入社式
本日は、江田奈央が入りたくて入りたくてずーっと夢見てきた、大手メーカである株式会社TACHIBANAの入社式です。
奈央は、朝からワクワクが止まらずなかなか寝付けずにいた。どうせ起きているならと、予定よりも1時間も早い時間から支度を初めてしまった。
着なれないスーツ姿の自分がとても新鮮で、にやける顔を抑えつつ、鏡の前で何度も回ってみたり、モデル立ちをしてみたり、社会人っぽく片手に書類を持つポーズなんかをとってみたりしていた。
しかし、さすがにそれにも少し飽きてベッドに、どさっと腰掛けた。時計を見ると、かなり鏡の前で遊んでいたにも関わらず、家を出るにはまだまだ、十分な時間があった。
奈央はなんとなく入社までの道のりを思い出みることにした。
小学生の頃、物をつくるのが凄く好きで、他の女の子が人形遊びなんかをしている間、割りばし鉄砲を5連射出来るように進化させたりしていた。
女の子の間で流行ったリリアン編みも私だけ配色などにめちゃくちゃこだわって、細部まで気を使いつくっていた。
図工の成績はとても良かった。図工だけは、授業中寝ることもなく、自分の気が済むまで課題に取り組み続けていた。まだまだだなと思えば、授業が終わっても、休み時間を使って完成させたりしていたくらいである。
いや、それどころか、休み時間にわざわざ図工室に行って授業の課題でもなんでもない物をつくって遊んでいた。
そのおかげか、つくった作品のいくつかは賞をもらったこともあり、今でも実家にその時の賞状を飾ってある。少ない私の自慢一つである。
そんな、私が機械に興味を持つようになったのは、自分としてはとても自然なことだった。母親がレンジにミキサー、掃除機なんかを使っている姿を見てどうして動くのだろうと、とても興味がわいた。
そこで、どんな風な構造になっているのか本で調べたり、実際に分解して中を覗いてみることがとても楽しかった。まあ、勝手に時計を分解したことで、怒られたのは良い思い出である。
気がついた頃には、自分もそういった機械をつくりたいと思うようになっていた。
高校では、理系を選択して勉強していた。ここにきて始めて、女子で理系が好きな子は少ないということに気がついた。高校は共学であったにも関わらず、理系クラスとなると男女比は4:1くらいであった。
驚きはしたが、別に困ることはなく、いたって普通に学校生活を過ごしていた。それが出来たのは、部活のおかげだと思う。
私は、部活はロボット研究会に所属していた。ロボット研究会の活動は、歩行ロボットを皆でつくって大会に出たりするのいったものだった。一回も大会で優勝することは出来なかったが、自分達のつくったロボットが予定通りに動いてくれるたときなんかは、皆で喜び叫んでいた。
ロボット研究会は、もちろん女子は私だけだったが、皆気にすることもなく一緒にロボットを必死になりながらつくっていた。
そのため、男ばかりの空間に慣れていたことと、理系クラスには同じ部活の友人がいたこと、この2つのおかげで、女子が少なくても問題を感じることはほぼなかったのだ。
そんな私は、迷うことなく大学進学時には、機械学科を志望した。機械学科は、倍率でいうとそこまで人気というわけでもなかった。しかし、余裕があるのかと言われるととても微妙なところだった…それでも、どうしても機械がつくりたいという思いがあったので、勉強を頑張ることが出来て、希望大学に入学することが出来た。
そんな私にも、今でも忘れられない瞬間がある。大学の入学式が終わった後、学科毎に別れることになっていた。そこで私は、機械学科の集まる教室まで行きドアを開けた。その瞬間、目がチカつく程の大量なチェック柄があふれていて、臭いというわけではないが男のにおいとでもいうのかそれがむせかえっている、そんな今まで経験した事のない空間が目の前に広がった。
私は、一度、静かにドアを閉めなおした。そしてもう一度、教室の確認をしてみたが、機械学科の教室で間違えはなかった。
このとき初めて、機械学科という選択肢は間違えだったのではないかと、背中につーっと汗が流れるのを感じたのをよく覚えている。
それでも、入学してみると普通だった。学科の人達は、皆おっとりとしていながらも物作りへの熱い気持ちが秘めているような、部活仲間と同じ雰囲気であった。
しかし、サークルは全くの別世界だった。私は、過去問が一番手に入ると言われている、テニスサークルに入った。テニスは全くの初心者だったために、不安だったのだが、教えるし問題ないよ、と言われたので入ってみることにした。
