【3】
ふっと、ハルの表情が柔らかくなる。
あまりにも無垢な彼の笑顔を見ていたら、全身がむず痒くなってきた。
「何なの、その大袈裟なセリフ。ドラマか何かの受け売り?」
「恋愛やヒューマンドラマ系はほとんど見ませんね。推理ものは好きなんですけど」
「そういうことを言ってるんじゃなくて……。管理人さんは常に、全住人の味方ってことでしょ? それだけで充分伝わるんだから、あたしの名前を個別に入れないでよ。小恥ずかしい」
「すみません。しかし俊介さんに限らず、恋愛を諦める必要はないと思いますよ。異彩者同士でお付き合いすることもできるはずですから」
ファミリアは出会いの場にもなっているらしい。異彩者同士で愛を育み、結婚を機に退去した者たちもいるそうだ。ファミリアに入居するまで〝異質なのは自分だけ〟と考えていたため、同じ境遇の人間と恋をするなんて考えたこともなかった。
「そういう管理人さんは? ファミリア内に好きな人がいるの?」
「こういった場所で静かにデートするのもいいかもしれませんね」
「……はぐらかしたね?」
ハルは「どうでしょう」と小首を傾げた。
俊介のように、密かに片想いしている相手がいるのかもしれない。
「もし……仮に、だよ? お互い恋人ができたら……ここに来る? 経験したことがないからよく分かんないけど、ダブルデートとかいうやつ」
少し間を空けて「そうですね」と返ってきた。
「では律子さんに愛しい相手が見付かったら教えてください。ダブルデートしましょう」
「分かった、約束ね。ま、そんな日は永遠にこないだろうけど」
「そんなことを言ったら約束した意味がないですよ?」
呆れたように言ったハルは、スラックスからスマホを抜き取った。白く光るディスプレイに目を細めている。
「もう十時ですね。帰りましょうか」
「そだね。管理人さんのおかげで良いものを見ることができたよ」
「喜んでいただけたなら良かったです。寄ったかいがありました」
車でファミリアへ戻る途中、恋愛に発展したという異彩者について訊いてみた。ハルが認識しているだけでも交際した、もしくは結婚したのが三組。自分が聞いていないだけで、他に交際している住人もいた(いる)かもしれないとのことだ。
「こういった件に関しては俊介さんの方が詳しいでしょうね。彼は頻繁に、住人の方を誘って遊びに出掛けているようですから」
「遊び……か。管理人さんはそういうのと無縁そうだよね。仕事ばっかしてるイメージ」
「そんなことはありませんよ。住人の皆さまと他愛のないお話をするのも好きですし、律子さんと激辛のお店を回るのも楽しいです」
「それは……あたしも楽しみにしてるよ」
ファミリアへ到着しエントランスに入ると、エレベーターの上ボタンを押した。ハルとともに上階からエレベーターが下りてくるのを待つ。
「――律子さん」
「何?」
「これまで訊ねる機会を逃していたのですが。あなたの異彩、僕に見せていただくことはできますか?」
住人の異彩に踏み込むのは不躾だと思っていたのだろうか。しかし彼は出会った当初からあたしの異彩を知っている。見せることに抵抗もない。
「コンタクトケースは部屋に置いてあるから。寄ってく?」
「こんな時間にお邪魔してもいいのですか?」
「どうせお風呂の前にコンタクトを外すから。俊介なんか、引っ越し当日に堂々と訪ねてきたよ?」
そういうことなら、と答えたハルとともに自分の部屋へ。ローテーブルの前に彼を促すと、コンタクトケースを用意し、レンズを外した。正面に座るハルは何を言うでもなく、無表情であたしの左目を凝視している。
これまで数々の異彩を見てきたであろう彼なら、あたしのことも平然と受け入れてくれると思い込んでいたが……沈黙している様子を見て不安に駆られた。ハルに〝気味が悪い〟という印象を植え付けてしまうのは嫌だ。
「ごめん、すぐに隠すよ」
「何故ですか?」
「だって気持ち悪いでしょ、こんなの」
コンタクトレンズに伸ばす指が、自分の意思と裏腹に震えてしまう。もたもたしているうちに、「そのままでいてください」という穏やかな声が聞こえた。赤い眼のままハルに視線を戻す。
「律子さんの瞳、とても綺麗ですよ。ルビーのように美しいです」
「……物は言いようだね。こんな血の色をした眼を宝石にたとえるなんて」
「本当に美しいと思いますよ」
見つめ合う形になり、気恥ずかしさが込み上げてきた。どくどくと脈打つ心臓が煩わしい。それでも何故か、目線をそらすことができなかった。ハルの方も静止している――が、ふいに彼の右腕が動いた。側頭部を押さえ瞼を閉じている。
「どうかしたの?」
「大したことではありません。少し目がチカッとしただけです」
「大丈夫?」
はい、と答えたハルは目を開けた。
頭を押さえていた腕も下ろしている。
「実は僕、偏頭痛持ちなんですよ。その前兆で目がチカチカすることがあるんです」
「そうだったんだ。病院には行ってるの?」
「いえ。叔父に診てもらって、特に問題ないと言われましたから」
「それならいいけど……。さっきのが偏頭痛の前兆だっていうなら、これから痛みが出るってことだよね?」
「そうなるでしょうね。今日は早めに寝ます。律子さんも身体には気を付けてくださいね」
「あたしは左目がおかしいこと以外、いたって健康体だと思うから平気。管理人さんこそ無理は禁物だよ?」
えぇ、と答えて立ち上がったハルを玄関まで見送る。ドアノブに手を掛けたところで彼は振り返った。
「左目、見せてくださってありがとうございました」
「お礼なんていらないよ。律儀だね」
「でも、何と言いますか……これまでよりも律子さんの存在を身近に感じる気がします。異彩を見せていただいたからでしょうか」
「……管理人さんの異彩はまだ知らないけどね」
「それもそうですね。当ててくださる日を待っています」
「やっぱり教えてはくれないんだ。もちろん無理強いしようなんて考えないけど」
「すみません。……叔父の許可がないと、僕の口からは」
そういえばファミリアに入居した頃、俊介が話してくれた――「ハルは異彩を他言しないよう、ノブおじさんに止められている様子だ」と。それは事実だったようだ。
「じゃあひとつだけ質問してもいい?」
「異彩の内容に関すること以外でしたら何でも」
「ノブおじさんが何て言うかはさておき、管理人さん自身は、ここの住人に異彩のことを話したいと思う?」
「……どうでしょうね」
「何なの、その曖昧な感じ」
「叔父が決めたことに口出ししようとは思えないと言いますか……。すみません」
「別に謝らなくていいけどさ。……っていうか引き止めちゃってごめん。偏頭痛が始まったら大変だよね」
「お気遣いありがとうございます。では、おやすみなさい」
ハルは力ない笑みを浮かべて一礼し、ドアを閉めた。
これまで、ハルは信行のことが苦手なのかもしれないと思っていた。それは二人の関係性よりも異彩に影響している――まさか信行に脅迫されているとか? 苦手意識と言うより恐怖心がある?
仮に「絶対他言するな」と念を押されるような異彩だとしたら……一体何だろう。




