【2】
一礼したハルがコンビニを出て行く。
その後は唯花と他愛のない話をしながら店番し、八時二十分に閉店作業完了。唯花は売れ残ったお惣菜を買い物カゴに入れた。今日は五つのパックが残っており、月下一家の夕食になるとのことだ。
「唯花たち、部屋はバラバラだよね。ご飯はみんなで食べてるんだ」
「ううん。ほとんど兄さまと二人きりだよ」
「ノブおじさんは?」
「叔父さまは『仕事に集中しているときは放っておいてくれ』って言うの」
お弁当は毎日渡しているそうだが、信行の食事時間は不規則だという。いつか身体を壊すのではないか、と唯花は気を揉んでいるようだ。信行は熱中すると周りが見えなくなるタイプなのかもしれない。
「でもね、わたしもあんまり人のこと言えないんだ。わたしが一番好きな食べ物はケーキなんだけど、毎日食べちゃうの」
「別にいいんじゃない? ケーキしか食べないわけじゃないなら」
「そう言ってもらえると嬉しいな。兄さまには『作りすぎて食べきるのが大変だ』ってよく言われちゃうの」
「えっ、毎日手作りして食べてるの?」
「週五日くらいかな。お店で買うのも好きだよ」
「よくやるね。準備と片付けも面倒くさそう」
「平気だよ? わたし、モノを作るのが大好きなんだ」
「そういや管理人さん、唯花が手作りしたストラップが宝物だって言ってたな。クロスと月、センスあるデザインだなって思ったよ」
「ありがとう。……律子は一人っ子で寂しくない?」
幼い頃に寂しさを感じたことはある。だが中学生になる頃には一人で過ごすのが当たり前になっており、孤独に苛まれることはなかった。ずっと母さんが傍にいてくれたから。そして、母さんが買ってくれたお守り――ラピスラズリのブレスレットに力をもらっていたから。
そこまで話して、唯花の表情が酷く落ち込んでいることに気付いた。
……失言だった。
「ごめん。唯花の母親は亡くなってるんだよね」
「いいの。仕方ないことだもん」
「……あたし子供の頃から友達いなくて。人付き合いが得意じゃないから、悪気がなくても傷付けちゃうかも……なんて、言い訳になって申し訳ないけど」
「大丈夫だよ、律子は悪くない。わたしには兄さまがいるし、叔父さまも優しいから」
「……ノブおじさんとも仲良し?」
「うん。叔父さまは頼りがいがあって、わたしと兄さまを愛してくれて、すごく素敵な人だよ」
そう話す唯花の顔には笑みが戻っていた。叔父に対し刺々しい物言いをしていたハルと違い、唯花は信行のことを慕っていそうだ。
「今日は助っ人ありがとね。まだレジの使い方が不安だから助かったよ」
「律子ならすぐ完璧になるよ。――ねぇ、今度一緒にお出掛けしない? 素敵なカフェを知ってるの」
「あたしなんかと一緒に行っても退屈じゃない?」
「全然。今日も律子とお喋りしながら仕事して楽しかったもん」
「……じゃあ仕事に慣れた頃にでも」
一人で店番をするなんて当分無理――と言いたいところだが、少しでも早く慣れなければならない。今はハルや唯花の負担を増やしている状態なのだから。
結局、一人で店番することになったのは仕事開始から一週間後。顔を合わせた住人は、少なくとも十五人は超えているはずだ。
無言で買い物して去っていく者、唯花の手作り弁当目当てで毎日顔を出す者、一方的に世間話を振ってくる者――様々な住人がいる。
異彩については、対面しただけでは分からない人間ばかりだった。見た目で認識できたのは〝赤い唾液〟の男性のみ。あたしの前に店番している哲司の異彩も分からない。彼の場合は人見知りの影響で、誰にも打ち明けていないのではないか……とも思う。
今日初めて会った男性は「身体が磁気を帯びてるんですよ」と言い、自分の頬にマグネットをくっつけて見せてくれた。
このような身体的特徴と違い、〝幽霊の姿が見える〟というオカルトパターンまで――これに関しては二重の驚きがあった。あたしはこれまで幽霊の存在を信じていなかったから。
