【3】
やがてミートスパゲティが運ばれてきた。真っ赤なミートソースがパスタを覆い隠しており、その上に粉チーズとみじん切りパセリが乗っている。まずはソースだけ味わってみようと、スプーンですくって口に運んだ。舌にピリッと刺激が走る。
「これはなかなか……」
「食べられそうですか?」
「うん、美味しいよ。ただ辛いだけじゃなくて、牛肉の風味がしっかり生きてる。人気が出るのも分かる味だね」
ハルは「でしょう?」と目を輝かせ、フォークにパスタを巻き付けた。あたしもソースとパスタを絡め、改めて味わってみる。やはり美味しい。個人的には汗をかくくらいの辛さで食べごたえがあった。
「管理人さんは涼しい顔してるね」
「僕は余裕です。律子さんも相当な激辛マニアですね。この美味しさを共有できる住人の方がいらっしゃるとは思いませんでした」
「それを言うならあたしも。母さんが辛いのダメだから、いつも一人だった」
「有意義ですね、好きなものを一緒に味わう時間というのも」
「……そだね」
「実は、もう少し足を伸ばしたところにもいいお店があるんです。律子さんさえ良ければ、今度はそちらへ行きませんか? そのお店はオリジナルの激辛ソースを作っていて、ハンバーグやチキンステーキにかけて食べると美味しいんですよ。僕としては激辛ソースだけで売ってほしいくらいです」
いつになく饒舌なハル。
普段あたしに見せる、取って付けたような営業スマイルとは違う。唯花と接しているときに見せる、お兄ちゃんらしい表情とも違う。まるで無邪気な子供だ。
「管理人さんも、そんなふうに笑ったりするんだね」
「……申し訳ありません。一人で子供みたいにはしゃいでしまって、恥ずかしいですね」
「悪い意味で言ったんじゃないよ。管理人さん、いつもビジネスオーラ全開で接してくるから。今の方が自然体っていうか……普段はそんな感じなのかなと思っただけ」
「それは律子さんも同じです」
「……あたし?」
「律子さんは普段、あまり笑わないじゃないですか。でも先ほどパスタを食べているときは幸せそうでした」
「どうせあたしは不愛想ですよ」
「貶したわけではありません。激辛料理を一緒に楽しめて嬉しかったんです」
「じゃあ……管理人さんお勧めの店、また案内してくれる?」
ぜひ行きましょう――という返事から一週間後、オリジナル激辛ソースが有名だという店に食事へ行った。ハルから紙袋を手渡されたのは、その夜ファミリアへ戻ったときのこと。袋を広げてみると、お菓子や缶詰がいくつも入っていた。
「これは何?」
「激辛商品です。近場のスーパーやコンビニでは売っていないものを集めました」
「確かに見たことないものばかりだけど……全部もらっちゃっていいの?」
「もちろんです。どれも僕のお気に入りなんですよ」
「なんだか申し訳ないね。あたしも何か用意した方がいい?」
「自分と味覚の近い方に出会えたことが嬉しくて、一方的に用意しただけですから。お返しはいらないので、また別の激辛料理にお付き合いいただけると嬉しいです」
そのくらいならお安い御用だ。数日後には別のお店へ、さらに翌週も――そうしてハルと食事を重ねていくうちに、ファミリアへの入居から約二ヶ月が経過した。
あたしの生活は何の問題もない。
むしろ「ハルと激辛料理を食べる」という新たな楽しみができた。
――しかし。
少し前から引っ掛かっていることがある。
俊介が未だ帰ってこないのだ。
最後に彼と会った日から一ヶ月以上経過している。
俊介は「地元へ行く」と言っていたが、それが一ヶ月以上にも及ぶとは思わなかった。「長期間マンションを離れるわけではない」という発言から、勝手に一~二週間程度だろうと考えていたのだ。
ハルには「やりたいことがある」と告げてコンビニを辞めたようだが、それに関係しているのだろうか。退去に向けて話が進んでいる可能性も……?
コンビニの閉店後、事務所を訪れた。
パソコンの前で作業していたハルが「どうかなさいましたか」と言いながら立ち上がる。
「俊介のことだけど。もう一ヶ月以上、部屋に帰ってないよね?」
「確かにそうですね」
「その反応だと退去する予定ってわけじゃないんだ」
「そんなお話はありませんよ。特に連絡もありませんが、律子さんは彼と連絡先を交換していないのですか?」
「あたしは管理人兄妹と杏子さんにしか教えてないよ」
「そうですか。俊介さんの様子が気になるのであれば、僕から電話してみますが」
「じゃあ……一応お願いしてもいい?」
頷いたハルはスーツジャケットからスマホを取り出し、電話を掛け始めた。ハルのスマホの横では、唯花が手作りしたというストラップがキラキラと揺れている。その様を眺めながらじっと応答を待ったが――やがて留守番電話サービスに切り替わったようだ。ハルが伝言を入れ、通話を終了する。
「俊介さんから折り返しがありましたら、律子さんにも連絡しますね」
「手間を掛けて悪いね」
「構いませんよ。住人の皆さまの困り事に対応するのは僕の仕事ですから」
「あの人がいなくて困ってるわけじゃないけどね」
ただ、唐突にいなくなってしまったようで引っ掛かるものがあった。何の問題も起きていなければいいのだが……。
そんなあたしの思考を遮るようにドアの開く音がした。事務所に入ってきたのは白衣姿の信行。彼はあたしを見て溜め息をついた。
「また律子ちゃんか」
「また、って何ですか?」
「最近ハルと食事に行っているようだね」
「……そうですけど」
「既に六回もお出掛けしているようだが、他の住人ともそのくらい頻繁に交流しているのかい? それともハルが特別な存在なのかな?」
何度食事に行ったかなんてあたしでも数えていないのに、何故信行が把握しているのか。ハルに目を向けると、彼はスマホをポケットにしまいつつ口を開いた。
「今日は律子さんと食事に行くわけではありませんよ? 住人の方のことで話をしていただけです」
「そうかい。じゃあ俺の用事に付き合ってくれるか?」
「分かりました。後ほど部屋に伺います」
「待ってるよ」と言った信行の視線があたしに移る。
「辛いものを食べすぎると胃に負担が掛かるからね。余計な世話かもしれないが、ほどほどにしておいた方が良いよ」
ひらりと右手を挙げた信行が事務所を出ていく。あたしは信行からの質問に答えなかったが、そこに関して突っ込まれることはなかった。それより気になるのは――。
「管理人さん、いちいちノブおじさんに報告してるの? いつ誰とどこに行くって」
「はい。叔父は僕と妹のスケジュールを全て把握しています」
「過保護っていうか……過干渉ってやつ? 鬱陶しくない?」
「気にしたことはありませんね。叔父と言ってももう父親みたいな存在ですから、そんなものでしょう」
他所の親はそういうものなのだろうか。あたしは母さんにそこまで強制されたことなどない。仮に事細かく報告しなければならないとなったら嫌だが。
「……別にあたし、管理人さんを贔屓してるとかじゃないからね? いちいち他人に報告しないだけで、この前は唯花とカフェに行った。あの子のお勧めケーキを食べに」
「妹から話は聞いていますよ。妹は激甘、僕は激辛――真逆ですが、今後もお誘いして構いませんか?」
「あたしはどっちもイケる口だから。ノブおじさんに止められないならいつでも付き合うよ」
「止められることなどありません。叔父はただ、僕の行動を知っておきたいだけのことですから」
やっぱり変わってると思う、という本音は口に出さずにおいた。月下家は両親不在の環境だから、母子家庭で育ったあたしには理解できないこともあるだろう。




