【2】
バイト先へ向かう前に、俊介のことをハルに話しておこう。エレベーターで一階フロアへ下り、事務所のドアをノックして開けた。パソコンの前に座っているハルに歩み寄りつつ「俊介が戻ってきたね」と声を掛ける。
「僕は大方の事情を伺いました。律子さんは?」
「さっき聞かせてもらったとこ」
「そうでしたか。では僕からお伝えすることもありませんね」
ハルは仕事にキリをつけるところだったらしく、一緒に事務所を出た。彼と逆方向へ歩き出そうとしたところで呼び止められる。
「こんな時間からお出掛けですか?」
「うん。スケジュール手帳をバイト先に忘れちゃったんだよ」
「歩いて行かれるのですか?」
「まだバスがある時間だからね。帰りはタクシーを使うことになるかもしれないけど」
「それなら僕が車を出しますよ。バス停まで五分程度とはいえ、女性一人で夜道を歩くのは危ないと思います」
「あたし、女扱いされるようなキャラでもないんだけど……。まぁいいや、お願いするよ」
ハルとは何度も食事に行っているため、彼の車の助手席にも慣れてきた。しかし今回はあたしの用事に付き合わせるだけ。ありがたい気持ち半分、申し訳ない気持ち半分といったところだ。
「管理人さんがプライベートでも仲良くしてる住人はいるの?」
「皆さん親しくさせていただいていますよ。食事のお誘いを受けて出掛けることもあります」
「住人以外で付き合いのある人は?」
「取引関係の方くらいですが。どうしてそんなことを訊くんですか?」
「あたしを美味しい店に案内してくれたり、こうして忘れ物に付き合ってくれたりしてるけど、それは管理人としての仕事の一環でしょ? そうじゃなくて、いわゆる〝友達〟はいるのかなと思ってさ」
「律子さんとお食事する時間は〝仕事の一環〟ではないですよ。僕が行きたいから行くんです」
思いがけない返答に面食らってしまった。ハルは管理人として、住人を気遣って行動しているだけだと思っていたから。
「自分の意思を抑えなければならないときもありますからね。そうでない時間は、自分の意思を優先して過ごしたいと考えているんです」
「……そっか。管理人さんにとっては家が職場みたいなものだから、常に気を遣ってたら身が持たないよね」
「身が持たない、なんてことはありませんが。律子さんに限らず、住人の皆さまと過ごす時間は僕自身の希望で作っているものです。引け目を感じる必要はありませんよ」
あたしの忘れ物に付き合うことも、仕事と切り離した行為だったのだろうか。奇特な性格だなと思いつつ「分かったよ」と返した。
工場の裏口に車を停めてもらうと、急いでロッカールームへ行き、スケジュール手帳を確保した。それをショルダーバッグにしまい、再びハルの車へ。
金曜の夜ということもあり、市街の交通量は多い。ハルはそれを避け、住宅街方面へとハンドルを切った。穏やかな夜が広がる中、赤信号に引っ掛かる。そこで妙に明るい区画が目に付いた。
「あそこ、光ってない?」
「湊公園の入口ですね。何の変哲もない広場同然の公園ですが、敷地中央にイルミネーションツリーがあって、このあたりでは有名なSNS映えスポットらしいですよ。ライトアップされているのは金・土・日だけですけどね」
イルミネーションと言うと冬のイメージがあるが、夏真っ盛りのこんな時期にも行われているんだ――そんな感想を述べると、ハルは「興味がおありなら寄っていきましょうか?」と訊ねてきた。
「いや、前を通るだけでいいよ。ちらっと見えるでしょ?」
「それではあっという間に終わってしまいますよ。湊公園には小さな駐車場があったはずですから、そこに停めましょう」
信号が青に変わり、《湊公園》と書かれた敷地に入る。駐車スペースは全部で五台分あるものの、一ヶ所しか空いていなかった。そこに車を停めて外に出る。