世間では異分子扱いされるであろう人々が、ここには〝当たり前〟として存在している。そして、誰もが相手の異質さを受け入れている。そんな空気に居心地の良さを感じ始めている自分がいた。
* * *
入居から一ヶ月と少し経った、ある月曜日。誰もいないコンビニのカウンター内で本を読んでいると、一人の客が入ってきた。初めて見る女性だ。「こんばんは」と挨拶しながら本を閉じて立ち上がる。
二十代半ばくらいと思しき女性は黒いボブヘアで、黒縁眼鏡を掛けていた。化粧はしておらず、上半身はニンジン柄のTシャツ、下は黒いジャージ。首からはネックストラップがぶら下がっており、その先端でピンク色のスマホが揺れている。
「あ、あの、あなたが〝美人の律子ちゃん〟ですか?」
「……何ですか、それ」
「もう一ヶ月くらい前だったか、俊介くんと話しまして。隣人さんがモデル体型の美女だと自慢してました」
「あいつ、勝手にそんなこと……」
「ふむふむ、ホントにスタイル抜群ですねぇ。一五〇センチしかない私からすると羨ましい限りです」
大人しそうな印象と違い、割と会話をするタイプの住人らしい。「小さい頃に牛乳いっぱい飲みました?」とくだらないことを訊ねてきたが、あたしが答える前に「はわわ!」と謎の言葉を発した。
「自己紹介がまだでしたね。私は七〇一号室に住む林道杏子、二十五歳です。以後お見知りおきを」
「分かりました。よろしく」
「こちらこそヨロシクなのです。しかしながら、私はこのコンビニに来ることはあまりなくて。今日はたまたまほしいものがあって買いに来たんですよ」
「そうなんですか」
「……それから、えっと……。私は動物とお話できるのです」
「異彩のこと?」
そうなのであります、と妙な口調で杏子は頷いた。
「動物にも意思があって、私はそれを〝言葉〟として受け取ることができるのです。そして、動物に私の意思を伝えることもできる。この近辺でも、たくさんの野良猫ちゃんとお友達になりました」
「実際に声を出して動物と喋るんですか?」
「はい。まぁお察しだと思いますけど、普通の人から見れば不審者です」
周囲から虚言癖だの妄想癖だの言われ、杏子は孤立していた。動物が話していることをいくら代弁しても信じてもらえず〝嘘つき〟のレッテルを貼られていたらしい。いつしか人との対話に苦手意識を持ち始め、自分を受け入れてくれる動物たちとばかり話をするようになったと教えてくれた。
「でも高校を卒業した頃、お父さんに『杏子は逃げてるだけだ、社交性を持てば友達くらいできる』と叱られまして。そんなこと言われても無理だーって思っていたのです」
「まぁそう単純なものじゃないですよね」
「でしょう? 本当はファミリアに入るのも嫌だったのです。お父さんが『良い機会をもらえたんだから社会勉強してこい』と言って、私をここに押し込んだみたいなものでして」
「そんなパターンでの入居もあるんだ……」
「でも結果的に、お話しできる人がたくさんできました。ここに来て良かったのです」
「その気持ちは分からないでもない……かな」
「それじゃあ私たちはお仲間ですね。ちなみに律子ちゃんはどんな異彩をお持ちで?」
杏子は中指でくいっと眼鏡を持ち上げた。自分から勝手に異彩を打ち明ける人間は何人かいたが、あたしに異彩のことを訊ねてきたのは俊介に続き二人目だ。
「あの、もちろん、嫌なら言わなくていいのですよ?」
「いや。その質問されるの久しぶりだなと思って」
「異彩は『訊いてもいいけど断られたら引く』というのがルールですから、そもそも訊かない住人さんの方が多いですねぇ。私は人間のお友達が一人もいないことを寂しいと感じていた反動か、住人さんとお話するのが好きなんですけど」
またお話ししてくれると嬉しいです――そう言い残し、店の奥へ行こうとする杏子を呼び止めた。
コンビニの店番を始めてから、周囲に異分子がたくさん存在するという実感が強くなっている。この場所では異質さを抱えているのが当たり前。秘密を打ち明けることに対する抵抗が薄れ始めていることを自覚した。




