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【1】



【Episode7】



 ハルとも唯花とも顔を合わせる機会なく週末が過ぎ、月曜を迎えた。今日から一週間哲司が不在となり、丸一日コンビニの店番を行うことになる。


 開店準備をするため一階フロアへ下りたとき、図書室の方から話し声が聞こえた。図書室のドアが開いている。中から聞こえてきたのは可愛らしい女性の声――おそらく唯花だ。


 彼女がいるなら先日の一件について謝っておこうか。そんなことを考えながら図書室に近付いたところで、内部にハルの姿が見えた。


 唯花とハルが一緒にいる。

 この場所に自分が入っていったら、また面倒なことになるかもしれない。二人に気付かれないよう、そっと離れようとしたが――ふと違和感を覚えた。

 二人の距離が随分と近い。

 まるで抱き合う寸前……。


 ハルは唯花の頭を撫で、彼女に顔を寄せた。

 そして――二人の唇が重なった。

 自分の目を疑いたくなる光景。

 心臓が激しく音を立て、呼吸が止まりそうなほど息苦しくなった。それと同時に、見てはいけないものを見てしまったという後悔が襲ってきた。

 どうして?

 それだけしか頭に浮かんでこない。


 胸が締め付けられる感覚から逃げようと、静かに図書室を離れた。コンビニに入っても動悸がおさまらない。カウンターに寄りかかり、心臓付近に手を当てた。痛くて、苦しくて、自分でも何が何だか分からない。ハルと唯花がキスをしていた――そのシーンが頭にこびりついて離れない。


 後方から足音が聞こえる。

 恐る恐る振り返ると、無表情の唯花が立っていた。ハルの姿はない。沈黙が怖く、何か言わなければと必死で頭を回転させたが、焦るばかりで考えがまとまらなかった。


「――見てたよね? わたしと兄さまがキスするところ」


 背筋に冷たいものが走った。

 おそらく今、心を読まれている。


「……唯花たち……兄妹であんなこと……兄妹で愛し合ってるってことなの?」

「血の繋がりはないの」


 冷たい声で、唯花は吐き捨てた。血の繋がりのない関係――それが事実なら、叔父(・・)と言っていた信行は何者なのか。


「わたしのお母さまの弟。兄さまにとっては、元々何の縁もなかった他人よ」


 あたしは返事をしなかったが、唯花は勝手に話を進めていった。


 管理人兄妹の家庭環境はとても複雑なものだった。

 ハルが三歳のとき、母親が病死。

 以後、父親と二人暮らしになる。

 その約三年後、父親が再婚――相手の女性には離婚歴があり、当時二歳の娘・唯花がいた。


 要するに、ハルと唯花は連れ子同士で家族になったのだ。


 血の繋がりがないとはいえ、幼いハルと唯花はすぐに打ち解けた――が。唯花が三歳のとき、心を読むという異質さに両親が気付いた。父親は唯花の異彩に怯え、行方をくらませてしまう。


 その後、ハル・唯花・母親の三人暮らしとなった。父親がいなくても、家族三人で仲良く暮らしていたという。


 ――しかし。

 ハル十五歳、唯花九歳のとき、母親が事故死。

 周囲の協力で、行方をくらませた父親の居所を掴むことはできた。しかし彼は、子供の引き取りを拒否。唯花が一歳のとき離婚した実父にも連絡が行ったが、そちらは既に別の家庭を築いており、こちらも拒否。


 結果、唯花の実母の弟――信行が二人を引き取ることになった。

 そして今に至る。


「兄さまは二度も母親を亡くし、わたしは二度も父親に捨てられたの。叔父さまがいなかったら、わたしと兄さまは生きてこられなかった」


 家庭の事情は理解できた。しかし今の話だと、管理人兄妹に血の繋がりがなくても、幼い頃から一緒に暮らしてきた家族のはずだ。やはり兄妹で愛し合うというのは――。


「律子は『そんなのおかしい』って言うんだね」


 鋭い視線が突き刺さる。黙っていてもあたしの本音は伝わってしまう――それがいかに恐ろしいことか、今になって痛感した。


「わたしと兄さまの関係が〝おかしい〟って言うなら、律子の左目は? 住人さんたちの異彩は? みんなのこと〝おかしい〟なんて言える?」


 兄妹で愛し合うことがおかしいとかおかしくないとか、そういう問題じゃない。ハルと愛し合う彼女を〝羨ましい〟と感じている自分がいる。

 この感情は嫉妬だ。

 あたしは唯花に嫉妬している。

 そしてそれは――きっと、あたしがハルに惹かれているという証拠。

 結果として俊介の言うとおりだった。こんな形で恋愛感情というものを自覚する羽目になるなんて……。


「わたしたちは兄妹である以上に恋人同士なの。だからお願い、兄さまのことは諦めて」


 そう言い残し、唯花は去っていった。あたしが恋をしていると自覚したことも、唯花には伝わったはずだ。ハルにあたしの気持ちが伝わるのは時間の問題かもしれない。そして……ファミリアから追い出されるのだろうか。



