【4】
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ハルからメールが入ったのは翌日の正午過ぎ――バイト先で休憩を取っているときだった。仕事が終わったあと、時間があれば少しだけ顔を出してほしいという内容。
ファミリアへ戻ると事務所に直行した。応接テーブルでハルと向かい合い、アイスコーヒーをいただく。
「ご入居から一週間経過しましたが、住み心地はいかがですか? 気になる点などがあれば遠慮なくおっしゃってください」
「……特に不満はないかな。昨日は管理人さんの妹に会ったよ」
「妹の異彩、驚かれたでしょう」
「まぁね。あんな可愛い妹だったら、変な虫が付かないか心配なんじゃない?」
「大丈夫ですよ。妹は僕にべったりなんです――と皆さんによく言われます」
「親バカならぬ兄バカってやつ?」
「そうなのかもしれません。僕の宝物、これですから」
ハルはスマホを見せてくれた。スマホケースにシルバーのストラップがぶら下がっている。クロスと月のモチーフが連なっており、クロスの部分には緑色のラインストーンが散りばめられていた。
「僕が二十歳のとき、妹がくれたものです」
「誕生日プレゼント?」
「はい。パーツを買って手作りしてくれたんです。僕にとっては本物の宝石より価値のあるもの……なんて大袈裟ですかね」
「そんなことないよ。あたしも似たようなものを持ってる」
ハルの前に左手首をかざした。毎日欠かさず着けている、クリスタルとラピスラズリのブレスレット。あたしが十歳のとき母さんが買ってくれたお守りだ。サイズを直して使い続けてきた宝物。
「ラピスラズリには厄除け効果があるんだってさ。店に行けば三千円くらいで似たブレスレットを買えるんだけど、あたしにとってはこれが特級品なんだよね」
「それだけ大切にしてもらえたら、お母様も嬉しいでしょうね」
「そういや管理人さんの両親は? ファミリアの運営に携わってないの?」
「母は死にました」
思いがけない事実に、返す言葉が見付からなかった。ハルは表情を変えることなく、さらりと前髪を掻き上げている。
「父は妹の異彩を恐れていたこともあり、僕たちの養育を拒否しました。行き場を失った僕たちを叔父が引き取ってくれたんです」
「……悪かったね。余計なことを訊いて」
気にしないでください、と答えるハルはいつもどおり柔和な表情をしていた。綺麗な笑顔なのに、なんだか悲しくなってくる。
「律子さんが謝る必要はありません。多くの住人の方に同じような質問をされましたが、逆に気を遣わせてしまって申し訳ないくらいですよ。僕にとっては既に過去の話。過去を振り返るために時間を使うなんてもったいないです。現在の生活は安定していますからね」
「現状に不満はないってこと?」
「えぇ、叔父は妹を可愛がってくれていますから。叔父がファミリアを始めたきっかけのひとつも、妹に友人ができればいいという想いだったようです」
「……唯花、自分の異彩を解放したくないって言ってたけど。住人を集めるために力を使わせていいの?」
「妹が異彩を疎ましく思っているのは事実ですが、役立てたいとも考えてくれていますよ。妹は人の痛みに敏感ですから、傷付いた人に手を差し伸べたいと思うのでしょう」
「まぁ……あの子はいかにも繊細そうに見えたけど」
沈んだ気分を誤魔化すようにアイスコーヒーを流し込む。ガムシロップの甘ったるさが心地よく、ほっと息をついた。
「僕からの話は以上です。貴重なお時間を割いていただきありがとうございました」
「構わないよ」と答えて事務所を出たが――翌日の午後、またハルからメールが送られてきた。『相談したいことがありますので、時間を作っていただけないでしょうか』とある。
