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【Episode6】
ハルの〝お礼〟を二日後に控えた水曜の午後。コンビニで商品を補充していると、二十代半ばくらいの女性が入ってきた。黒ベースのワンピース、足元はゴールドのミュール。茶色いロングヘアの先はくるんと巻かれており、耳元でパールのイヤリングが揺れている。初めて見る女性……のはずだが、どことなく既視感があった。
「律子ちゃん、お久しぶりですねぇ」
「え……もしかして杏子さん?」
彼女は「そうなのであります!」と言いながら、長い巻き髪をさらりとアピールした。二週間ほど前に会ったときはボブヘアだったため、おそらくウィッグだろう。黒縁眼鏡もなくなっており、綺麗にメイクを施している。
「一体どうしちゃったんですか? 別人みたい」
「イメチェンに挑戦してみました。どうです、このツヤツヤの髪」
「それは似合ってると思うけど……。杏子さん、『自分はお洒落しない』みたいなこと言ってませんでした? いつもダサい柄のTシャツ着てましたよね」
「〝ダサい〟は余計です!」
すみません、と返す。
杏子は「ふへへ」とだらしなく笑った。
「実は私、顔がコンプレックスなんですよね。着飾ったところで男の子に見向きもされない、それどころか〝痛々しい勘違い女〟って思われそうで怖かったんですけど……。以前お買い物に行く途中、『お洒落してみなさい』という声が聞こえた気がしまして」
「それ、杏子さんの異彩……動物の声が聞こえたってこと?」
「はいっ。たぶん野良猫ちゃんだと思うんですけど、どの子が言ってくれたのか分からなかったのです」
もしかしたら聞き間違いかもしれない。それでも「動物が背中を押してくれたんだ」と考え、思い切って自分の理想を表現してみた――杏子は照れくさそうにそう教えてくれた。
「それでですね、今日初めてナンパされちゃったのですよ。俊介くん以外でデートのお誘いを受けたのは初めてでした」
「まったくもう……。あの人は本気じゃないから、真に受けちゃダメですよ?」
「もちろん、俊介くんに下心がないのは分かってます。でも街でナンパされるなんてビックリして、嬉しくて舞い上がってしまいまして。連絡先を交換してみました」
「そっか。楽しそうで何よりだけど、変な奴には気を付けてくださいね?」
杏子は「はーい」と返事をし、コンビニの奥へ向かった。スポ恋限定パッケージのスポーツドリンクを購入し、コンビニから出ていく。
入れ替わるようにして信行が入店した。彼は杏子が去っていくのを見ていたようだ。ニタリと不気味な笑みを浮かべた。
「あの子、杏子ちゃんだよな。また随分と綺麗になったねぇ。良い女だ」
「……杏子さんのこと、いやらしい目で見ないでくださいよ?」
「邪な考えはないよ。恋人にするには若すぎる」
信行がレジに持ってきたものは牛乳パックと菓子パンひとつ。会計を済ませたところで声を掛けられた。
「相変わらずハルと親しくしているみたいだね」
「別に親しいってほどでもないです。好きな食べ物が似ていて話が合うだけ」
「逆に唯花とは仲良くしづらかったかな? お前さんとは全然雰囲気の違う子だからね」
「……ノブおじさん、管理人兄妹の予定を全部把握してるんですよね? あたし、先週唯花と会いましたけど」
「あぁ……そういや、唯花がお前さんをお茶に誘ったと言っていたか」
「そういうことです。管理人さんだけ特別扱いして会ってるわけじゃありません」
信行は素っ気なく「そうか」と呟いた。
彼の視線はあたしの左目に向けられている気がする。
「律子ちゃんは何が楽しくて日々を生きているんだい?」
「……〝生きる意味〟ってやつですか? そんなの考えたこともないですね。ただ毎日を平穏に過ごすだけでいっぱいいっぱいなので」
「それじゃあ、ヒトは好きかい?」
「〝人間〟という括りなら答えはNOですね。母さんのことは信じてますけど」
「お前さんにとって大事なのは母親……か」
意味深な物言いだった。
そもそも何故「人が好きか」などと訊ねられたのか分からない。「何が言いたいんですか?」と質問を返した。
「〝家族であっても他人〟とは考えないのかい?」
「それ……管理人兄妹が所詮〝他人の子〟って言ってるんですか?」
「そういうわけじゃないさ。俺はただ、自分以外の人間はみな他人と考えているだけだよ」
他人というのは、どう足掻いても他人でしかない。
自分がどんなに想っていても、相手の心は勝手に離れていく。
自分がどんなに期待しても、相手がそれに応えてくれるとは限らない。
窮地を救ってなどくれない。
庇ってもくれない――。
「だから俺は〝他人を信じない・期待しない〟というのが、もっとも賢い対人関係の築き方だと思うんだよ。多少なりとも生きることが楽になる」
「……ノブおじさんの言いたいことは分かるって言うか、あたしも似た考えを持ってますけど。でも……他人を全く信じないとか人に期待しないとか、それは極端かなって気がします。ノブおじさん、人間関係にトラウマでもあるんですか?」
「トラウマなんてものはないよ。ただ、人間は生まれた瞬間から不平等だと虚しく感じたことはあるね」
「……不平等?」
「犯罪者やヒトを貶めるような人間がのうのうと生きていて、真面目に生きている人間が突然の病に倒れたり事故に遭ったりするだろう? 世界なんてものはどうしようもなく理不尽で狂っているのさ」
亡くなった管理人兄妹の母親の件だろうか。突然こんな話を始めた意図も分からないまま。問いただそうと思ったが、先に信行が口を開いた。
「実は律子ちゃんに頼みがあるんだ」
「……頼み?」
「あぁ。お前さんの異彩を調べさせてくれないか?」
唐突な申し出に戸惑う。「いきなり何なんですか?」と問い返すと、信行は無精ひげをさすりながら微笑んだ。
「以前、俺は医療従事者だって話をしただろう? ぜひお前さんの不思議な左目を調べてみたいんだ」
「具体的に何をするんですか?」
「そうだねぇ……。まずは裸眼を見せてもらうこと、いくつか質問させてもらうことくらいでいいかな。いずれ踏み込んだ検査もさせてくれればありがたいが、そのへんはお前さんの気持ち次第だね」




