第七夜
「 fictionally,this world.」
×+++++++++×
〜“かろうじて、”…泡沫兎の残響。〜
×+++++++++×
辛うじて。
辛うじて、彼女の手はまだ、あたたかかった。
辛うじて、僕は。
僕は、他人が躊躇う境界線を、越える勇気を持っていた。
「それは、本当に『勇気』かな?」
道化師が笑った。
それは、“勇気”では無いと。
辛うじて、僕は何とか現し世に繋ぎ止めた彼女を抱いて空ろな目で問い掛けた。
「なぜ?」
「きみの定義は曖昧だからだよ」
道化師は笑った。軽やかに。晴れやかに。
道化師は憎んでる。
この人形の長たる長は、人間を憎んでいる。
造り出した定義は確かに曖昧だ。
博士は愛する『妹』の───血の繋がりは定かではないが、愛し合っていたらしい───ため。僕は『彼女』のため。
愛しい愛しい片割れ。魂の双子の片割れ。僕の半身。
どうしてだろう。『彼女』を愛したんだ。悲しいぐらい、愛したんだ。だのに。
何で。
何で。
目の前、大きなお腹を抱え僕を迎えに来た『彼女』。
ゆっくり信号を渡って。雪の中。
ゆっくり。お腹の子が驚いてしまうから。
ゆっくり。ゆっくり。
ゆっくり。ゆっくり。
もう少し。もう少しだよ。
信号は青だった。人通りだって皆無だ。
目の前を通り過ぎた大きな塊が、大きなお腹を抱えた『彼女』を──────
吹き飛ばして。
……どこへ、行くんだ?
『彼女』を飛ばした運転手は死んだんだって。それは虚ろに後で聞いた話。
そのときはそれどころじゃなかったよ。
まだ、あたたかかったんた。
お腹の子は駄目だったけど。
真っ白な雪に横たえられた、『彼女』。
覆い尽くそうと、雪。白い、甘くない、すぐ溶ける砂糖菓子の偽物。……ああ、……。
僕らの生活のようだね、と。
白い世界は反射して辺りを明るくしていた。でも空は真っ暗……いや、灰色? 濃い色。
どちらが[夢]だったのか。
彼女を抱え、《最果ての屋敷》と呼ばれる友人の友人の、更に友人である人間の居場所を尋ねたのは、もう何でだったかはっきりしない。
ただ、そう。
失いたくなかったのだろう。
けれど。
[何]を?
甘いしあわせな[夢]?
子供も、いないのに?
あああああ……っ……。
『彼女』は、まだ、あたたかい。
だけど息をしていない。
愛したのに。愛したんだ。
ドアを叩く。『彼女』を下ろさず自らしゃがみ込んで。
叩いた。何度も、何度も。
何度も。
ドアを、仇敵みたいに。ナイフを持っていたらズタズタにしてやりたかった。ドアを? ううん。
『彼女』をこんなにした男。
「開けぇろぉ……」
自分の口が、何か言った。
「開けろぉ、開けろぉ、開けろよ、開けろ、開けろよっ開けてっ開けてよっ────開ぁぁあけぇえぇぇろぉぉおおおおっ、っ」
中途半端な発音と、喋り方。『俺』は誰?
いつからか混濁した意識。何ごとか。
僕は私は俺はおいらはあたしはあたいはわしはおらは僕は俺は私はあたいはわしおいらは俺は僕はあたしはおいらは俺はわしは僕は──────
ドアを叩きながら、壊しそうになりながら。
もう[誰か]もわからない混濁した意識。
白いコート。『彼女』が選んだ。
雪が降っていた。『彼女』が好きだった。
髪も、同じくらい真っ白に。
目が、覚めたら。目が、開いたら。
気に入って、くれるかな。
『彼女』は目を未だ閉じたまま。
今日も曖昧な『泡沫兎』。
たいせつそうに『彼女』の代わりの“人形”を両手に抱いて。
《最果ての屋敷》を彷徨う。
×Go to next story.→『第八夜』×