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時任聡美の日常

 私、時任聡美は波乱や動乱を避け、平凡な人生を送ることをここに誓います。誰が何と言おうと誓います。

 そう! 人生波乱万丈を望むなんて、無駄に具体性の無い、装飾形容詞満載の夢を語っている頭悪そうな男の子じゃあるまいし、私はご免こうむりたい。

 苦労とか波乱とかいうのは、したい人たちに謹んで進呈して差し上げる。なんならノシもつけちゃう。もってけ、泥棒っ。

 とにかく! 私は平凡に普通に生きていけたら、それで神様に感謝できる安上がりの人間なのだ。こんな欲のない願いを叶えただけで感謝されるなんて、なんてお買い得の信者なんでしょう。そう思わない、そこの神様? どこかにいない、そう思ってくれる神様? なんなら、世界各地の神様にプレゼンテーションするわよ。飛び込みで営業だってしちゃう。

 だから! だから! 私に平安な日々と平凡な生活を! プリーズ ギブミー ア ピースフル ライフ!

「おかわりっ」

 私のささやかで切実な願い事なんて全然、全く、これっぽっちも理解しようとしない目の前の少女が、元気いっぱいに空になったお茶碗を私に向かって差し出している。

 栗毛の柔らかい髪の毛をツインテールにしている美少女が口の端にお米粒をつけて屈託の無い笑顔を浮かべている図。

 本当なら幸せの象徴といっていいほど絵になるけど。実際にすごく絵になっているけども、腹が立つ。

 そう。この少女こそが、私の平凡な生活を乱してくれている張本人――自称、時の女神のクロックだ。

「おかわりだよ?」

 クロックは、十六歳ぐらいの東洋人系の女の子だ。ただ、その容姿は嫌味を通り越して神々しいまでの美少女だったりする。女の私も油断すると見惚れそうになるほどといえば、わかってくれるかな?

 オーラ全開で街中を歩けば、カップルのケンカの原因を大量生産すること間違いなし。

 確かに容姿の面では神様っぽいと思う。でも、結構お間抜けだし、言動も性格も全然、まったく、少しも神様っぽくない。

「おかわりだって!」

 確かに神様みたいな力を持っているけど、本当に神様かどうかはわからない。もっとも、彼女が人間だろうが、超能力者だろうが、改造人間だろうが、宇宙人だろうが、未来人だろが。そう! 神様だろうが、そんなことは関係ない。クロックが、私の平凡な生活をぶち壊している存在なことには変わりない。

「聡美、おかわりって、聞こえてる?」

 今も彼女がこうして、私の顔にお茶碗を押し付けんがごとくしているのでわかって欲しい。

 私はしょうがなく、自分の茶碗と箸を置いて、クロックの茶碗を受け取った。

「居候、三杯目にはそっと出すって言葉知らないの?」

 私はご飯をよそって、お茶碗を返しながら思わず嫌味を言ってしまう。嫌味を言うぐらいならよそわなければいいのだけど、言わずにいたら私の胃袋に穴が開いてしまう。

 そんなことになったら、そこからご飯が漏れて、どれだけ食べてもおなかが膨れなくなってしまう。ただでさえエンゲル係数が高いのに、それではますます高くなる。考えるだけで恐ろしい。

「そっと出しても堂々と出しても、おかわりするには変わりないから意味ないんじゃないかな?」

 クロックはお箸をかわいらしい口にくわえて、茶碗をうれしそうに受け取った。そんな顔されるから思わずよそっちゃうのよ、この卑怯者。

「同じでも違うのよ。気遣いとか、そういうのがあるかないかで大違いなの」

「ふーん、そんなものなの? 人間も大変よねぇ。でも、こんなおいしいご飯が食べれるんなら多少の苦労は胃袋に流し込むわよ。ほんと、地上界のご飯はおいしいわぁ~。噂には聞いていたけど、これほどおいしいとは思わなかった」

 戦後の食糧難の時代からタイムスリップしてきたのかと言いたいぐらい、クロックは本当においしそうにご飯を食べる。料理をする側にとったらこれほどうれしいことは無い。けど、ご飯と玉子焼きだけに一ヶ月経ってもまだ感動できるって……。

