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【2】



 信行の後ろから「叔父さん」という声が聞こえた。

 無表情のハルがレジカウンターに歩み寄ってくる。


「住人の皆さまに無理強いするのはやめてくれと、あれほど言ったじゃないですか」

「無理強いなんかしちゃいない。まだ律子ちゃんの返事は聞いていないよ」

「彼女は叔父さんの研究材料じゃありません」


 ぴしゃりと言い切ったハルに、信行は驚いたようだ。「珍しいこともあるもんだ」と呟き目を細めている。


「他人のことで、お前さんがそこまで強気に出るとは思わなかった。何かあったのか?」

「何もありませんよ」

「律子ちゃんが大切なお友達になった……ということかな。しかし男女の友情など簡単に成立するものじゃない。大抵はどちらかに恋愛感情があるものだと思うがね」

「それは叔父さんの偏見だと思います」

「そうかい。じゃあお前さんに免じて、ここは引いてあげるよ」


 レジ袋を右手に提げた信行は、ハルの横を通り過ぎる際「あとで俺の部屋に来なさい」と言い残した。ぺたぺたと耳障りなサンダルの足音が遠ざかっていく。二人きりになると、ハルはすぐに「大丈夫ですか?」と訊ねてきた。


「叔父の発言で嫌な気持ちになりませんでしたか?」

「あたしは平気だけど……管理人さんこそ、反抗的な態度を取っちゃって良かったの? あとで怒られるんじゃない?」

「構いませんよ。今の出来事など関係なく、叔父は僕のことを快く思っていないのでしょう」

「……管理人さんはあの人のこと、大事な家族だと思ってる?」


 先ほど信行が言っていたことを踏まえ訊ねてみる。ハルは「えぇ」と微笑した。


「叔父は様々な面で僕を助けてくれていますし、妹のことを大切にしてくれていますからね」

「……それ、あたしが訊いたのとちょっと違う気がする。もっと単純な意味で、ノブおじさんのこと好き?」

「はい。僕は誰も嫌ってなどいませんよ」


 結局、微妙にずれた回答のままだった。信行の心情はともかく、やはりハルは叔父のことを良く思っていない気がする。あまり突っ込まない方がいいかもしれないと考え、話題をそらすことにした。


「発注も納品もないときに顔を出すなんて珍しいね。何か用事?」

「今、各階の通路掃除をしているのですが。日差しが強くなってきたので冷やすものがほしいなと思ったんです」


 ハルは日用品の棚から、肌に貼るタイプの解熱シートを取った。それをレジに通し、コンビニから出ていく。


 その後もいつもどおり接客を行い、午後八時十分に閉店作業が完了。部屋に戻ってすぐ、インターフォンが鳴った。俊介が宅飲みの誘いにでも来たのだろうか。

 ドアスコープから様子を窺うと、玄関前にハルの姿があった。何だろうと思いつつドアを開ける。


「夜分にすみません。少しだけお話してもよろしいですか?」

「別に構わないよ」


 ドアを閉めて玄関のライトを点ける。用件を問うと、ハルは「仕事のことです」と前置きした。


「五日後――週明けの月曜、哲司さんが法事で帰省されるそうなんです。そのまま一週間、ご家族と過ごす時間を取られるとのことで……哲司さんが不在の期間、朝からコンビニの店番をお願いすることはできませんか?」

「あたしはそれでもいいけど、午前中にやってるラベル貼りのバイトはどうするの?」

「律子さんが店番を承諾してくださったら、こちらで都合をつけておきます」

「なら引き受けてもいいよ」

「ありがとうございます。開店は閉店作業を逆から行っていただくだけで大丈夫ですが、分からないことが出てきたら電話してください。それと……あれから叔父に声を掛けられていませんか?」

「異彩のこと?」

「はい。叔父に目を付けられていないかと気になりまして」


 この数ヶ月間、信行はある住人の異彩を調べていたという。それが済んだため新たな素材を欲し、あたしに声を掛けたのだろう――ハルはそう語った。


「ウチには来てないよ」

「コンビニでは頻繁に顔を合わせるでしょう? 異彩を見せろとしつこく言われたら僕に相談してください」

「本当に見せるだけでいいなら、あたしは構わないよ?」

「それで済むという保証はありません」

「さすがに相手の許可なく手を出すことはないでしょ」

「確かに、今のところ住人の方からクレームが入ったことはありませんが……。万が一、何かあってからでは遅いので」


 管理人の身内が住人に迷惑を掛けたとなれば、マンションの運営にも関わるはずだ。ハルが慎重になるのも頷ける。


「用件は以上です。仕事がありますので失礼しますね」

「もう九時だけど?」

「今週はやるべきことがたくさんありまして」


 ハルはワイシャツの胸ポケットから、手のひらサイズの手帳を取り出した。開かれたのは今月のマンスリーページ。正方形のマスに小奇麗な文字がびっしりと並んでいる。


「それ全部一人でやる仕事? 無理してるんじゃないの?」

「そんなことはありませんよ。今週は事務仕事が中心でそれほど体力も必要ありません」

「デスクワークだって疲れるでしょ。管理人さんの場合『時間がもったいない』とか言って、不要なことまで一日に詰め込んでいそうだし」

「……そう、なのかもしれませんね」

「肩こりチェックでもしてあげようか?」

「どういうことです?」

「ウチの母親は事務員なんだけど。忙しい時期は特に、肩や肩甲骨周りがガッチガチになってるんだよね。管理人さんは大丈夫か、チェックしてあげようかなと思ったんだ。もちろん無理強いはしないけど」

「いえ、せっかくいただいた提案ですからお願いしたいです。どうすれば?」

「後ろを向いてくれるだけでいいよ」


 背を向けたハルの両肩に手を伸ばし、ぐっと親指で押してみた。四十代の母さんよりも硬い。肩と言うより骨を触っているかのようだ。肩甲骨周辺も硬く張っている。


「こりゃ重症だね。こんなんじゃ仕事もはかどんないよ」

「そうですか?」

「管理人さんが偏頭痛持ちになったのはこれが原因じゃないの? ノブおじさんに診てもらったとき何か言われなかった?」

「特には。僕自身、肩こりなんて気にしたこともなかったですね。今の状態に慣れているので」

「……十分だけ、ウチに上がっていきなよ」


 こちらに向き直ったハルは「何故です?」と小首を傾げた。


「あたし、子供の頃から母親にマッサージしてあげてたんだ。自分で言うのもなんだけど、今ではプロ並みの腕前じゃないかと思ってる。管理人さんの身体もほぐしてあげるよ」


 仕事を減らしてあげることはできなくても、身体を楽にする手伝いくらいはできる。そう考え提案したのだが、ハルは部屋に上がろうとしなかった。


「もしかして『効果の分からないマッサージを受ける時間は無駄』とか思ってる?」

「いえ、そうではなく……。女性の部屋でマッサージしてもらうというのは、少し気恥ずかしいと言いますか」

「――は!? ちょっと、変な勘違いしないでよ!?」


 そんなふうに受け取られるなんて考えもしなかったため、あたしまで恥ずかしくなってきた。なんだか居心地が悪い。


「あたしは管理人さんを楽にしてあげたいと思っただけで、触りたいとか思ってるわけじゃないからね?」

「分かっています、すみません。では……少しだけお願いしてもいいですか?」

「……了解。効果を実感してもらえるよう頑張るよ」



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