【2】
ストラップを取り外して駐車場に戻ると、植え込みの隙間を覗いていたハルに声を掛けた。「見付かったよ」と言いながら差し出す。彼の顔が分かりやすく輝いた。
「ありがとうございます」
「お礼なら、見付けやすい場所に吊るしてくれた誰かに言わないとね」
「それもそうですが、ここに来ることを提案してくれたのは律子さんです。本当に見付かるとは思いませんでした。探してみるものですね」
先ほど「時間の無駄」と澄まし顔で言っていた人間とは思えないくらい無邪気に喜んでいる。少し呆れてしまった。
「まったく、嬉しそうな顔しちゃって」
「……すみません。律子さんに手間を掛けさせてしまったのに」
「責めたわけじゃないよ。そんなに大事なら、意地を張らずに最初から探しに行けばいいってこと」
ハルの言うとおり、人間はいつ死ぬか分からない。病気をせず元気に過ごしていても、数時間後に事故で命を落としてしまう……なんて可能性があるのも事実。しかしその可能性に囚われて〝今この瞬間〟を見失ったら、楽しいことも見逃してしまうのではないか。
時には最悪の事態を想定しておく必要もあるのだろうが、そのせいで今現在が不安定になるくらいなら、先のことなど考えない方がいい気がする。
ファミリアへ戻ると、あたしはコンビニの仕事へ。店番を代わってくれた俊介とハルは、二人で事務所の方へ去っていった。ストラップの件を報告しつつお茶するとのことだ。
午後八時過ぎ。
コンビニの閉店作業を行ってから通路に出ると、飲食ブースから話し声が聞こえてきた。「僕が好きなのはこれですね」という、丁寧で穏やかな口調。目を向けると、予想どおりハルの姿があった。
そしてもう一人、マスクを着けた短髪の男――哲司がジュースを購入している。コンビニ以外で二人が一緒にいるのを見たのは初めてだ。あたしに気付いたハルは「お疲れ様です」と会釈した。
「律子さんもいかがですか、お仕事後の一杯。ご馳走しますよ」
「あたしはいいよ。それより、今日は哲司さんと二人でお出掛け?」
「さっきまで俊介さんの部屋にいたんです」
「……なんか意外な組み合わせだね。三人仲良しだったんだ」
「えぇ。俊介さんいわく、今日から〝三人親友同盟〟だそうです」
ね、と哲司に同意を求めるハル。
哲司は缶ジュースを両手に握り締め、小さく頷いた。
「あの、ぼく、コンビニで働き始めてから、ほんの少しだけ、人見知りを克服できた気がしてきて……。だから勇気を出して、もう一歩踏み出したいと思って……ぼくも、誰かに異彩を打ち明けてみようと考えたんだ。でも、一人じゃ不安だったから、ハルくんにお付き合いしてもらって……」
「それで俊介に話したんですね」
「うん。俊介くんは、ぼくがファミリアに来てから、初めて話をした住人さんで……。コンビニで働く前は、ハルくんと俊介くん……それから、その、あ、杏子ちゃん……」
「杏子さんとはたまにアニメを見るんでしょ? 前に本人から聞きました」
「……そう、なんだ」
「何か問題でも?」
「あ、えっと、何でもない。ボク、自分から人に話し掛けることができないから……コンビニで働く前は、三人しか話せる人がいなかったんだ」
「最初は俊介のこと『鬱陶しい奴』って思いませんでした?」
「いや、その、まぁ、いろいろ思うところはあったけど……。異彩を話すこともできて、今では少し歳の離れた弟みたいに思ってるよ」
「……弟?」
そういえば哲司の年齢は聞いたことがない。これを機に訊ねてみると、彼は三十四歳――俊介より六つも上だった。目元の雰囲気や言動から二十代と考えていたが、顔全体が見えないと年齢は予想しにくい。
「それで、その、律子さんもコンビニの仕事仲間だから。できれば異彩の件を話したい、かも」