 今度、これまでの食事環境を聞いてみよう。やっぱり、主食は霞とかかな? いや、あれは仙人か。

 私はふと食べ物であることを確認するのを思い出した。

「クロック、食べ終わったら出かける準備をしないさいよ。忘れてないでしょうね?」

「へ? なんだっけ?」

 クロックはお箸をとめて私の方を不思議そうな表情で見つめている。こいつは……

「なんでって、今日はバイトの日でしょう!」

「あっ。忘れてた……てへっ」

 自分の拳でこつんと頭を叩いておどけている。最初はその愛らしさに強く言えなかったが、人間は良くも悪くも慣れる動物だ。

「まったく。働かざるもの食うべからず! 我が家には居候を養ってあげれるほどお金はないの」

 仁王立ちになって威圧した。クロックも最近は自分のラブリー攻撃が通用しなくなってきて、旗色悪そうな顔をしている。

「うー……だいたいさ。そんなの力を使えばちょちょいのちょいで解決じゃない。えーと、新聞の株式欄を……」

 クロックが新聞を手元に引き寄せようとしていたのを取り上げた。

 時の女神というだけあって、クロックは時間を巻き戻したり、止めたり、進めたりできる。まあ、そうするには私の協力が要るんだけど。とにかく、その力を使えば、結果のわかっている博打でいくらでもお金を稼げる。稼げるけど――

「そんなズルしてお金はもうけちゃダメ。いい? クロック。お金というのは額に汗水たらして働いてこそ価値があるの。そんな力を使って稼いだりしちゃいけません」

 そういうズルをすると、どこかに歪ができて、いずれ自分に返ってくる。因果応報というやつだ。そう、おばあちゃんがいつも私に話してくれた。

 だいたい、私は平凡な生活を送りたいのだ。だから、後ろめたいことはしたくない。

「お金を稼ぐのに使える力を駆使するのは当然でしょ。神は人間を不平等にしているんだから」

 クロックが恨めしそうに私の手にある新聞を見つめている。

「それを神様のあなたが断言するか? 普通は平等でしょうが」

「甘いわね、聡美。同じもばかりがいっぱいあっても面白くないでしょ。だから、ほどほどにばらつかせているのよ。じゃないと、ウチら、神様が退屈して世界を潰しちゃいかねないもの」

 胸張ってそんなこと断言しないでよ。ちょっと納得しそうになったじゃないの。

 でも、それはそれ、これはこれ。それぐらいで宗旨替えするほど私の人生哲学はヤワじゃないの。

「それでも、お金は汗水たらして稼ぐものよ。その方がご飯がおいしいんだから」

「うっ。確かに働いた後のご飯はおいしい……」

 ご飯のおいしさで心揺らぐ神様って、便利だけど威厳が……。まあ、今はもう一押し。

「今日の賄いは何かな? この間はワタリガニと貝のシチューを使ったドリアだったっけ」

「ウチ、働く! 働かしてください!」

 クロックがその場に平伏して私の勝利と終わった。

 私たちのバイト先のレストランは賄がおいしいことで有名なのだ。それを目当てにバイトに来る人もいて、採用の競争率が厳しかったりする。

 時給もいいし、食費も浮く。こんなおいしいバイトをフイにするなんて神様が許しても私が許さない。

 クロックは残っていたご飯をかきこむと食器を洗って身支度をしている。私ものんびりしていられない。

 クロックは白のブラウスに濃紺の飾りネクタイをし、赤いタータンチェックのベストにそれと同じ柄の膝上丈のスカートを穿いて、白のダッフルコートを上から羽織った。私のお下がりだが、その姿に同じ女性として羨望と少しの嫉妬を覚える。

 私だって高校の時は似合ってたのよ。自分で言うのもなんだけど、私はかなり男子に人気があったのよ。ブロマイドも出回っていたようだし――その売り上げの一部をこっちにまわしてくれたら……って、ちがーう。とにかく、クロックはクロック、私は私。

 今日の私のいでたちは爽やかな若草色のタートルネックのニットセーターにぴったりとしたジーンズ。この上に黒のコートを羽織るつもりだ。かわいらしさのクロックに対抗して、健康的な色気で攻めてみた。悔しいけど現実、同じ土俵じゃ勝負にならないもの。

