トイレ
奈央は、上機嫌だった。今までは、おはようございます、と聞こえる程度に、最小限だけ返事すればいいやと思っていた。
しかし、今では、目が合った人皆に、笑顔でおはようございます!と言っている。
少し声をあげ、笑顔で抑揚つけるだけで、本当に自分が女らしくなった気がする。
周りの反応もかなり上々である。それで、また機嫌が良くなるので、声が高くなって笑顔になる。幸せの相乗効果だなーっと一人でにやけていた。
まあ、もちろん、それで仕事が上手くいかなくなってしまうのならよくないが、今までよりあいさつをするようになったことで、職場内での知り合いが増えた気がする。
設計部は、よく飲み会をやったりしているので嫌でも顔みしりではあるが、魔法部の人はちゃんと知っている人が少ないことに気づかされた。
今は、ペーペーだから関係ないが、魔法部とのつながりだけはつくっておけと、先輩方から口すっぱく言われているので、今回の女らしさ特訓はこんなところでも役立つんだ、などと考えていた。
幸せ絶頂の奈央だったが、コンタクトの調子が悪く、さきほどから、ごろごろいって痛くてしょうがない。
そんなとき、お昼休憩のチャイムがなったので、急いで鏡を見にトイレに行った。コンタクトは洗い直して入れれば、すぐに元に戻った。
奈央は誰もいないのを確認してから、鏡の前で笑顔の練習をしてみた。
こう、小首をかしげる感じの方が良いのかな?口は開かずに笑った方が綺麗に見えるかな?そんなことを考えていると、女性の声が近付いてきたのがわかり、焦って顔を元に戻し、個室に飛び込んだ。
すると、女の人たちが何人か入ってきた。その声が聞こえてきて、家電部門の事務の人たちのようだった。
特訓のため、よく話声を盗み聞きしているので、家電部門の事務さんたちの声はほとんど覚えてしまっていた。
「最近、江田さんが違うよねー」
急に自分の名前が出てきて驚いてしまった。しかし、女性にも変化に気づいてもらえるなんて凄いな!なんて感動していた。
「そーそー急に色気づいちゃったって感じで気持ち悪いよねー」
奈央は、一気に体が固まる。
「なんか、いろんな男にあいさつしまくって、超必死って感じだよね!!」
「確かにーあの人も結構な年でしょ。30近付いて焦りだしたんじゃん」
「あの人の声聞くと寒気がしちゃう」
「ねー朝からテンションだだ下がりーって感じ」
そう言って彼女たちは笑っている。
まさか、このタイミングで出ていくことも出来ず、彼女たちが出ていくまで、奈央は息をひそめて待っていた。
彼女たちが出ていった後、奈央はゆっくりと立ち上がり、周りを確認しながらトイレから出ていった。
まさか、女の人にあんな風に思われているなんて…奈央は今まで、女の人に憧れられることならよくあったが、軽蔑されたことはなかった。
理系で、女の人の少ない人生を生きてきたが、女友達がいないわけじゃない。
それこそ、男女半々ぐらいの割合いになっているだけである。
そのため、運動会や学園祭なんかでよくある、「男子ちゃんとやってよー」なんていう争いも、上手く両方の間に入って立ち回ったりしていたくらいであった。
なので、男子からも女子からも嫌われるという経験がなかった。
今回のことはとても衝撃的だった。
---いろんな人にあいさつをしているが、それは男の人だけにしているわけじゃないぞ!男あさりみたいなマネをしているわけじゃない!
とはいえ、女らしくしようと思ったのは確かに、30前で焦ったからというのも否定は出来ない。
今回、言われてしまった理由は、急な変化だったからだ。
だから、しょうがないんだと消化しようと思った。しかし、「あの人の声聞くと寒気がしちゃう」という言葉が頭をめぐる。
女の人からすると、私の高い声というのは聞き苦しいのだろうか。
ただのやっかみなどではなく本当に、聞き苦しいなら悪いことをしてしまっている。
私は、女の人の意見を聞きたくて、有紀に会ってもらおうと連絡をした。
すると、すぐに返信があり、まだご飯食べてないから一緒に食べようと言ってくれた。
急な誘いだったにも関わらず、有紀は嫌な顔一つせずに会ってくれた。
「奈央からの誘いがこんなに続くなんて、本当に珍しいこともあるもんだねー」
「うん、急にごめんね!」
少し空いてきた食堂で、2人で昼食を取った。奈央は、最近出している高めで抑揚のある声で、少し世間話をした後、本題に入った。
「私の声、変かな?」
「えっ声?確かに今日は、テンション高めだなーとは思ったけど、特になにか変には思わないよ。てか、なにかあったの?」
さきほどの話を有紀にするのは、せっかくの昼休みを気分悪くさせちゃうと、声を高くして抑揚つけることにした理由だけを伝えた。
「こないだ、話したでしょ。女らしくする特訓の一環で、声を高くして抑揚つけるようにしているの。でも、他の人からしたら気持ち悪くないかなーって心配になって…」
「ううんー全然そんなことはないよ。むしろ、明るくなった感じで印象良いよ!」
有紀は笑顔でそう答えてくれた。その有紀の言葉を聞き奈央は安心した。
もちろん、友人だから気を使ってくれているというところはあるだろうが、有紀は言うことは、はっきりと言う人間なので、少し安心することが出来た。
「ありがとう、有紀。私、女らしくなれるように頑張るよ!」
事務の人たちのなかで、癇にさわる人がいることは確かなのだろうが、有紀のように気にならないと言ってくれる人もいる。
私は、女らしくなるって決めたんだ!今後は、大きな声ではなく、小さい声にして、あまり事務の人たちの前では話をしないように気をつけよう。そう、決めて奈央は気を引き締めなおし、女らしくなれるように頑張ろうと決めた。
その後は、有紀と話をして楽しくお昼休みを過ごした。
「お前、今日は、あんまり声を高くしたりしてなかったろ」
佐々木は、仕事に区切りがついたのか、終業時間も過ぎた頃に話しかけてきた。
少し、怒っているように見える。しかし、事務の人に言われたことは確かにこたえたが、頑張るって決めたのだから、適当に笑ってごまかすことにした。
すると、佐々木も深くは突っ込んではこずに、明日からは頑張れよ、とだけ言ってくれた。




