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【3】



 唯花を抱いた信行が階段を上がっていく。彼女を部屋に寝かせ、一人でハルの捜索に出るつもりだろう。


 ハルが信行を信頼していない様子だったことを思うと、任せきりにしておくのは不安だ。やはりあたしも捜しに行こう。とはいえハルの行きそうな場所に心当たりはない。これまで連れて行ってもらった激辛料理の店くらいしか――。


 頭の中に、キラキラと輝く大樹が浮かんだ。

 湊公園のイルミネーションツリー。

 二人並んで見た、眩しいくらいの煌めき。

 ハルの心を壊したのがあたしだと言うのなら。

 悪い意味だとしても、あたしの存在がハルに強い影響を与えたのなら。

 行ってみる価値はあるかもしれない。


「ごめん杏子さん、あたしの代わりにレジ締めといて」

「へ? こ、困りますよ、やり方が分からないです」

「俊介に訊けば分かるから」


 杏子の制止を聞かずファミリアを飛び出した。静まり返った夜道をひたすら走っていく。大通りに出るとタクシーを捕まえ、「湊公園まで」と告げた。上がった息を整えながら窓の外に目を向け、あの日の〝約束〟を思い返す。


 イルミネーションを見てダブルデートの話をしたとき、ハルは「律子さんに好きな人ができたら教えてください」と言っていた。そのときは何の気なしに返事をしてしまったが、よく考えてみれば〝自分には既に相手がいる〟と受け取ることもできる。


 あのときから、ハルと唯花は愛し合っていたのだ。あたしの入る隙はないのに……何のために、こんなに必死で動いているのだろう。

 ……いや、自分の感情は後回しだ。

 とにかくハルを捜し出さなければならない。無事を確認して、唯花と信行に知らせなければならない。


 湊公園の駐車場でタクシーを降りる。火曜の今日、ツリーの電飾は消灯していた。公園の周囲に街灯が立っているものの、夜闇を照らすには不十分だ。ひとけもない。


 しかし、真っ黒なツリーの前に立つ影があった。

 背を向けているが、間違いなくハルだ。

 ひとまず安堵して呼び掛けると、彼はゆっくりと振り返った。


「律子さん」

「どうしてこの場所に?」

「……自分でも分かりません」

「何の連絡もなく突然いなくなるなんて。みんな心配するでしょ?」


 返事はなかった。

 暗い中でも表情を確認できる距離まで歩み寄る。


「管理人さんがいなくなったことを知って、唯花まで倒れちゃったよ? 相当ショックを受けたと思う。まぁ管理人さんがそれを知ったところで、心が麻痺してるなら何とも思わないのかもしれないけど」

「……そのこと、叔父が話したのですか?」

「いや、唯花から聞いたんだよ。辛い経験が重なって、マイナスの感情を抱かなくなったんだよね?」


 ハルは小さな溜め息をつき、色のないツリーを見上げた。


「情けないことを知られてしまいましたね」

「情けなくなんかない。そんなふうになるほど苦しんだってことでしょ?」

「そうなんでしょうね、きっと。生みの母は病死、育ての母は事故死、実の父親からは『要らない』と言われ…………悲しみ以上に、自分が疫病神のようで恐ろしくなったんです。しかし今となっては、悲しいとも怖いとも思いません。どうでもいいことになってしまいました」

「……管理人さんの異彩って、心の病のことだったの?」


 唯花の話を聞いてから引っ掛かっていた疑問を投げかける。ハルは「違います」と答え、ツリーから視線を外した。あたしの瞳を見据える彼の面持ちは固い。


「初めてお会いした日、異彩の定義は〝普通と違う部分や能力を持つ人〟だとお話ししましたよね。住人の皆さまはそれぞれ自然発生(・・・・)した特徴をお持ちです。でも、僕の異彩は違う。人に仕込まれた(・・・・・・・)ものなんです」

「……仕込まれた?」

「僕は思考の一部を制御されているんです」

「何、それ……。どういうこと?」

「僕の頭には〝AIチップ〟というものが埋め込まれており、思考回路に欠陥が生じている。〝心の一部を操られている〟と言えば分かりやすいでしょうか」

「心を操るなんてことが本当にできるの? っていうか、誰がそんなこと……」

「こんな非人道的なことを考える人間、叔父くらいしかいませんよ」


 話は、管理人兄妹が信行に引き取られた頃へさかのぼる。


 異彩の影響で人間嫌いだった唯花。

 負の感情を抱かなくなってしまったハル。

 それぞれ心に傷を負った兄妹を見た信行は、「似た者同士が集まれば良い影響を生むかもしれない」と考えた。そうして始まったのが、異彩者を集めるマンション〝ファミリア〟の運営だったそうだ。


 ハルが十八歳のときにマンションの運営スタート。

 それと同時期に、信行はAIチップの研究開発を行っていた。この研究は唯花の心を癒すために行われていたものだという。


「僕が恐怖や不安を感じない体質になった――叔父にとって恰好の実験台だったのでしょう。頭に穴を開けられることや異物を埋め込まれること、思考の一部を制御されること……全てに対し恐れも躊躇もなく、僕はAIチップを受け入れました。妹に恋情を抱くようになったのはそれからです」

「つまり……管理人さんが唯花を好きになるよう、ノブおじさんがコントロールしたってこと?