「聡美、早く、早く」

 クロックはもうアパートの廊下に出ている。まったく、せわしない娘だ。

「さっきまで仕事に行くのを渋ってたのはどこのどいつよ」

「そりゃオランダ」

 ……

 玄関脇にかけておいた黒のロングコートを引っ掛けて、玄関脇の鏡で最終チェック。おかしいところは無いわね。

「放置されるとウチ、凍え死んじゃう」

 救いを求めるような視線を向けられても私は神様じゃない。

「今日は冷えるからね。誰かさんのオヤジギャクのおかげで」

「ウチは気象を操る力なんか持ってないわよ……あっ!」

 何か思い出したように固まっているが、本当に落ち着きのない娘だ。

「何かあったの? 公共の廊下なんだからあんまりうるさくしないでよ」

 近所づきあいを円滑にするのが平穏に過ごす第一条件なんだから。

「気象で思い出した。気象のひまわりにハサミ将棋の勝ち分、徴収するの忘れてた……ああ、結構たまってたのに~」

 地団駄踏んで悔しがってるところを見ると、かなり勝ってたんだろうけど――

「なんで、ハサミ将棋?」

「なんでっていわれても、ハサミ将棋だから。地上界じゃプロはいないみたいだけど、ウチらの世界だとプロとかいて、毎週週末になるとトーナメント戦とかリーグ戦で盛り上がるのよ。オオヤマ名人とムラヤマ五段の名勝負なんか、燃えるわよ。ムラヤマ五段の終盤のあの粘り――」

