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【3】



「僕は、律子さんとは違う意味で唯花のことを大切に思っています。それはAIチップを埋め込まれる前から持つ感情ですので、僕の想いを理解してもらえるよう努力します。律子さんを……僕が自然と好きになった人を悲しませないように」


 信行は「そうかい」と満足げに呟いた。


 唯花はおそらく明日の朝まで眠ったまま、ハルもしっかり睡眠を取った方がいいとのことで、今夜は解散になった。明日のコンビニは臨時休業、住人から連絡があったときに信行が個別対応するそうだ。ハルとあたしは、それぞれ唯花に話したいことをまとめておくといい――そんな信行の助言を受け、自分の部屋に戻る。


 唯花とは気まずい空気になってしまったが、彼女は「律子と友達でいたい」とも言っていた。あの言葉に偽りがなかったのなら、素直に嬉しいと思う。以前から唯花のことは嫌いでなかった。ハルへの恋愛感情と同じ……自分に自覚がなかっただけで、唯花と友達になったつもりでいたのだろうと、今は思う。


 ひどく長い一日だった。

 それでも、ハルのくれた言葉を思い返すと安心する。


 ファミリアに入居すると決めたとき、「これが人生の転機になるかもしれない」と考えた。きっと、それが今――他人のことを想いながら眠る日が来るなんて、あのときの自分は想像もしなかった。



* * *



 翌、午前十時。

 ハルから『お話しする時間を作っていただけませんか?』とメールが入った。その話には唯花も同席するという。場所は事務所と書かれていたが、二人であたしの部屋に来てほしいと返信した。あたしの眼に秘められた力が本物かどうか、裸眼で唯花と接したいと考えたのだ。


 インターフォンが鳴ったのはそれから三十分後。玄関先であたしの顔――紅い眼を見た唯花は驚いたようだったが、何を言うでもなくハルの後ろに付いて部屋に上がった。ローテーブルを挟んで向かい合い、グラスの麦茶を三つ並べる。緊張で乾く喉をお茶で潤していると、ハルが口を開いた。


「昨夜、律子さんがお帰りになったあとでAIチップを初期化してもらいました。今朝改めて叔父が確認したところ、どちらのコントロールの影響も消失していたそうです」

「そっか。二人とも、お互いに恋愛感情は……?」

「どちらにもありません。本当に、ごっそり抜け落ちてしまったかのような……不思議なものです」

「……だね」

「妹には、昨夜の出来事について詳しく報告しておきました」


 唯花はあたしの眼を見ている。心の中で「何か感じることはある?」と問いかけてみたが、返事はなかった。あたしの心を読んでいるわけではないようだ。今度は声に出し、同じ質問をした。


「……律子の眼、綺麗だと思う」

「見た目の感想を訊いたんじゃないよ。あたしの眼を見て、何か思うことはない? 唯花、あたしのことが気に入らなかったんでしょ?」

「わたし……律子が兄さまのことを好きだって気付いて『遠ざけなきゃいけない』と思ったの。律子は大切なお友達だからそんなふうに思いたくなかったのに……。だから、すごく苦しかった」


 唯花があたしに冷たく当たったのはAIチップの影響で、今もあたしのことを拒絶しているわけではないようだ。ひとまずホッとした。


「わたしは兄さまのことが大好きで、独り占めしたいって気持ちもあるけど、兄さまの幸せを壊したいわけじゃない。兄さまには好きな人と一緒になってほしい」

「それってあたしのことでいいんだよね?」


 心配そうに妹を見守っていたハルが、ふっと笑みを漏らした。「他に誰がいるんですか」と呆れた調子で言われてしまい、急激に恥ずかしくなる。顔に感じる熱を少しでも冷ますべく、冷たい麦茶を口に運んだ。


「……また唯花のお勧めカフェ、一緒に行ってくれる?」


 唯花は眉を寄せて黙り込んだ。

 あたしとハルが両想いになったことを受け入れても、あたし自身のことを受け入れたわけではないのかもしれない。「嫌ならいいよ」と付け加えると、彼女はかぶりを振った。


「わたし、律子のこと傷付けたのに。これからも仲良くしてくれるの?」

「まぁね。あたしはファミリアに入居するまで友達がいなかったから、未だにどういうものか理解できてない部分もあるけど。唯花と話せるようになって……友達になれて良かったと思ってる。唯花が嫌でなければ、これからも友達でいてほしいかな」


