カテイが揺れる恋心の夜
八百屋の店じまいを終え、
家の前のランプだけが、ほのかに光を落としていた。
昼間の喧騒が嘘みたいに静かで、
虫の声だけが夜の空気に染み込んでいく。
カテイは戸締まりを終えて、
ふうっと息をついた。
そこへ――
「カテイ」
低く、震えるような声で名を呼ぶ者がいた。
振り返れば、
王宮の紋章を胸に付けた男――
国王アルバートが、闇のなかに立っていた。
昼間のお手伝いのエプロン姿とは違い、
王の装いなのに、どこか弱く見えた。
◆ 静かな、そして危険な距離
カテイ
「……また来たのかい。夜だよ。王様がふらふら歩くもんじゃない」
国王
「歩きたかった。……お前に、まだ話したいことがある」
カテイ
「……やめてくれないかね。
あんたと話すと、胸が痛くなるんだよ」
国王は一瞬だけ目を伏せ、
それでも歩みを止めず近づいてくる。
距離が縮まるたび、
カテイの心臓がうるさく跳ねる。
◆ カテイの本音がこぼれる
ぽつり、ぽつりと、
カテイが今まで言えなかった言葉を落としていく。
カテイ
「いやさ……
あんた、投獄されて、十年も帰ってこなかったろ?」
国王
「……ああ」
カテイ
「だからさ。あきらめたのさ。
ビックは八百屋として、普通に育てるって決めたんだよ」
風が揺れ、ランプの明かりがちらつく。
カテイ
「王女として育てたら金かかるし、
そんな余裕、うちにはなかった。
あんたが死んだんだと思うしか、なかったんだよ」
国王
「……おい。私は生きてるぞ」
カテイ
「わかってるよ。
でもさ、あんたが死んだと思わなきゃ……
“忘れるしか、生きる方法がなかったのさ”」
震えた声。
小さく、誰にも聞かれたくない言葉。
カテイが涙を見せるのなんて、何年ぶりだろう。
⸻
◆ 国王の胸の奥に刺さる
国王は、苦しそうに息を吐いた。
国王
「……そんな思いをさせたのか、私は」
カテイ
「させたんだよ。
来もしない手紙を、何年も待ってた。
ビックを寝かしつけて、ひとりで泣いた夜もある」
国王
「……カテイ」
カテイ
「でも、戻らないと思ったから。
前に進むしかなかったんだよ」
◆ 月明かりの下で
国王はゆっくりと手を伸ばした。
触れたら壊れてしまいそうな距離で、
しかし探るように、確かめるように。
国王
「……すまない、カテイ。
でも私は、生きて戻った。
もう二度と、お前に泣かせたくない」
カテイ
「やめてくれ。
優しいこと言うと……また昔みたいに、好きになっちまう」
国王
「それは、いけないことか?」
カテイ
「いけないに決まってるだろ。
私は八百屋で、あんたは王様なんだよ」
国王
「だったら私は、八百屋の妻の夫でいい」
カテイ
「……あんたって人は……!」
顔を真っ赤にしたカテイは、
思わず背を向ける。
国王は静かに言った。
「カテイ。
私は……お前を忘れたことは一度もない」
その瞬間、
胸の奥で、十年眠っていた想いが揺れた。
カテイ
「……もう帰りな。
じゃないと、本当に揺らぐから」
国王は微かに笑みを浮かべ、
深く礼をして帰っていった。
扉を閉めたあと、
カテイは胸に手を当ててつぶやいた。
「……ほんと、めんどくさい男だよ。
でも……生きててよかったよ」
王の爆弾宣言と、土下座する八百屋親子
王宮の大広間。
重厚すぎる空気が八百屋親子には全く似合わない。
国王アルバートは玉座からすっと立ち、
まっすぐカテイを見て言い放った。
国王
「カテイ。
お前も……王妃になる」
静寂。
次の瞬間――
「どえええええええーーーーっ!!」
響きわたる母娘の悲鳴。
ビック
「母ちゃんが!? 王妃!?