 料亭の一室でハサミ将棋を指している神様たちの映像が浮かんでしまった。神様の世界って、かなり俗っぽいのかもしれない。

「まあ、とにかく、バイトに行くわよ」

 私はクロックの首根っこをつかむように表に出た。

「取り立てるにも神界に帰るわけにもいかないし、あーあ……丸損だわ」

「はいはい。悪銭身につかず。賭け事で稼いだお金は身につかないのが世の習いよ。しっかり働け、若人よ」

 私は同情心のかけらもない励ましの言葉をかけてクロックを慰め、先を急がした。

「聡美は人事と思って……あれ? そういえば、聡美、今日はサイドテールなんだね。いつもは後ろでくくっているだけなのに」

「あ、うん。まあね」

 今日はいつもは下ろして、うなじのあたりでまとめている髪を左上の方にまとめ上げて尻尾を作っている。

 なぜだか私は尻尾を作ると気合が入る。今日はバイトが忙しくなるだろうから今から気合を入れているのだ。

「どうせなら、ウチとおそろいでツインテールにしたらいいのに」

 クロックは自分のツインテールを持って振って見せている。

「そんなロリータな髪型はしません」

 私は断固拒否した。そう。絶対にイヤ。

「え~。かわいいのに。もったいないなぁ」

 クロックと同じ髪型で歩けますかって。そんなの負けるの確定じゃない。私だって女のプライドがあるんだから。

 とはいえ、昔は時々していたんだけどなあ、ツインテール。嫌いな髪型じゃなかったし。でも、クロックがいたんじゃ、もうできないわね。

「なんで? なんでぇ?」

 まったく。私の気持ちなんてこれっぽちもわからないんだから。

 元をただせば、一ヶ月前に道で行き倒れているクロックを拾ったのがそもそもの間違いだった。空腹で倒れている彼女にご飯を食べさせたら、そのまま居ついてしまった。

 小さいころに野良の犬猫にご飯をやってはいけないとおばあちゃんに言われたが、その教えの重さが今なら身にしみてよくわかる。先人の教えは守らないといけないわね。

「聡美、なに道の真ん中でこぶし握り締めてるの?」

「別に。私の生き方を再確認してただけ」

「ふーん」

 もっとも、居ついたのはご飯のためだけではないようだけど。それも忌々しいのよね。

「聡美」

 クロックが私に名前をいつもよりも真剣な響きで呼んだ。いやな予感がする。

「何よ」

 私がクロックを見ると、彼女はどこか先の方をじっと見ていた。

「あそこ見て。漂流物が流れ着いてる」

 クロックの指差す方を見ると物干し竿のようなものが道端に立てかけられている。普通の人ならばそれだけのものだっただろう。しかし、私は頭を抱えたくなった。

 その物干し竿のようなものに、半透明の白い狐のような尾の長い獣が宙に浮いてまとわりついていた。

 私はそういうのが昔から見える。普通の人とは違う能力がある。

 平凡に生きたかったのに、こんなおかしな能力なんて要らなかったのに。もっとも、特に害も無いので物心ついてからは見えても無視し続けていた。

 私は妖怪か何かかと思っていたが、クロックの話ではあれは『時の獣』というものらしい。

 そして、それが見える私がクロックには必要なのだ。

「で、今度はどこからの漂流物なの?」

 私はため息を一つついた。もう、あきらめの極致よ。

「そうね……今の時間から三百年ぐらい後の宇宙船の部品ね。解析されればノーベル賞が幾つかもらえる発見があるかもね」

 漂流物というのは、何かの拍子でタイムスリップして流れ着いたもののことを言うらしい。

 それでもって、時の獣はこういう漂流物にまとわりついて、その存在が人に注目されたり、その時代の何かに強く影響を与えないようにしたりしないようにしている存在らしい。

 はっきり言うと、クロックたち神様ですらその存在のはっきりしたことがわかっていないらしい。

 でも、彼らのおかげで漂流物が時代を狂わせることを最小限に食いとどめているのは確からしい。

 もし、時の獣がいなければ、漂流物が時間の秩序を狂わせ、世界のバランスが乱れて、その乱れが蓄積されると世界が崩壊に至るという話だ。

 とはいえ、時の獣がいくら緩衝材の役目を果たしてくれていても、漂流物の存在自体が時間の秩序はわずかだが狂わせている。

 それを元の時間と場所に戻すのがクロックたち、時の女神としてのお仕事らしい。

 世界の崩壊を未然に阻止するために地道に努力する立派な神様らしいお仕事よね。尊敬するわ。私たち、人間には真似できない。うん。立派、りっぱ、ごりっぱ……立派だからついでに一人でやってくれるといいんだけど。

 というのも、非常に迷惑なことに、その仕事をするために私の手伝いが必要なんだという。

「聡美、早くしないとバイトに遅れるよ」

 クロックが私の解説モノローグに割って入ってきた。

「どうせ時間を止めるんでしょ?」

「そうだけど、聡美がぼーっとしている間は時間は過ぎてるわよ」

 確かにそうだ。私はクロックの前い向かい合って立った。

 クロックは両手を胸の前で何かを包み込むような仕草をして、再び手を開くとそこにはプラチナ色に輝くコブシ大の懐中時計が現れた。毎度の事ながらすごい手品よね。

「言っておくけど、手品じゃないからね」

「はいはい」

 私はいい加減な返事をしながら、その懐中時計の竜頭を引き上げた。

 その途端、不可思議な文字のような記号が光の帯になり空中に踊った。光の帯は私とクロックを包み込み、それと同時に周囲すべての動きが止まった。

 時間が止まったのである。

 クロックがいうには全宇宙の時間が止まった状態なのだという。仰々しいが、一部の時間を止めるよりも、その方が簡単で歪みも出にくいらしい。

 時間が止まれば本当なら私たちも動けないはずなのだが、先ほどの光の帯が私たちを時間の鎖から解き放たれて動けるようになっているとのことだ。

 都合のいい話とツッコミを入れたことがあったが、クロックは一晩中、私に難しい物理の式でその原理を説明してくれたので、二度とそのことにツッコミを入れないことを安眠のために誓った。

 ともあれ、私は止まった時間の中でクロックと私以外で動いているたった一つのもの、その半透明な獣――時の獣に近寄っていく。

 時の獣はいつも何故だか、切なそうな表情をしている。私、動物のそういう表情って弱いのよ。きっと、母性本能が有り余っているのね。だから、クロックを拾ってしまったんだ。面倒ごとを背負い込む自分が憎い。