ハルが言っていたとおり、湊公園は本当にただの広場だった。長方形の敷地中央に巨大なイルミネーションツリーが立っており、色とりどりの光を放っている。まるで時季外れのクリスマスツリーだ。周囲にはちらほらとカップルらしき姿がある。ツリーの傍で写真を撮る男女を後方から眺め、溜め息をついた。
「これじゃ、あたしたちまでカップルに間違われそうだね」
「僕は気になりませんが。律子さんは不快に思いますか?」
「……別に不快なんて思わないよ」
あたしたちは自然と、ひとけのない方へ歩き出した。ツリーから離れたものの全体像を見渡すことができる。電飾はチカチカと点滅しており、カラフルな星空を見ている気分だ。夏のイルミネーションも悪くない。
ふいに隣から名前を呼ばれた。
顔を向けたが、ハルの視線はツリーに注がれている。
「律子さんは誰かとお付き合いしたことがありますか?」
「あるわけないでしょ。……これから先も一生ないだろうね。アレのことがバレたら、気持ち悪いって逃げられるのがオチだよ」
「俊介さんのことを気にしているのですか?」
「そういうわけじゃないけど……。ただ、普通の人間には受け入れられないんだろうなって思うだけ」
「僕たちは異分子ですからね」
「……あっさり言うんだね。しんどいとか悔しいとか思わないの?」
もやもやした気持ちで投げかけると、ハルの目がこちらに向いた。彼の瞳はツリーの光を僅かに宿しているが、表情に笑みはない。
「僕は入居案内の手紙に〝異分子〟と表記してきた――突然そんなことを言われ、不快に思った異彩者の方もいるでしょう。しかし僕たちは、自分が異質だと自覚しておく必要があると思うんです」
「何で?」
「異彩者の中には『自分だって普通の人間だ。差別するのはおかしい。個性を認めてくれ』と主張する人もいます。その気持ちはもちろん理解できますが、逆に〝異分子を認められない人々〟のことも認めてあげなければならないと思うんです」
「……認められない人を、認める?」
「異分子として生きていると『自分のことを理解してくれない人は冷徹だ、間違っている』という思考になりがちです。そして『何故受け入れてくれないんだ』と落胆や怒りを抱くのでしょう。しかし、人にはそれぞれの価値観がある。僕たちが『受け入れてほしい』と願う以上、相手の『受け入れられない』という願いも聞き入れるべきだと考えます。そして、相手が自分と違う意見だったとしても攻撃しない――これは異彩に関すること以外にも言えますが」
「管理人さんの意見は分かった。でもあたしは……やっぱり『みんなに理解してほしい、否定も拒絶もしないでくれ』って思っちゃうよ。あたしは望んでこんな身体に生まれたわけじゃない、ただ普通に生きてるだけなのに……避けられるのはしんどい。もちろん、その本音を相手に伝えるかどうかは別としてね」
「僕はあくまで自分の考えを述べただけです。律子さんには律子さんの価値観があり、変える必要などなく、間違ってもいませんよ」
「……そう?」
「えぇ。でも事実、全員の意見が一致することなどありえないんです。認めてほしいと思えば思うほど辛くなるはず。だから僕は『全員に認めてもらえなくていい、分かり合えなくていい。ただ攻撃しあわなければ、それでいい』という考えに至りました」
「攻撃しあわなければいい……か。まぁあたしだって、いじめに遭わなければこんな人生じゃなかっただろうね」
「ファミリアに住む今も苦しいですか? どこかで嫌がらせを?」
「そうじゃないよ。ただ……ふとしたきっかけで過去を思い出すこともあるから」
「大丈夫ですよ」
「……さっきと同じ、あっさりした返事だね。過去という呪縛――大丈夫じゃないから苦しむのに」
「すみません、言葉足らずでしたね。大丈夫というのは『僕がついている』という意味です。住人の皆さまが誰かに拒絶されて苦しんだとしても、ファミリアの外で孤独に苛まれたとしても、僕は皆さまの味方です。その気持ちだけは絶対に揺らぎません。律子さんのことも全力でお守りしますから、いつでも僕を頼ってください」




