【3】
「あたしは……左目が血の色をしてるんです。普段は特殊なコンタクトレンズで隠してるけど」
杏子は「ほほう」と呟きながらあたしの左目を凝視した。角度を変えたり目を細めたりしているが、コンタクトレンズをしている限り赤さが見えることはない。
「律子ちゃんの異彩、見せてもらうことは?」
「どうしてもって言うなら見せてもいいですけど……ここではちょっと。外したレンズはすぐ保存液に浸さなきゃいけないから」
「それじゃあまたの機会にウチへ遊びに来てください」
杏子はジャージのポケットから財布を取り出した。そこからレシートを抜き、レジカウンターの上に置いてあるペンで電話番号を書く。
「暇ができたらいつでも連絡してください。作業に集中してることが多くて気付かないかもしれないですけど」
「〝作業〟って何ですか?」
「あ、私、いわゆるアニヲタでして。親の援助半分、自作のコスプレ衣装や小物を販売して半分……という感じで生計を立てているのです。律子ちゃんにも何か作りましょうか? お仲間さんは材料費だけでオッケーですよ」
「あたしはコスプレしないから」
「コスプレグッズじゃなくてもいいですよ? 唯花ちゃんにヘッドドレスを作ってあげたこともありますから」
「ヘッドドレス?」
「ロリィタさんが頭に着ける、リボンで結ぶタイプのカチューシャです。しかし律子ちゃんは格好いい系の女性ですからねぇ。コウモリモチーフのチョーカーとかが似合いそうです」
「っていうか、あなたがファッション好きってのも意外ですね。その格好、お洒落っぽさゼロですけど」
「私は作ることに快感を覚えるタチでして……自分を着飾ろうとは思わないんですよね。夏は大抵Tシャツ+ジャージです」
眼鏡を触りつつはにかんだ杏子が、ハッと目を丸くした。「買い物しなきゃ」と声を弾ませながら店内奥へ向かっていく。
彼女がレジに持ってきたのは五〇〇ミリリットルのペットボトル五本、どれも緑茶だった。ボトルのキャップにはオマケの小袋が括りつけられている。小袋には《ラバーストラップ》と記載があり、スポーツ選手らしき男性のイラストが描かれていた。
「ここのコンビニなら商品の回転が遅いので、フルコンプできると思ったんですよねぇ」
「すぐ売り切れちゃうくらい人気なんですか?」
「はい! 乙女ゲーマーの間では有名ですよ」
杏子は首に掛けているスマホを掴むと、アプリを起動してこちらに向けた。《スポーツマンと恋しよっ♪》というタイトルが表示されている。
通称〝スポ恋〟。
Web広告で何度も見たことのある名だ。
「今一番ハマってるアプリなのです。よかったら一緒にやりません? ゲーム内の男の子は裏切らないので安心ですよ」
「悪いけどゲームに興味ないので」
「二次元の男の子は恋愛対象外ですか?」
「そうですね。見るなら俳優の方がいいかな」
「最近は二.五次元モノもいっぱいありますもんねぇ」
「何それ」
「あれ? ご存じない?」
あたしはこの手の話題に疎いため、これ以上付いていくことはできそうにない。杏子もそう悟ったのか、ようやく話を止めてくれた。「スポ恋を始めるときはぜひ教えてくださいね!」と言い去っていく。あとに残ったのは、杏子が電話番号を書いたレシート。
自分とは雰囲気の違う女性だが、苦手なタイプではなかった。また気が向いたら連絡してみるか。
その後は来客がなく閉店の時間を迎えた。エントランスに面している商品棚にネットを掛けていく。その作業中、床に光るものを見付けた。光沢のある青いペンが落ちている。拾ってみると重厚感があり、高級な品だろうと感じた。軸の上の方に名前が刻印されている。
《Nobuyuki.T》
住人の名を全員把握しているわけではないが、イニシャルTにノブユキという名――〝月下信行〟とみていいだろう。彼はしょっちゅう買い物に来る。今日のお昼過ぎにも来店した。いつも羽織っている白衣のポケットからペンが落ちてしまったのかもしれない。
信行の部屋は二〇三号室と聞いている。
帰るついでに寄ってみるか。
ペンをエプロンのポケットにおさめ、閉店作業を続行。全てこなしてコンビニを出ると、階段で二階へ上がった。二〇三号室のインターフォンを押して応答を待つ。
しばらく待っても出てくる気配はなく、自分の部屋に戻ろうとした直後、二軒隣のドアが開いた。ハルの部屋だ。しかし出てきたのは、ハルでなく信行。あたしに気付いた彼は右手を挙げ歩み寄ってきた。
「やぁ律子ちゃん。俺に何か用かい?」