 私が時の獣に近づくと、獣は少し怯えながら私を見ている。

「大丈夫よ」

 言葉が通じるかどうかわからないが、私は微笑んで時の獣をなでてあげる。

 時の獣は甘えるような鳴き声をあげて喜びを表して、するりと私の中に入ってきた。

 その途端、その漂流物があるべき時間と場所のイメージが私の中に流れ込んできた。

 冷たい宇宙。そこに浮かぶ宇宙船。慌しく駆け回る人々。絶望に泣いている人もいる。事故か戦争か。どちらにせよ、宇宙船が沈もうとしているようだ。

 そして、爆発――そこで時間が途切れている。爆発が漂流のきっかけみたいね。漂流の原因は大抵はこういった爆発だったり暴走だったりする。

 イメージはその場にいた人の思考も流れ込んでくる。断片的になっているので意味不明で、ただただ混乱している。それでもところどころ、読み取れるところがある。

 ――死にたくない

 それが頭の中に流れ込んでくる。三百年経とうと、いや、それ以上であっても変わらないシンプルな想い。私の頭は魂の断末魔を聞かされ続け、割れそうになる。


――時は万物に等しく過ぎ行く

その針は飛ぶことも

戻ることも許されず

時の牢獄に囚われし

哀れなる万物よ

その針を正し

懐かしの牢獄へ

あるべき時との道は繋がった

針を進めよ――


 クロックの祝詞が頭に響く。祝詞のイメージと時の獣がもたらしたイメージが重なり、ふっと身体が軽くなった。

 私はいつの間にか閉じていた目をゆっくりと開けると、目の前にあったはずの物干し竿のようなものは時の獣とともに消えていた。

 漂流物は無事に元の時代へ帰ったようだ。

 無事といっても、漂流の原因があの爆発なら、元に戻っても宇宙の藻屑となって本当の漂流物になるぐらいしかないだろうけど。

 私はクロックの懐中時計の竜頭を押し込んで時間を再び動かすと、肺の中の空気を吐き出して、ゆっくりと新鮮な空気を吸い込むんだ。

 気持ちを落ち着けたい。

 漂流物を元の時間に戻したあとはいつも心が乱れる。多分、流れ込んでくる漂流物の時代のイメージのせいだと思う。

 私は深呼吸をしおわると、軽く手を合わせてまだ生まれてもいない人々の冥福を祈った。

「おつかれさま、聡美」

 クロックは私がこういうことをするときだけは別人みたいに慈愛に満ちた笑顔をする。その笑顔に魅了されそうで思わずそっぽを向いた。

「別にあなたのためにやっているわけじゃないわよ」

「わかってるって。聡美はツンデレだもんね。さあ、急ごう。本当に遅れちゃうよ」

「ツンデレってどういうことよ! こらっ! クロック、待ちなさいっ」

 私は笑いながら逃げていくクロックを追いかけた。


 アルバイト先は宮坂市駅から少し離れたところにあるカフェレストラン『狐都里(ことり)館』。厳選素材などのこだわりはないものの、そこそこいい素材を腕のいい料理人が調理して、それほど高くない値段で提供する良質なお店として立地条件にしては人気があったりする。

 主な仕事はフロアでの給仕やレジ打ちだけど、私はオーナーに気に入られたのか、フロアスタッフの監督を任されていたりする。

 まあ、古株だからというのもあるんだけど。

 ちなみにオーナーの趣味で制服はメイドさんみたいなデザインの服でウェートレスの美人度も高い。

 そんなわけで時々、「ご主人様とよんで~」などと店を勘違いしている人が来たりするが、オーナーが親切丁寧に二度とご来店なされないようご説明してくださるので安心して働ける。

 もちろん、ネットでウエイトレスの写真が出回ることもない。一度出回ったそうだが、すぐにアップした人物とともに削除されたという。

 ……あんまり、オーナーのことは詮索しないでおこう。従業員を守ってくれるいいオーナーなんだし、私たちにはそれで充分なのだ。

「聡美、聡美」

 クロックに袖を引っ張られて説明ゾーンから我に返った。

「クロック、なんなの? もしかして、またお皿割ったとか」

 クロックは美少女でお客にも人気がある。だけど、美少女度と仕事の能力の相関関係は絶対ない。断言していい。

 その証明として彼女が存在している。

 これまで幾度となく、そそっかしくお皿を割ったり、お客さんにお水をかけたりするのだ。

 もっとも、その度に時間を巻き戻してやり直しているから他の人には「危なっかしいけど、不思議と致命的ミスしない娘」で通っている。ああ、神様のくせにこんなズルをするなんて卑怯者。

 しかも、こっちはそのおかげで巻き戻された分だけ同じ仕事を二回こなすことになるのだ。正直、たまったものではない。

「今日はまだ一枚も割ってないわよ」

「それが普通よ。じゃあ、お水でもこぼして――」

「違うって――もう、あそこの、三番に座っているカップル見てよ」

 手をつかまれて強引にフロアを覗ける場所まで連れてこられた。三番テーブルといえば、窓際の席で景色がよく、カップルをよく案内する席だけど、何か変なことになってるのかしら?