「あたしも聞いちゃっていいんですか?」
「う、うん、迷惑じゃないなら……」
「大丈夫ですよ。正直ちょっと気になってたし」
「ここで話すのは目立つから……図書室に移動してもいい? あ、でも、二人きりはちょっと不安だから。ハルくんも、できれば付いてきてほしいんだけど……」
ハルは「一緒にいますよ」と微笑し、図書室へ案内してくれた。
初めて踏み込む図書室はコンビニと同じくらいの広さだった。入口からは本棚に隠れて見えない箇所――部屋の奥に四人掛けのテーブルが一卓設置されている。哲司とハルは隣同士に、あたしは哲司の前に腰を下ろした。
「えっと、それじゃあ……本題に入らせてもらうね。律子さんは〝死刑執行吏〟を知ってる?」
「死刑を執行する人のことですよね?」
「うん。遥か昔のヨーロッパにおいて、死刑執行吏は人々から差別され孤立し、疎まれた存在だった。たとえ他の職業に就こうとしても、素性がバレたらクビ。同族同士で集まるしかなく、死刑執行吏の家系が生まれる……いわゆる世襲制だったんだ」
突然世界史の授業が始まったかのようで混乱してきた。哲司はあたしの困惑を悟っているのかいないのか、訥々と話を進めていく。
「一五〇〇年頃、フランスにエリザベート=アンリという女性がいた。彼女は死刑執行吏の家系に生まれたから、当然のようにその職に就いたんだけど――」
死刑執行吏は〝仕事〟とはいえ人を殺めなければならない。世襲制である以上、やりたくないのにやらざるをえなかった人も多数いただろう。
しかし、エリザベート=アンリは違った。自ら処刑方法を考案したり、罪人の拷問に好んで立ち会ったりすることもあったという。残虐な拷問現場を見て、罪人の悲鳴に高笑いするなんてことも……。
人々から蔑まれ、疎まれ続けた結果、心が壊れてしまったのか。
それとも彼女自身の性だったのか。
知る者は誰もいない――はずだった。
哲司は知っている。
エリザベート=アンリの狂気が生まれつきのものだったということを。
「何故なら、エリザベート=アンリの魂がぼくに宿っているから」
「要するに哲司さんは、その死刑執行人の生まれ変わり? 前世ってやつ?」
「そうじゃないよ。ただ、エリザベートの記憶を持ってるだけ。二重人格みたいに、別人として分離することはないけど……だから、ぼくには、拷問や処刑シーンの記憶が鮮明にあるんだ。人の首が落ちるところとか、身体が真っ二つになるところとか……」
「そりゃキツイですね」
「ただ記憶があるだけならマシだったと思う」
「他に困ることがあるんですか?」
「エリザベートの魂が宿っているせいで、ぼくは昔から、残虐なものやグロテスクなものを見ると、笑いが止まらなくなってしまうんだ。誰かが血を流しているところとか、車に撥ねられた動物の死骸とか……楽しくてたまらないんだ。最低だよね」
「全部エリザベートのせいなんでしょう? 仕方ないですよ」
「ずっと『人や動物の不幸を笑っちゃいけない、ぼくはそんな酷い人間じゃない』と言い聞かせてきたけど……どうしても変えられないんだ」
「……もしかして。哲司さんが常にマスクをしてるのは、表情を隠すため?」
「うん。いつどんな場面に遭遇するか分からないし、自分の意思で制御できるものでもないから……傷付いた人を見て笑うなんて狂気的な姿を、誰かに見られるわけにはいかないから。だからぼくは、人との接触をできるだけ避けてきた。学生時代も、いつも独りで絵を描いてたんだ。ぼくみたいな心の醜い人間、クラスメイトの会話に入ってはいけないと思って」
〝心が醜い〟と言うが、哲司は残虐なものを見て喜ぶ自分を苦に思っている。それは彼自身の心が美しい証拠ではないだろうか。