八百屋の母ちゃんが王妃ぃ!?」
カテイ
「無理無理無理無理!!
私みたいな庶民が、王妃なんて務まるわけないよ!!」
国王
「務まる。
私は十年前から、お前を妻にしたかった」
カテイ
「やめれぇぇぇ!
そんな昔の話掘り返すんじゃないよぉ!」
王宮の侍女たちがざわめく。
側近は倒れそう。
国王は続ける。
国王「ビックが王女なら、母親は王妃だ。当たり前だ」
ビック
「いや当たり前じゃない!!
当たり前の定義が違う!!」
カテイ
「王宮の空気吸うだけで腹痛になるよ!
私なんかが王妃なんて――」
そして――
二人、揃って床にバァン!!!と土下座。
カテイ「どうかご勘弁ください!!」
ビック「私たち八百屋ですから!!」
側近
「王宮で土下座する王女と、王妃候補がいる国って何!!?」
国王
「……お前たち、そろって土下座するのはやめなさい。
私は求婚しているんだぞ?」
カテイ
「求婚なら! 膝ついて! 指輪持って!
順番というものがあるだろうが!」
国王
「それも考えている。
だが今日のところは、とりあえず王妃になれ」
カテイ
「“とりあえず”で王妃にするんじゃないよ!!」
ビック
「母ちゃん、地面に顔つけすぎ。ほこりついてる」
側近
「……国史に残る前代未聞の王妃候補だ……!」
<カールの大爆笑と、変わった王>
カテイとビックがそろって“バァン!!”と土下座した瞬間。
大広間の隅で、それを見ていたひとりの男が、
腹を抱えて笑い始めた。
カール
「はっ……ははははっ……!!
陛下、これは……っ、反則でしょう……!!
王妃候補と王女が……土下座とは……!」
カテイ
「笑うんじゃないよ、あんた!」
ビック
「そっちも王宮の人でしょ!? 止めなよ!!」
カールは涙を拭いながら言う。
カール
「いやいや……昔の陛下を知ってる身としては……
信じられなくて……!」
国王アルバートが眉をひそめる。
国王
「カール。そこまで笑う必要はないだろう」
カール
「いえ陛下。
昔のあなたと比べれば、今の方がよほど“人間らしい”」
国王
「……どういう意味だ」
カールは穏やかに微笑んだ。
◆ カールの語る“昔の神経質な王子”
カール
「陛下は若い頃、
刀の置き方が一寸違うだけで執事を叱り、
食器の音が気に入らないと食が進まない。
ちょっと埃を見れば掃除を命じ……
とんでもなく神経質な王子だったのです」
カテイ・ビック
「「想像つく……」」
国王
「……っ」
カールは続ける。
カール
「それが今では、八百屋に通い、
大根の葉を買いに行き、
王妃候補が土下座しても、
“やめなさい”と優しく言う……」
そして、満面の笑みで言った。
カール
「十年の投獄は不幸ではありましたが、
あなたはあれで……“人の痛み”を知たのです」
国王はふっと目を伏せる。
国王
「……そうかもしれんな。
昔の私は、自分のことしか見えていなかった」
カテイ
「今でも十分めんどくさいけどね」
ビック
「父ちゃん、王様なのに土下座止めるの必死だったし」
国王
「お前たち……」
カールはまた肩を震わせながら笑う。
カール
「陛下が“家族”を得た姿を見られるなんて……
私も十年、待った甲斐がありましたよ」
国王はカールにだけ小さく微笑む。
国王
「……ありがとう、カール」
カテイとビックは顔を見合わせた。
ビック「ねぇ母ちゃん……これ、家族増える感じ?」
カテイ「知らんよ!! わたしゃ八百屋だよ!!」
カールはまた笑い転げるのだった。