「……あれって、確か飯田カンパニーのお嬢さんじゃない。どうかしたの?」

 大学のミスコンに出た時に一緒に出ていた出場者で憶えている。控え室で一緒のときに海浜公園のヨットハーバーにプレジャーボートを持ってるとか自慢していた。お金持ちなことをちょっと鼻にかけてあんまりいい印象は無いけど、別段とんでもないことをしているわけじゃなさそうに見える。

「そっちじゃなくて、男の人の方」

 そんなに急かされても目は二つしかないのよ。

 クロックに促され、お嬢様のお相手を見て、ある意味、驚いた。

 人の容姿をどうこう言うのは悪いことだけど、正直言って、なんとも風采のあがらない……毒では絶対ないけど、絶対薬でもない。およそ、派手好きのお嬢様には似合わない男。ぴったりくる称号があるなら、万年貧乏学者。でも、こちらも特別、変なことをしているわけじゃない。

「まあ、あんまりハンサムじゃないけど、ほら――タデ食う虫も好き好きって言うし、個人の自由なんじゃないかな? クロックが愛と美の女神も兼任しているなら話は別なんでしょうけど」

 私は馬鹿らしくなって自分の仕事に戻ろうとしたが、手をまたつかまれた。

「違うって! よーく見てよ。今朝見たもの、思い出して」

 今朝見たもの?

 私はもう一度、彼を見た。

 ……狐?

 店内はペット同伴禁止……じゃなくて、半透明……時の獣!

「クロック!」

 私は隣のクロックを腕をつかみ返した。

「物じゃなくて人がタイムスリップすることはごく稀だけどあるのよ」

「映画みたいな話ね……」

 私はもう一度、漂流物……いや、漂流者というべきだろうを見た。時の獣はさっきよりもはっきりと見えた。なんだか喜んでいるようにも見える。

 時の獣は漂流物の干渉を最小限にするようにしてくれる謎の獣だけど、大抵は困ったような顔でいるのしか見たことがない。

 こんなにうれしそうな顔は私が触れてあげた時ぐらいだろう。

「一応、さっき電話で確認したら間違いないって。彼は漂流者よ」

 私がまじまじと彼を見ているのを疑っていると勘違いしたのか、クロックが断言した。

「……こういうときはどうするの?」

 私は希望をこめて訊いてみた。タイムスリップの原因は大抵が朝のような何かの爆発だったりする。そうだとすると、元の時間と場所に戻したら……。

 私は自分の肩を抱いた。

 答えを知るのは怖いが、知らないで答えに加担するのはもっと怖い。

「どうするもこうするも、同じことよ。珍しい現象だけどいつもと同じよ」

 クロックの回答は明確で迷いがなかった。

「いつもと同じって、そんなわけにいかないでしょ」

 私はつい声を荒げてしまった。

「同じは同じなの。行くわよ。間違った時間は正さないと」

「そうだね。間違った仕事も正さないとね」

 クロックが立ち上がった拍子に、後ろから不意にかけられた声にはっとした。

「オーナー!」

 にこやかな笑顔を浮かべて立っているが、目が笑っていない。忙しい時間にウェートレス二人が油を売っているのだから怒って当然よね。やっぱり。

「す、すいません。すぐに仕事に戻ります」

 私はクロックの首根っこを掴んで仕事に戻った。ここで不興を買って、お給料減らされては生活に差し障りまくる。女神のお仕事ではお腹は膨れない。クロックが文句を言っているようだけど、そんなのは脳に届く前にシャットアウトよ。

 結局、仕事が一段落した時には、すでに貧乏学者風の彼は飯田さんと一緒に食事を済ませて帰ってしまった後だった。

「どうするのよ! 時間を正すのもウチにとっては大切な仕事なのよ」

 クロックは目に涙を浮かべて文句を言ってきた。彼女にとってはそちらが本業なのだから当たり前よね。それにしても、美少女が涙を目に溜めて怒ると破壊力あるわ。女の私でさえ、動揺するぐらいだから男だったら一撃ね。

「わかったわよ。ちゃんと探すから。一緒にいた人は有名人だから噂を聞けば、すぐにわかると思うから」

 私は普段自分からかけることの無い携帯電話で噂好きの知り合いに電話をかけまくることになった。お願いだから、友よ。余計で変な噂話も無料オプションでつけないで、ああ、通信費が……。