 率直な気持ちを伝えると、唯花の表情がくしゃっと歪んだ。彼女の瞳から大粒の涙が零れ落ちる。


「嫌な思いをさせて本当にごめんね」

「だから、もういいってば。泣かないでよ。こっちが申し訳なくなるから」

「……そうだよね。ごめん」


 唯花にティッシュの箱を差し出す。彼女はそれを受け取り、ようやく笑みを浮かべた。今後はあたしとハルの恋を応援すると宣言してくれたが、それはそれで気恥ずかしい。それでも、双方の間でくすぶっていた感情が昇華された気がして安堵した。


 ハルは麦茶に口を付けると、律儀に「ご馳走様でした」と頭を下げた。


「話は以上ですので、僕たちはこれで失礼します」

「随分あっさりしてるね。せっかちなのは変わらない、と言うより元々の性分だったってことかな」

「昨日休んでしまった分を取り返したいんです。妹はコンビニに並べるお弁当に必要な食材を買いに行かなければなりませんし、僕も経理関係で早急に対処すべき仕事がありますので」

「何か手伝おうか? あたし、今日は思いがけず休みにしてもらったから」

「給料をお支払いする仕事以外、住人の方にお手伝いいただくわけにはいきません」


 そこまで厳密に考えなくても……と思ったが、仕事に対して真面目なハルのことだ、言い出したら聞かないだろう。遠慮なく休日として過ごさせてもらうことにした。


 ハルと唯花を見送るため玄関へ向かう。ドアを開けたハルは「先に戻っていて」と告げ、唯花を送り出した。ドアが閉まり、しんと静まり返る。想いが通じてから二人きりになるのは初めてで、妙に居心地が悪かった。沈黙を消すため「仕事に行かなくていいの?」と訊ねる。


「僕たちの関係について、きちんと話をしておきたかったんです。昨夜は気持ちを伝えただけで終わっていたでしょう?」

「……そだね」

「だから、改めてお願いします。僕の恋人になってください」


 すっと右手を差し出される。「うん」とだけ絞り出し、ハルの手を握った。

 そのまま抱き寄せられる。

 脈が激しくなり、身体が動かなくなった。


「すみません。突然こんなことをされて嫌な気持ちになりましたか?」

「……嫌だったら突き飛ばしてるよ」

「良かった。律子さんが固まっているので、少し不安を感じました」

「〝不安〟……感じるの?」

「ほんの少しずつですが、麻痺した心が戻り始めているみたいですね。叔父いわく、こういった変化はAIチップと無関係らしいです」

「そっか。……あたしは別に、どうしていいのか分かんなくて動けなかっただけだから。迷惑とかじゃないよ」


 心臓が痛いくらい脈打っていることに困惑するなか、ハルが腕を解いた。ゆっくりとあたしの頭を撫でるハルの手からは、僅かに震えが伝わってくる。緊張しているのは自分だけでないと分かった。


「律子さんと想いが通じて嬉しいです」

「……あ、うん……そう?」

「大丈夫ですか?」

「あんまり大丈夫じゃないかもね。あたし、こんなことするの初めてだから。ハルが好きになってくれなかったら、こんな経験をすることは――」

「初めて、僕のことを名前で呼んでくれましたね」

「……そうだっけ?」

「えぇ。律子さんには〝管理人〟と呼ばれてきたので。名前で呼ばれたらますます愛しくなりました」


 胸がざわめくような、少し苦しいような、でも温かくて嬉しい……これが〝愛しい〟という感覚なのだろう。

 初めて知る感情。

 一生知ることはないかもしれないと思っていた感情。

 ハルが――ファミリアで出会った人々が、あたしの心に変化を生み、成長させてくれたように思う。


「僕はこれからも、異彩者の皆さまの拠り所を守っていきたいと思います。律子さんには僕の拠り所になっていただきたい。これからもずっと、傍にいてくれますか?」


 あたしで良ければいつまでも。

 若干の照れくささと、たくさんの愛しさを抱きながら、そんな言葉を紡いだ。



(了)



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