 そこから先は上の空だった。

 住人からクレームが入ることはなかったため、それとなく店番はできていたのだと思う。気が付いたら午後八時を回っており、溜め息交じりに閉店作業を行った。


 部屋に戻っても夕食を摂る気分になれず、着替えることもしないままベッドに寝転がる。何かを考えてはいけない……自分の心がそう警告を発しているかのようで、ただ茫然と天井を見つめた。


 無機質なインターフォンの音が鳴る。

 嫌な予感がした。

 ハルか、唯花か……。

 無視したいが、そうしたところで問題が先延ばしになるだけだ。仕方なくベッドから降り、外を確認することなく玄関のドアを開けると――スーツ姿のハルが立っていた。いつもの営業スマイルはない。〝無〟に見えた。


「少しお話してもよろしいですか?」

「……ファミリアから出て行けって話?」

「違います」


 即答したハルは、静かに玄関のドアを閉めた。緊張と不安で震えてしまう指に気付かれませんように――そんなことを思いながら相手の言葉を待つ。


「妹から話を聞きました。キスしているところを見られるとは、お恥ずかしい限りです」

「……あんなもの見たくなかったよ」

「申し訳ありません。妹と触れ合うのは互いの自室だけと決めているのですが、あのときはどうしてもとせがまれてしまって」


 耳を塞ぎたくなる話だった。

 それでも――ハルの口から本音を聞きたいという気持ちの方が大きい。


「管理人さんも唯花のことが好きなの?」

「そうですね。妹のことを愛しく思っていますよ」

「それは恋愛感情って意味?」


 しばしの間を空けて、ハルは「はい」と答えた。自分が信じたくないだけかもしれないが、彼の本音とは思えなかった。


「管理人さんは……両親のことで傷付いた妹を助けてあげたくて、自分の心に嘘をついてるんじゃないの? ホントは自由な恋愛をしたいけど唯花のために――」

「傷付いた妹を癒す方法なら他にもあるはずでしょう。どんな事情があったとしても、恋愛感情のない相手にキスをしたいとは思いません」


 ハルの言葉があたしの心を抉る。

 こんな痛みは初めてだった。

 誰かを好きになるということは、これほどまでに苦しいものなのか。

 それなら、恋など知らないままの方が良かった。

 しかしこの感情を知ってしまった今となっては手遅れだ。


「あたしに口出しする権利なんかない、それは分かってるつもり。でも……今を逃したらもう二度と言えない気がするから、伝えておきたいことがある」

「何ですか?」

「あたし……管理人さんのこと、いつの間にか好きになってた」


 ハルは眉ひとつ動かさなかった。驚いたようにも、迷惑そうにも、もちろん喜んでいるようにも見えない。ぼんやりしているのではないかと思うほど無表情だ。


「管理人さんは……あたしのことなんか何とも思ってない? ここの住人だから親しくしてるだけ?」


 ハルは答えなかった。

 視線を下に落とし、何かを考えているようにも、何も考えていないようにも見える。気まずい沈黙に耐え切れず、「もういいよ」と口にした。


「管理人さんを困らせたくてこんな話をしたわけじゃない」

「困っているわけではないんです。ただ……僕はいつだって律子さんの味方だと話したのに……何をどう伝えればいいのか……」

「それ、前に湊公園で言ってたことだよね? あれは〝異彩で苦しんでる住人の味方〟って意味でしょ? 今はそういう話をしてるわけじゃない――あたしを傷付けないように言葉を選ぶ必要なんかない。変に気を遣って嘘をつかれる方が嫌だ」


 ハルの目がこちらに向く。

 相変わらず色のない面持ちで、いつもの彼とは別人のように見えた。心苦しさが強くなる。


「律子さんのお気持ちはとても嬉しいですし、二人でお食事する時間が好きと言ったのも本心です。でも、それは恋愛感情とは違う……律子さんは大切な友人です」

「……そっか」

「ですから……律子さんのお気持ちには応えられない。申し訳ありません」


 深々と頭を下げるハルを見たら、ますます胸が痛くなった。好きだと自覚してからあまりにも呆気なく訪れた失恋。たった一言「分かった」と返すのが精いっぱいだった。


 再びハルと視線が交わったとき、彼の表情は仕事モードに切り替わっていた。


「妹としっかり話をして、律子さんに迷惑を掛けないようにさせますから。もう少し時間をください」


 話をしようが何だろうが、管理人兄妹が恋人同士であるという事実は変わらない。

 あたしはこのままファミリアにいてもいいのだろうか。

 出て行くべきなのだろうか――。



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