 結局、通信費という経済的犠牲の末、飯田さんの連れていた貧乏学者風の彼は林田健次郎という私の通っている大学の物理学部の大学院生とわかった。

「自分で集めてきた情報に自分でけちをつけるのも変だけど。なんで、うちの大学に籍があるのよ? タイムスリップしてきたんでしょう、彼は。それとも、そんな昔からこの時代にいたわけ?」

 私は昼間に感じたもやもやした、理性的な説明が難しい感情もあって少し腹立たしげに言った。

「時の獣がやったんでしょ。流れ着いたときに適当なプロフィールをでっち上げて世界に干渉したのよ。もちろん、本人の記憶も封印してね。こういう場合はそうすることが多いっていうし」

 私の疑問にあっさりとクロックは答えた。

 時の獣……なんて便利なやつなんだろう。まさに至れり尽くせりサービス満点だ。

 この時の獣、漂流物を正確に元の時間と場所に戻すのに大変重要な生き物なんだけど、なかなか女神たちに懐いてくれないという。

 時の女神たちは結局、時の獣が大好きという特殊な結晶でご機嫌をとるか、私のような稀に時の獣が見えて、なおかつ好かれる人間をパートナーにするかしているそうだ。

 もっとも、時の女神として働いているのは前者の方法が多くって、後者の方法は非効率で時代遅れといわれているらしい。

 その時代遅れの方法で仕事しているのは、クロックらしい……そういえば、クロックにとって時の女神の仕事というのは何なんだろう?

 これまで色々と漂流物を元の時代に戻してきたが、これといった報酬をもらっているようには見えない。

 クロックぐらい即物的な神様が世界の平和のためだけに働くとも思えない。

「ねえ、クロック」

「まだ質問があるの?」

 ちゃぶ台で雑誌の懸賞応募はがきを念を込めながら書いているクロックがめんどくさそうに返事した。

「うん。クロックにとって女神の仕事って、何なのかな? って思ってね」

 私の質問にクロックはきょとんとした顔をしている。しまった。聞き方が変だったかしら?

「女神の仕事ね……」

 クロックは一度、下を向いて応募はがきの続きを書きかけたが、すぐにペンを置いた。

「時の獣を懐かせる結晶がある話はしたわよね? あれって、すごく高価なのよ。ウチみたいな、生まれもよくない駆け出しには手が出せないぐらいね」

「神様の世界も世知辛いわね」

「本当は学校を出たら、どこかの事務所で下働きして、結晶の使い方と結晶を買う資金を貯めて独立するのが普通なのよ。実際、ウチの同期はほとんどがそうしているわ」

 まるで、弁護士……ううん、お医者さんみたいね。女神の世界もなかなか厳しいのね。

「でも、ウチは結晶使いの時の女神にはなりたくなかったの。だから、この世界にパートナーを探しに来たのよ。時代遅れの方法といわれてもね」

「片道切符の後先考えなしでね」

 拾ったときの状況を思い出して苦笑よりも軽い怒りが込みあがった。

 クロックは自分の家財道具を売り払い、こちらの世界へ片道切符、しかもかなり下のランクを買ってやってきたのだ。

 普通はこちらの世界での地位や住居、財産などそこそこ整えるのだが、クロックの場合、かろうじて戸籍と義務教育終了している記録ぐらいが整っていただけだった。

「え、えーと、女神の仕事についてだったよね?」

 ごまかしたな。まあ、本題はそうだけど。

「半分はウチらみたいな人間のパートナーと組むタイプを馬鹿にしている連中に対抗するため」

「要するに意地というか、対抗心?」

 私はあきれたが、クロックらしいと納得できた。妙に負けず嫌いなところがある。同期にライバルでもいるのかもしれないわね。

 ん? 半分はということは、あと半分は?

「残りは世界の平和のためよ。ウチは女神様だもん」

 六畳一間のアパートの一室で、女神光臨のようなまぶしい笑顔とポーズをされても胡散臭さが警報レベルマックスで鳴り響いているんですけど。

「とにかく、明日は世界を守るために漂流者の林田健次郎の時間を正しに行くわよ」

 クロックは締めくくると懸賞はがきの作業を再開した。

 私は賛同も反対もせずに手元の雑誌をめくり始めた。

 正直なところ、死ぬのがわかっていながら元の時間と場所に戻すのはつらい。なんとか、見なかったことにして……くれるはずもないか。

 クロックはいい加減そうに見えて、そういうところはまじめだしね。

 さて、どうしよう……


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