アルバイト終了後、事務所を訪れた。テーブルには麦茶と思しき飲みかけのグラスが二つ置かれている。誰か来ていたようだ。ハルは「何度も申し訳ありません」と頭を下げ、新しいお茶を淹れてくれた。
「実は今朝、俊介さんから『コンビニで働くのを辞めたい』と申し出がありましてね」
「急に?」
「えぇ。他にやりたいことができたとおっしゃっていました」
その内容については追求しなかったらしいが、ハルは本人の希望を尊重し、その申し出を受けた――「今日で辞めていい」と返事をしたそうだ。
「今日って……あのコンビニ、平日はずっと俊介が店番してたんでしょ? 大丈夫なの?」
「他にやりたいことがあるなら一日でも早く辞めたいでしょう」
「そんな極端な。俊介だって『今すぐ辞めたい』って言ったつもりはなかったんじゃない?」
「近々辞めることが決まっているのなら即日でも大差ありません。時間は有限なのですから、すぐOKを出すのが本人のためでしょう」
明日からは営業時間を短縮し、ハルと唯花で対応するそうだ。できるだけ早く通常営業に戻すべく、新たな店員を探しているとのこと。
あたしの前は五〇一号室の住人と面談し、平日の開店から午後二時まで、その住人が働くことは確定した。残る時間帯は午後二時から閉店まで。
「接客業を嫌がっていた律子さんに頼むのも心苦しいのですが。ラベル貼りの仕事はこちらで調整しますので、空いた時間、コンビニの店番をお願いできませんか?」
「……ここのコンビニって住人しか出入りしないよね?」
「基本的にはそうですね」
「マンションと無関係な人間が来ることもあるの?」
「商品の配送業者の方です。顔馴染みの方ですのでお客さんとは違いますが」
「あ、そっか。そういう業者は毎日来るに決まってるよね」
ハルは「いえ」と答えた。ファミリアのコンビニは来客数が少ないため、日持ちしない食料品はあまり仕入れないとのこと。配送業者が来るのは週二回らしい。
「あたし、接客は初めてだから自信ないけど。それでもよければやるよ」
「ありがとうございます。また後日連絡させていただきますね」
事務所を出るとコンビニへ向かった。俊介が何故急に辞めたいと言い出したのか、話を聞けたらいいと思ったが――レジカウンターにいたのはエプロン姿の唯花だった。
「俊介は?」
「一時間くらい前に店番を交代したの」
「どっかに出掛けたのかな」
「お部屋に戻ると言ってたよ?」
「あの人、急にコンビニを辞めるって言ったんでしょ? ここで働くのを楽しんでるみたいだったから意外で……。詳しい事情聞いた?」
「ううん。でも……なんか緊張してるみたいな雰囲気だったな。あんなふうに真面目な顔した俊介さん、初めて見たかも」
「分かった。ありがと」
コンビニを出て三〇二号室へ行くと、インターフォンを鳴らした。「はーい」という声からやや遅れてドアが開く。顔を出した俊介は、いつもと変わらぬテンションであたしの名を呼んだ。
「キミが訪ねてくるなんて。一体どうしたの?」
「大したことじゃないんだけど……今日でコンビニを辞めたんだって?」
「あ、うん、実はそんな感じなんだよねー」
歯切れの悪い返事をした俊介の視線が、右の方へ落ちる。そこにはキャリーケースが置かれていた。
「旅行にでも行くの?」
「……ちょっと、地元の方にね」
実家に帰省するのだろうか。急いで家族に会わなければならない事情でもできたのかと質問しかけたが――昨日、ハルに両親のことを訊ねて気まずい思いをしたばかりだった。詮索は避けよう。
「もしかして律子ちゃん、コンビニの店番を頼まれた?」
「そうだよ。いつから働くとかは決まってないけど」
「律子ちゃんにまで迷惑を掛けちゃったね。ごめん」
「別にいいよ」
「長期でここを離れるわけじゃないし、暗い内容で地元に行くわけじゃないから。心配しなくていいよ?」
本人がそう言うなら、あたしが気にすることでもないだろう。「分かった」とだけ返した。




