先生の君づけに違和感を覚えるレベルなんだよね。
「にしても、真ちゃんはずるいよなあ。いまさらガッコのテストなんか御茶ノ水さいさいなんだろ?」
「それをいうなら、『お茶の子さいさい』じゃない?真ちゃんは私たちより前に塾で頑張って勉強したんだから、別にずるいってことは無いと思うな」
そう、僕は4年生の時から進学塾に通っているんです。
進学塾の勉強進度は、小学校のカリキュラムにおけるそれと比べて圧倒的に速くて、僕にとっては小学校で習うことなんて全て予習済みみたいなものなんです。
「まあ僕だって頑張ってるんだからさ、雄太君の勉強不足の言い訳に僕を使うのはやめてよね」
「言ったなてめえ、昼休みのケイドロ(泥警のこと)で泣かせてやんから覚えときやがれ」
こんなことをいっていますが、雄太君の成績は、決して悪いものじゃありません。
特に算数なんて、僕には思いもつかないような解き方を考案する発想力と(おそらく)クラスで一番の計算力を持っています。
正直、僕なんかよりよほど頭がいいでしょうね。真面目に勉強すれば、僕の成績を上回っても全然不思議じゃありません。
「OK。集合はいつものジャングルジム前だよね?」
「他に無えだろ」
「真ちゃんも良くやるねえ」
「美紀ちゃんもやらない?」
「当然パス。そんな疲れること、体育だけで十分よ」
このクラスの男子生徒たち(と、一部の物好きな女子生徒)は、毎週金曜日の昼休み、ジャングルジム前のエリアを占有して、他の学年に邪魔されずに何かしらのゲームを行うのが恒例になっています。
ゲーム内容がケイドロになったのは前々回からで、いつもの周期なら次回か次々回かで別のゲームに切り替わるはず。
最近は休み時間の流行として、ドッジボール熱が再燃してきたみたいなので、金曜ゲーム次回の第一候補はドッジボールだろうと僕は睨んでいます。
「そういえば、真ちゃんは冬休みも塾の勉強?」
「うん、冬期講習だね。2月には本番だし、力の入れ時ってやつだよ」
「お前も1月2月はガッコ休むのか?」
「そのつもり。僕以外にも太一君とか凛々子ちゃんもそうするつもりだって聞いてるよ」
そうです。もうすぐ中学受験が始まるのです。
僕自身、今の志望校合格にそこまで強いこだわりがあるという訳ではありませんが、もし落ちてしまえば、それは自分の数年間の努力が報われなかったということですし、そんな悔しい想いをするのは御免です。
ホントは名門男子校に憧れる部分のあった僕ですが、残念ながら叶わない夢なので、実力に見合った共学校が第一志望です。
もし雄太君あたりが本気で勉強すれば、難関男子校だって合格できるんでしょうけど。ああ、自分の算数の点数は何でこうも低いんでしょうか。
「受験、受験って大変だよなあ。俺はあんなもん大学のときからで十分って思うんだけどねえ」
雄太君の意見も、一理あるとは思います。
お母さんもお父さんも、受験で良い中学、高校に入れば後々が楽になるからって言って受験を勧めてきて、僕自身もそんなに勉強が苦になるタイプではなかったから、こうして受験生なんかになっているだけです。
決して、この時期から自分の将来のために最適な道を、なんて考えている訳じゃありません。
良く周りの女子からは「落ち着いている」とか「大人っぽい」だなんていわれている僕だけれど、本当に大人な人間ならもっと「目的意識」をもってそれこそ目標達成のためにどんな努力でもできるような人なんじゃあないだろうか。
少なくとも、今日の放課後のケイドロを待ちきれず、受験勉強そっちのけで今からうずうずとしているような人間は、大人とは言わないでしょう。
「起立!」
学級委員の大久保君の号令がかかりました。
見ると、いつの間にやら一時間目の算数を担当する斎藤先生が、教壇に立っていました。
ああ、やれやれ。二時間目の後の二十分休みが待ち遠しいなあ。
帰りのホームルームが終わるやいなや、猛ダッシュで誰よりも早く校庭のジャングルジムにたどり着いた僕は、その天辺に陣取って、他のケイドロ参加者達をいつものように悠々と待ち構えていました。
「お、真。よっす。」
ジャングルジムの天辺で、青い空を眺めながら足をブラブラさせていた僕の後頭部に向けて、声がかかりました。
振り返ると、自転車に跨った姉が小学校の塀の向こう側から手を振っているのが見えます。
ジャングルジムの高さの関係で、今僕の座っている位置からだと塀の向こうの通りが見通せるのです。
「どうしたの、何か用? 僕に伝えなきゃいけないことでもあるの?」
この時間帯に、姉がわざわざこちらに来ることは普段ありません。
すると姉は『よくぞ聞いてくれた』とばかりに得意げな顔をしながら、こちらに、ビシッという効果音でもつきそうな勢いで、人差し指をむけてきてからこう言いました。
「受かったぞ、あたし」
主語が足りていませんが、内容の予測はつきます。お姉ちゃんが「受かった」と言うのは、大学の推薦入学のことで間違いないでしょう。
一、二週間前に最終面接があったのを覚えています。
「おめでとう。今夜はお祝いだね。そのことを伝えに来たの?」
「んにゃ、あんたはついで。これからあたしの親友に合格を知らせに行くとこさ」
「親友って……優子さん?」
「ご名答♪」
優子さんか…。本人に会ったことは一度もないけれど、姉を通じてその人となりは色々は、色々と知っています。
成績は良くないけれど、優しくて、穏やかで、…とても繊細な人だそうだ。
「んじゃ、行ってくる。家の鍵は持ってるよね? それと、真も受験近いんだからやんちゃはほどほどにしときなよ。あと、この時期右手だけは死んでも守りな」
そう言いのこすと、姉はすぐまた自転車を走らせ、塀の向こうに姿を消してしまいました。
ところで、右手を守りきったとしても、命が無ければどの道受験はできないんじゃないかなあ?
次回「僕の姉と優子さん」
3月24日19時頃投稿予定
感想待ってます。