「そうです。叔父が、姪の悲しみや寂しさを軽減すべく講じた策ですね」


 AIチップの埋め込みに成功したのはハルが十九歳のとき。その後、管理人兄妹は恋愛関係に発展した。信行が行っていたマンション管理業務をハルが引き継いだのも同じ頃だったという。


「僕が妹に愛情を感じるのはAIチップのせいで、自分の意志ではない――最初はそう思い込もうとしたのですが、彼女の姿を見ていたい、声を聞いていたいという衝動を抑えられなくなるんです。依存のような感覚に陥ったのではないかと」

「嫌な気分にならなかったの――って、なれない(・・・・)のか。心の麻痺があるんだもんね」

「そう、僕は誰かに嫌悪を抱くことがない……もちろん自分に嫌気がさすなんてこともありません。しかし、仮に心の麻痺がなかったとしても、僕が叔父を責めることはなかったと思います」

「どうして?」


「母の死を体験する前から、妹は自身の異彩で苦しんできた。それを助けてあげたかったというのもまた事実ですから、叔父だけを悪者扱いすることはできません。妹への愛を疑問に思うことも、いつの間にかなくなっていたのですが……律子さんの左目を見てから、思考の制御が乱れ始めたようなんです」

「……あたしの眼?」

「これは僕なりの推測ですが、あなたの瞳はただの変色ではない。人間の本音――〝潜在意識を引き出す力〟を秘めているのではないでしょうか。律子さんの裸眼と視線が重なることで、当人すら気付いていない、心の奥底に眠っている本音が顕在化するのではないかと」


 そういえば――あたしが左目を見せたあとで、俊介と杏子は思い切った行動を取っていた。長年想い続けた人への告白、派手なイメージチェンジ。「本当にやりたいことをしたい」という気持ちが二人を動かしたのかもしれない。


「律子さんの眼の力は、叔父の開発したAIチップに勝るものだったのでしょう。今思えば、律子さんの眼を見せていただいたとき――あのとき閃輝暗点が生じたのも、不思議な力が働いたからかもしれません」

「もしかして、偏頭痛持ちになったのは後遺症か何か?」

「それは高校生の頃からなので関係ないです。あの日は結局、頭痛は起きませんでした。あの瞬間だけの異変だったようです」

「……あたしの眼は、人の脳に悪影響を与えるかもしれない?」

「〝AIチップが作用している脳〟には刺激が強かったのかもしれませんね。律子さんの裸眼に見据えられたことで不具合が生じた――制御されているはずの思考、妹を愛する気持ちが揺らいだ。そう考えています」


 約十年前から抱えている心の病。

 AIチップによる一部思考の制御。

 潜在意識を呼び起こす可能性を持つあたしの眼。

 制御によって押し殺されている本音。

 そして、昨夜の告白。

 様々な現象が重なったことで矛盾が生じ、脳内で処理しきれなくなった――ハルはそう推測したそうだ。


「あたしが自分勝手に告白なんかしたせいで、管理人さんの心を乱しちゃったわけだね」

「律子さんのせいではありません。ただ僕は〝己の中に閉じ込められてきた本音を知りたい〟という本音に気付かされたんです。心を壊す前の自分を取り戻すべく、無意識のうちに遠ざけてきた過去を手繰り寄せようと試みたのですが、突然息苦しさが襲ってきて……。いわゆるパニック発作、でしょうね。気が付いたら叔父の部屋に寝かされていました」


 ハルが無意識のうちに遠ざけてきたもの――それはきっと、この十年の間に抱くはずだった痛み。二人の母の死、妹を守らなければならないという重圧、実父や信行に対する不信感。一度に流れ込んだ苦痛にハルの心は耐え切れず、意識を失うことになってしまったのだろう。


「妹だけを愛しているはずの僕が何故、律子さんからの告白を気に留めていたのか――本当は、妹に恋情を抱くのが苦しかったんです。思考を制御されるのも怖かった。こうした感情が全て、顕在意識として浮上してしまったのでしょうね。妹は僕が眠っている間に、これらの想いを読み取ったと思います。〝自分の意思で恋愛したい〟という感情も伝わってしまったでしょう」


 AIチップに不具合が生じていると気付いた信行は今、管理人兄妹の関係が崩れるのを阻止するため、調整を図ろうとしているそうだ。二度と同じことが起こらないよう、さらに強い制御へ変わる可能性があるという。そうなればハルは、唯花だけを愛し、唯花のためだけに生きる人形同然になってしまう。



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