「コンビニでペンを拾ったんです。ノブおじさんのものじゃないかと思って」
青いペンを差し出すと、信行は「ありがとう」と受け取った。彼自身、失くしたことに気付いていたらしい。
「ちょうど今、ハルの様子を窺うついでに室内を捜させてもらっていたんだ」
「様子を窺う? 管理人さんに何かあったんですか?」
「深夜まで住人のメールに付き合っている日もあるから、無理をしていないか確認しただけだよ。優しいと言えば聞こえはいいが、何でもかんでも住人を優先すればいいってものじゃない――なんて住人のお前さんに言ったら、ハルに怒られるかな」
「別に、あたしは何とも思わないですよ。ノブおじさんにしてみれば、住人より甥っ子の方が大事でしょ」
「本音を言わせてもらえばそうだね。俺はいくらでも頼ってほしいと思っているんだが、あいつは何でも自分でやりたがる。親代わりとして認めてくれていないのかなぁ」
寂しい感情を吐露したと言うより、少し嫌味っぽく聞こえる物言いだった。
兄弟も子供もいないあたしには、兄の子を引き取ることになった信行の気持ちなど分からない。心の底から可愛いと思えるのか、それとも仕方なく責務を負っている感覚なのか……。仮に後者だとすれば、叔父を慕っている唯花が可哀想になる。
とはいえ信行の心情を――他所の家庭事情を詮索するつもりはない。
「じゃあ、あたしは失礼します」
「あぁ、ちょっと待ってくれ。良い機会だ、お前さんに訊いてみたいことがある」
「何ですか?」
「異彩のことさ」
「見せてくれ、って話ですか?」
信行は白髪交じりの頭を掻きながら、「そういうわけじゃないよ」と苦笑した。
「律子ちゃんの左目、虹彩は赤く染まっていると聞いたが。それは先天性――生まれつきのもので間違いないかい?」
「はい。親が撮った写真を見る限り、赤ちゃんの頃は今より少し色素が薄かったですけど。中学生くらいからは変化してないはず」
「左目で見る景色が赤く染まっているわけではないんだよね?」
「特に問題ないです」
「何らかの遺伝子疾患、染色体異常を疑われたことは?」
「複数の病院で検査したけど、病気と言われたことは一度もないですね。原因不明としか」
「原因不明か……。視界に影響が出たことは一度もない?」
「おそらく。痛くなったり痒くなったりしたこともないです」
「なるほどね。突然変異ではあるんだろうが……」
信行はあたしの左目を凝視したまま沈黙し、腕を組んだ。無言で見つめ合う空気に耐え切れず、視線を横に流す。
「さっきから質問ばっかですけど、何の意味があるんですか?」
「ちょっとした趣味とでも言うのかな」
「趣味?」
「ここに集まってくる住人の異彩に興味があるんだ。未知のものばかりで面白いから、できるだけ多くの異分子データを集めたい」
「……何となくムカつくんですけど、その表現」
「気を悪くしたなら謝るよ。でも悪意があるわけじゃないから、誤解しないでほしいな」
「ただ人の秘密を面白がっているだけ……ってことですか?」
「そう悪い方へ解釈しないでほしいな。俺は唯花とハルの味方であり、異彩者の味方でもある。安心してくれ」
……なんだか胡散臭い。
そんな疑念が表情に出てしまっていたのか、信行は肩を竦めた。
「心配せずとも、住人の秘密を他言したりしない。快適な暮らしを提供するのが俺たち管理人一家の役目だからね」
「……まぁ、他言なんかしたら管理人さんがキレそうですよね。いつも笑顔で温厚そうだけど、真面目でルール違反には厳しそうですもん」
「もしかして律子ちゃん、ハルみたいな男が好みかい?」
「何ですか、藪から棒に。興味ないですよ」
「そう怖い顔をしないでくれ、ちょっと言ってみただけさ。ハルは俺と違って色男だからモテる。あいつに恋などしない方が身のためだよ」
「……お前みたいな女は振り向いてもらえないぞ、って言いたいんですか?」
「はは、参ったな。律子ちゃんは何でも悪い方向へ解釈するね」
「誰が聞いてもそうとしか思えない言い方だった気がしますけど」
「ハルみたいな子供より、俺みたいな大人の男に興味を持ってほしい――というメッセージを暗に送っているとは考えないのかい?」
「――え?」
「オッサンのジョークだよ。明日からも変わらずコンビニへ通うからよろしくね」
信行はにやりと唇を歪め、自分の部屋へ入っていった。
以前は〝人当たりのいいおじさん〟だと思ったが、今日は掴みどころのない不思議さがあった。全く本心が見えない……不気味にすら感じる。俊介の言っていた印象の方が正しいのかもしれない。