そして、その言葉通り、テニスが出来る必要は全くなかった。週に何回か練習日があり、2、3時間打つ練習をしたら終わりだ。そして、その後が本番だと言わんばかりに、皆で飲み会の準備を始める。練習には来ないで、飲み会だけ来るような人もかなりいた。
飲み会は、まさに飢えた男が、女の子を狩りに行っているような空間だった。そして、女の子もそれを許容している、というよりは楽しんでいる雰囲気だった。
飲み会の雰囲気は楽しそうではあったが、私は入れてもらえなかった。
というより、正直、自分が入るのにはためらわれたとも言う…酔った振りをしてボディタッチをする男女、ゲームをしてきわどい罰ゲームをしたり、とんでもなく大量の酒を飲んでいく姿、これが、大学生かーと横目で見ているだけで面白かった。
私も、そういった観察だけをしていたわけではない。何をしていたかというと、自分の学科の先輩に話を聞いたり、過去問を頼んだりしていた。
サークルや、他大学の友達なんかに、自分の学科の男女比をいうと必ず驚かれた。私の学年は100人男で、女が3人だった。
この話をすると、すぐに、もてるでしょうー?とか、ハーレムじゃん!と言われるが、全くもってそんなことはなかった。もちろん、男が多かったので、男友達はとっても多かった。しかし、それ以上の恋愛的ななにかは全くと言っていいほどなにもはなかった。
ただ、機械学科の女子が皆、私みたいに恋愛と遠い存在にいたわけではない。
1人の女の子は凄かった。それこそ、入学式の日から何人もの男の子からメルアドの書かれた紙を渡されていた。
それからというもの、毎週とっかえひっかえでいろんな男の子とデート(彼女いわくデートではなく遊び)に行っていた。もちろん、お金は全部男が支払っていたそうだ。
デート(遊び)に行く男の子だけではなく、夜遅くなれば車で迎えにきて彼女の家まで送ってくれるようなアッシー君、この課題難しいと言えばやっておいてくれる課題君、テストどうしようと嘆いていれば分かりやすく教えてくれるテスト対策君、そんなのがうじゃうじゃと彼女の周りにはたくさんいた。
彼女の口癖は、
「私、断ることが出来ないのー」
であった。だったら、告白も断らず一人の男と付き合えや!
なーんて思ったりもしたが、彼女に男が群がる姿を見ているのは楽しかったので、特に何か言ったことなどはなく、ふーんと彼女の話を聞いていた。
そうこうしている間に私は、院生になった。もちろん、他の女の子は就職していった。本当に女子は私一人になった。
しかし、もとから女子は少なかったし、サークルは、過去問集めたらとっとと辞めてしまっていたので、院生になったからと言って大きな変化はなかった。ただ変わったことと言ったら、研究室に配属されたので、会う人が固定になったくらいである。
研究室の人はみんな優しく、面白かった。先生からの無茶ぶりをなんとかかわしたり、何時間も実験室にこもったり、一緒に学校に泊まりがけで論文を書いたりしていた。
そんな密接な関係なら誰か一人くらいと付き合ったんじゃないの?と言われるがそれは、本当になかった。私たちの関係を例えるならば、一緒に敵(教授)と戦う仲間だったのだ。
なんて、話をしていると、私は全く恋愛経験がなく、付き合った人がいないように思われることもある。
しかし、付き合った人数は多くはないが、いないわけでもない。ただその少ない経験は良い思い出ではなく、全部ふられてしまった。
振られ方はいつも一緒で、友達だったときと恋人にいなってからの違いがないと言われる。そう言われる原因はなんとなく分かっている。多分、彼氏よりも、勉強や夢を優先してしまうことが多かったからである。
高校3年生の時に付き合っていた彼氏は、同じ大学に行こうと言ってくれていたが、私は行きたいところがあると言って譲らなかった。
大学に合格し進路が決まると、遠距離になることも理由ではあったが、お前にとって俺って何なの?友達でしかないだろう、そんな風に言われてふられた。
そのときは、とても悲しかった。確かに、大学を譲らなかった。だけど、私は確かに彼のことが好きだったのだ。その気持ちが全然伝わっていなかったことが悲しかった。
大学に合格したにも関わらず、私は泣いて夜を過ごした。
思い出して、少し悲しい気持ちになってきた時、ふと時計に目を向けると、もう出なくてはいけない時間になっていた。
奈央は最後に、鏡の前で確認をしてから、急いで家から出ていった。